第三章 竜たち

ファビアンの言い分

 たった一枚のウロコを握りしめて生まれてきた花嫁が、我ら竜族を大人にさせてくれる。

 たった一枚だが、その一枚は、魂の半分だと思え。

 花嫁を、敬い、心を通わせる。その努力を怠るな。


『全竜族への花嫁の愛を得るための指南書』より




 ――


 西のブラス聖王国での惨劇も、小ロイドの旅立ちも知らないまま、わたしはこれでもかというくらい眠っていた。

 目覚めたときは、かろうじて輝いていた光石ランプも消えて、すっかり闇に包まれていた。


「むぅ」


 けれども、まったく怖くなかった。

 それは、ファビアンの規則正しい寝息と背中で感じるウロコ越しに感じる体温のおかげだった。

 相当疲れていたのか、まだ眠っているらしい。

 二度目の目覚めではっきり冴えた頭で考えてみると、井戸の中にどうしてこんな空間があるのだろうか。いったい、どれほど眠っていたのか。灰霧城塞の霧はどうなったのか。ドゥールは、大丈夫だろうか。

 考えることは、いくらいでもあったけども、どれも考えるだけではどうしようもないことばかりだ。


「いったい、いつまで寝ているつもりかしら」


 寝息も聞き飽きたし、正直ウロコの上は居心地が悪い。

 かといって、起こす勇気はまだない。


 起こしてしまうのではと、ずっと仰向けのままじっとしていたけども、さすがに限界だった。体中が痛くなってきた。こわばった関節に顔をしかめながら、上体を起こして座ってみた。


「早く起きな……」


 寝息が不意に止んだ。かわりに、呻くような声で最悪だと聞こえたけども、それは聞き間違いだと思う。

 手を伸ばせば届きそうな距離に、大きな金色の瞳が現れた。瞳そのものが光っているなんて、ありえるのだろうか。

 などと考えている場合ではない。まずはそう、挨拶だ。


「お、おはよう」


 返事はなかった。

 じっと威圧的な金色の瞳でわたしを見てくるだけだ。

 いたたまれない沈黙に逃げ出したくなったけども、向き合うと決めたのだから、何か話さなくてはならない。きっと、彼はまだ戸惑っているだけだ。きっと、花嫁はいないと諦めていたのだろう。

 まずは、わたしが花嫁だとはっきりわかってもらおう。

 よしと口を開くより先に、ファビアンの声が反響を伴って聞こえてきた。


「お前、本当に失礼な小娘だな」


「むっ?」


 頭が真っ白になった。

 大きな金色の瞳が、一度まばたきをする。


「聞いた話では、お前は竜の森で守り育てられたらしいな。なら、知っているだろうが。竜の寝床に押し入ることがどういうことかくらい」


「あっ」


 家族であっても、竜は寝床に押し入られるのを嫌う。二千年ほど前までは、問答無用で殺されていたらしい。

 知らなかったとはいえ、彼はさんざん休みたいと言っていたのだから、追いかけた先が寝床だと気がついてもよかったかもしれない。

 とにかく、謝らなくては。


「ごめんなさいっ」


「ふん」


「ぎゃっ」


 不機嫌そうに鼻を鳴らすと、生温い風が襲ってきた。髪が乱れるほどの鼻息を浴びて、嬉しいわけがない。けれども、文句が言えない。そもそも、井戸に落ちて無傷なのも、きっと彼が何かしてくれたからに違いない。


「これで、許してやる」


「ど、どう……もっ!?」


 鼻息で許してもらえたと、ホッとしたのも一瞬のこと。

 急に座っていた彼の体が消え失せて、支えを失ったわたしは真っ逆さまに落ちていった。悲鳴を上げる暇もなかった。それどころか、恐怖を感じる暇もなかった。


 ボフンっ


 暗闇の中の落下は、大きなクッションに叩きつけられるような衝撃で終わった。


「むぅうううううううううう」


 手触りからして、毛皮だ。チクチクして痛い。顔を何かわからない毛皮から上げると、目の前に光石ランプを手にした青年姿のファビアンがいた。


「これにこりたら、もう二度と寝床に押し入るな」


「知らなかったんだもの」


 さすがに、言うまいとしていた文句が口から出てしまった。

 差し伸べてくれた手を取らずに、自分で起き上がる。毛皮の山は一体どれだけ敷き詰めたのかわからないくらい、不安定でまだ立ち上がれない。


「だが、お前はもう知っている。だから、二度とと言った」


「むぅ」


 仕打ちに納得がいかないわたしに、ファビアンはピクリと目を吊り上げる。


「お前は俺にもっと感謝するべきだ。俺がいなかったら、二度と太陽を拝むこともできなかったろうよ」


「むぅ」


 ファビアンは、どうしてそっけないのだろう。

 非常に面白くない。

 疲れも取れているだろうから、遠慮する必要もない。それに、わたしらしく向き合うと未来のわたしに約束したのだ。

 もう、我慢するのはやめよう。言いたいことは、全部言わなくては、リュックベンの女らしくない。


「あなたが、わたしを無視するから、追いかけただけじゃない。そんなに、わたしが気に入らないの?」


 ピクリと、ファビアンの頬が引きつった。


「何がそんなに気に入らないの? もう疲れてるなんて、言い訳しないでよね。わたしは、あなたの花嫁なの。何がそんなに気に入らないのか、はっきり言ったらどうなの! どのみち、わたしを避けることなんでできやしないんだから。そうよ、できるわけがない。世界中が、花嫁のわたしを避けるなんて、許さない。一なる女神さまだって、きっと許さないわ」


 一度、我慢していた思いを吐き出し始めたら、止まらなくなった。

 花嫁が花婿に怖気づく必要なんて、ない。古の竜族とか、竜族の王族とか、千年以上も生きているとか、世界竜族とか、まったく関係ない。


「リュックベンの女をなめないでよね。おとなしくしていると思ったら、大間違いなんだから。わたしだって、あんたの煮えきらないところ、大っ嫌い!!」


 言い切ったあとで、言い過ぎたかとも思ったけど、そんなことはないとすぐに打ち消す。

 ファビアンは、何度か口を開いて何か言おうとして閉じたりしていたけども、黙ったままだ。そのことが、余計に腹立たしい。


「何か言いなさいよ! はっきり言わないところ、父親のユリウスそっくりよ」


 もっともユリウスのほうが、彼よりも何倍も性格が悪いだろう。けれども、はっきりしない一番気に入らないところが、似ている。やはり、親子なのだと確信せざるをえないほどに。

 彼の戸惑っていた口が、一度強く引き結ばれた。


「俺に親などいない!!」


 反響して、彼の声に込められた感情は読み取れなかったけども、ユリウスの名前が、彼の感情を暴いたようだ。


「ユリウスさまは、俺を息子だと一度も認めなかった。なんなんだ、お前は。名無しから、聞かされただろう。俺が出来損ないの異端児だと」


 なぜ、こんなにも拒絶するのだろうか。ユリウスのことを慕っていたはずではないのか。

 彼の剣幕に圧倒されそうになりながらも、輝きを失った腕輪に触れて言い返す。


「……っ、名無しは、そんなこと言っていない」


 名無しがユリウスであることに、彼が気がついていないせいだろう。名無しをユリウスと呼ぼうとしたら、声が出なかった。おそらく、この腕輪に潜む最後の竜王は、名無しとしか呼べないのだろう。

 歯がゆさをこらえながら、わたしは一歩、彼に詰め寄った。


「夢で見たの。何度も、何度も、過去を夢で見てきたの。あなたが森で獣のような暮らしをしていることも、人間の罠にかかったことも、ユリウスに育てられたことも、ユリウスを慕っていたことも、全部夢で見たの」


「……夢見の乙女」


「そう! 夢見の乙女。何度も何度も、夢の中であなたに……」


「何を見た?」


 唸るようなファビアンの声に、わたしは口を閉じてしまった。


「俺の、俺の何を見た!!」


 反響をともなった彼の怒声に、ビクッと体が震えた。


「何を見た? 言え、全部言え!!」


「ぜ、全部って……」


 何をそんなに怒っているのか、わからなかった。光石ランプを手にしていないほうの手で、わたしは胸ぐらをつかまれ引き寄せられた。

 わけがわからない。


「離してよ。何をそんなに怒っているのか……」


「わからないだと? ふざけるな。俺の過去を勝手にのぞきこんで、腹立たずにいられるか!」


「あ……」


 ようやくわかった。

 なぜ、気がつかなったのだろうか。


「ごめんなさい」


 謝罪の言葉を絞り出すのがやっとだった。その声に、ファビアンはようやく手を離してくれた。


「ごめんなさい。わざとじゃないの。夢見の乙女だけど、まだ夢を制御できなくって、その……」


 まだ、唇を噛んでいる彼に頭を下げると、頭を上げるのが怖くなった。

 わたしは、知らない間に彼の知られたくない過去にまで、侵入していたのだ。なにが、もっと知りたいだ。充分、知ってたではないか。


「あなたが、ユリウスに育てられる前のことを負い目に感じているのも知ってたけど……そのことを、わたしは気にしないし、あの……」


 自分でも何が言いたいのか、わからなくなってきた。

 今さら、なかったことにはできない。けれども、正直なところ、理不尽だとも思う。なぜなら、わたしは今でも夢を制御できないのだから。不可抗力ではないか。


 そうだ、そう、きっと求めていたから、夢を見たんだ。


「あの、それだけ、あなたに会いたかったんです! フォーンばあさんから、このウロコを返してもらったときから、ずっとずっと、あなたに会いたかったんです。だから、あなたの一部であるウロコが、教えてくれたんだと思うの。あなたのことを、過去を。たしかに、失礼なことだったと思う。怒って当然だと思うし、でも、でもっ」


「わかったから、泣くな!」


「え?」


 泣いてなんかいない。そう思ったけど、目頭は熱いし、涙はあふれる寸前。彼にしてみれば、泣いているのだろう。たとえ、わたしが頭を下げたままでも、わかるくらいに。


「くっそ、調子が狂う」


 顔をあげると、彼はため息をついて、頭をかいていた。


「俺にどうしてほしいんだ? 正直、俺はお前をもてあましている。どうしたらいいのか、わからない」


 それは、まぎれもない彼の本音だった。

 やっと聞けた。やっと、わたしをどう感じているのか、やっと聞けた。


「だから、泣くな」


「泣いてなんかいないもん!」


「泣いているだろ」


「泣いて、なんか……わぁあああああああああ」


 わかっている。どうしようもないくらい、みっともなく泣きわめいていることくらい、わかっている。

 けれども、止められない。

 みっともなさすぎて、誰にも見られたくない姿を、さらけ出してしまっていることくらい、わかっている。


「たのむから、泣くなって」


 わたしだって、泣きたくない。

 けれども、ようやく、自分がどれほど無理をしてきたのか、わかってしまったのだ。

 世界竜族の花嫁として重圧を、わたしは無意識のうちに考えるまいとしてきたのだ。負担でなかったわけがない。

 夢の中でしか会えなかった花婿に愛されるように、必死だったのだ。

 楽園に旅立ってしまった老竜ライオスをはじめとした人々の期待にこたえようと、必死だったのだ。

 それなのに、こんなのって、あんまりではないか。

 故郷を一人離れて、大好きな家族と別れて、姫さまと担ぎ上げられたまま、裏切り者がいた仲間たちと無謀な旅をしたり、わたしのせいで弟分の水竜が傷ついたり、散々な目にあった末に出会ったというのに、花婿には冷たくあしらわれるなんて――


「あんなりよぉおおおおおおおお!! ひっぐ、もてあましているって、なによぉお! えっぐ、もっと、わたしのこと知ってよ。気持ちに気がついてよ。努力してよぉおお! なんで、なんで、わたしばかり、えっぐ、わたしばかり必死で、馬鹿みたいじゃない!!」


 なんて、みっともないのだろう。

 でも、ようやく、彼にいいたことを言えた。


「……わかった。俺も悪かった。言い過ぎた」


「じゃあ……むぅうう」


 どこから取り出したのか乾いた布で、ファビアンは乱暴にわたしの顔を拭いてきた。


「まだ、俺はお前のことを知らない。だから、ウロコはまだ受け取れない」


「……わかった。でも、いつか、さ」


「ああ、約束する。だから、まずは、外に出よう」


 わたしがコクリとうなずくと、ホッとしたのか、彼は肩を落とした。

 そうだ、こんなところでのんきに言い争っている場合ではない。世界は今、大変なことになっているのだから。


「むぅ、どうやって、外に?」


「こっちだ」


 ファビアンはわたしの手を取って、毛皮の山の上を光石ランプの淡い明かりを頼りに歩き出した。


 遅すぎもせず、早すぎもしない歩調は、わたしのことを気遣ってくれているようで、少しだけ嬉しかった。

 しばらくして、沈黙に耐えきれなくなったのか、彼はぽつりぽつりと話し始めた。


「この毛皮は、俺が仲良かった獣たちだ」


 わたしが来ているコートの主は、とても立派な狼だったと誇らしげに教えてくれた。


「もうすぐ、俺は獣たちの言葉がわからなくなる。自分で決めたことだし、いつかは、こうなることだったから、後悔はしていない」


 彼が案内してくれたのは、小さな横穴だった。小さなといっても、ファビアンでも余裕がある横穴だったけども。

 横穴の向こうは、頭上に小さく光が見える竪穴だった。おそらく、ここがわたしが落ちた井戸なのだろう。

 腰に光石ランプをぶら下げた彼は、わたしに背を向けて身をかがめた。


「ほら」


「む?」


「自力で登れないだろう? だから、ほら」


 背負ってやるということだろうか。遠く離れたモーガルへ一瞬で移動できるなら、よじ登る必要もなさそうだけども、今は、甘えさせてもらうことにした。

 ちょっと気恥ずかしかったけども、彼の背中に身を預けた。


「重いな」


「むっ」


「いや、軽すぎるより、ずっといい」


 重いと言った割には、彼は軽々と出っ張った石に手足をかけて登り始めた。


 みんな、心配しているだろうか。霧は、どうなっただろうか。ライラは、何を企んでいるのか。ファビアンの息遣いと体温を感じながら、わたしは考えていた。

 しばらく、黙々と登っていた彼は、とても遠慮がちに口を開いてきた。


「なぁ」


「む?」


「さっき見た夢だが……」


 歯切れの悪い声には、照れや恥じらいのような響きも混ざっていた。


「女の子の夢だった。親の目を盗んで、マーマレードの瓶を空にしたり」


「むぅ?」


 嫌な予感がした。


「星辰の湖で、初めての雪にはしゃぎすぎて、ひどい熱を出して小ロイドにこっぴどく叱られたり……」


「……」


「おい、首を絞めるな! 落ちたいのか」


「他には? 他には、何を見たの?」


 まさか、彼がわたしの過去を見ていたとは。もしかしたら、わたしが彼の上で寝ていたことも関係しているのかもしれない。


「お前、俺だけに言えというのは、不公平だろ」


「むぅうう」


 もっともなことだ。

 けれども、これで、お互い様だ。


「さっき、お前に聞かされるまで、夢の意味がわからなかったんだよ。……お前、愛されているんだな」


「……」


 恥ずかしいやら、腹立たしいやらで、彼の背中に顔を埋めなくてはいけなかった。

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