第10話 新婚3



 それからオスカーとメアリのあいだには進展がなかった。いつもどおり別室で眠り、食事をとるときだけいっしょにすごす。

 しかしあれ以来、メアリが子作りをお願いすることはなかった。その話題がでないことにオスカーは内心、安堵する。その反面、このままでは夫婦としていつか破綻すると感じてもいた。

――だけど、どうすればいいんだ?

 ジョンのように、順調に大人としての階段を上がることができていたなら。そんな男らしい兄がうらやましいのは、少年時代から変わらない。

――でも兄さんに相談はしたくない。

 社交的かつスポーツ万能な兄がいるおかげで、自分はいつも比べられた。パブリック・スクール時代は最悪で、なにかあるたびに「似てない兄弟」とバカにされた。ジョンはそれを知っていたはずだが、弟をかばうようなそぶりすら見せなかった。距離を置いて見つめているだけである。

 一度だけ、理由をたずねてみたら「僕に甘えていると、強くなれないだろ」だった。

――僕は兄さんとちがうんだよ。何もかも。

 そう、言い返したら、それこそが甘えだ、と反論されて終わった。いつものことだった。

 そんな日々が続いた半月後、ポーラがオスカー宛に手紙を送ってきた。生活費の援助のお願いだった。

 あまりにも早い返事に、メアリが心配をする。

「あの娘、貧しい生活を強いられてるのかしら」

「このようすだと、恥も外聞もないようだ。明日にでも、父さんにお願いしてくるよ」

「ええ。心強いわ」

 そういうわけで、オスカーは実家方面へ向かう列車に乗った。結婚をしてから初めての帰郷だった。

 城館では兄ジョンの大歓迎が待っていた。わっと飛びつかれ、大きな声で「おかえり」を連呼される。まるで少年のようなジョンの態度に、オスカーは戸惑った。

「おまえ、新婚生活は楽しいか? 最高だろう?」

「ええ、まあ、なんとか……」

「僕とちがって恋愛結婚したんだ。おっぱいたくさん揉めて幸せだな!」

「……」

 引きつった笑みが浮かぶのが自分でもわかった。どうやらジョンは夜のあれこれを知りたいらしい。

「それより、父さんに話があるんだ」

「なんだ。僕じゃないのかよ。おい、ペスター、父さんを居間へ呼んでこい」

「かしこまりました、若旦那さま」

 老執事の後ろ姿に元気がなかった。ゆっくりと居間を去る姿に、オスカーは少し悲しくなる。

「兄さん、ペスターを引退させないのか?」

「そうしてやりたいのはやまやまだが。戦争のおかげで、求人広告を出しても連絡がなくてな。ペスターが倒れたら、経験不足の従僕を使うしかないか」

「働き盛りの世代がいないのは、どこも同じだな」

 実家の建物は変わらないが、そこに住む人々の暮らしぶりはずいぶんと質素になった。食料の高騰はあい変わらずで、家族ととった昼食は戦争前の庶民のような食事だった。薄いトーストとバター、あとはビスケットに紅茶しかない。

 食事が終わると、あらかじめ父と約束したとおり、ふたりだけで話すことにした。主人専用の書斎に入り、ソファで向かい合って座った。

「で、私に話とは?」

「じつは……」

 オスカーは義妹ポーラの窮状を語る。ビアズリーという元使用人と結婚し、その男は労働党員ということも。しかし、なぜメアリが彼を嫌っているのかは、話せなかった。パターソン家の恥を父に漏らすわけにはいかない。

「なるほど。援助ならいつでもしてやる。ただ、わが家も家計が苦しくてな。さらに税は上がるし、何か事業を始めようか、とジョンがリスター氏と話しているところだ。そのための資金が要る。だから、期待させるだけの額は厳しい、と思っておいてくれ」

「もちろんだよ。お金は僕が出す。あくまでも、名目上の話なんだ。証拠のサインと書類が欲しい」

 父がおかしそうに笑う。

「あはは。だったら、わが家が代々、使ってきた由緒ある家紋入りの封蝋を使ってやるか。労働党員どもがびっくりするぞ」

「それ、いいな。さすが父さん。皮肉がきいてて最高だ」

 ふだんは頼りない父だが、貴族らしくどっしりと構えているところが強かった。時代がいくら変化しようとも、おのれに流れている血を誇っているのだ。

 用事はこれで終わった。

 が、オスカーはもうひとつの相談があるのだと、小声で告げた。

「どうした? だれもいないんだ。そう警戒せずとも」

「うん。その。えっと。父さんをがっかりさせたくなかったんだけど」

「メアリ嬢と何か?」

「僕ら、恋愛結婚なんかじゃないんだ。さっきも話したとおり、ビアズリーに領地を売られそうになったから、とっさにそういうことになって。だから、僕らはまだ何もなくて…………」

 父は驚く――かと思ったが、いつもどおり煙草に火をつけ、優雅に紫煙を吐き出した。

「そういうことだろう、と思った」

「ええ? 知っていたの?」

「私にはぴんときたよ。おまえとメアリ嬢を見ていたら、恋愛なんぞしていない、と。だがな、恋はしなくても結婚はできる。ジョンだってそうだった。まあ、相性だな、相性」

「父さんは母さんと恋愛結婚したのに?」

「おまえと同じでな。私は結婚するつもりはなかった。弟のアーノルドがいたから。それが偶然、母さんと出会ったことで――おまえたちがいるわけだ」

「じゃあ、きくけど。母さんと出会ったとき、どんな気持ちがした? すぐに抱きたくなったとか?」

「まったくなかった」

「それがどうして?」

「いっしょに旅をするうちに、母さんの中味に惹かれたのさ。離れたくない、と思ったとき肉体関係を持った。それを絆にした」

「離れたくない、か……。僕はさきに結婚してしまったから、そういうのはないなあ」

 オスカーは父に小突かれる。

「父さん?」

「メアリ嬢を見たとき、まるで若いときの母さんかと思ったぞ。髪を短くしてズボンを履いた男勝りだった。しかし中味はかわいらしい。ま、そこに惹かれたともいえる。色気のあるご婦人は今でも苦手だ」

「なんだってぇぇぇ!」

 衝撃の事実に、オスカーは絶叫した。

 どうしてメアリを無意識のうちに好きになったのか。

――父さんの血筋だったのか!

 と、ようやく納得がいく思いがした。

「ああ、そんな。僕はどこまで父さん似なんだ…………」

「ええ? うれしくないのか、リトル?」

「父さんはうれしいのか?」

「こう言ってはなんだが、ジョンは私に厳しくてなあ。母さんに頼りっぱなしで、情けないって、よく説教をされたもんだ。それにくらべ、おまえはのんびりしていたから、いくつになっても愛しい私の子どもだ」

「僕はもう三十五歳だぞ」

「子どもはいくつになっても、かわいいものだぞ。ほら、こうして私にメアリ嬢との悩みを相談してくれた。ジョンだったら、意地でも隠し通すだろう。そういう男に育ったのが、少々、寂しい」

――ジャックは。

 と、言いかけてやめた。戦死した弟の話題を出すのは、タブーになりかけていた。

 父が夜の生活を案ずるように言った。

「恋多き貴公子だったらともかく、初めてばかりだ。あせってしまうと心が離れてしまいかねない。関係が冷えたらただの義務に終わる。メアリ嬢が苦痛に感じるだけだろう」

「僕より、メアリのほうが積極的というか……」

「それでも、だ。自信がないときは、素直にそう言えばいい。いやなことがあっても、いっしょに眠るだけで、気持ちが安らぐものだよ。それが最高の夫婦だ」

 吸い殻を灰皿に入れ、父はまっすぐにおのれを見つめる。

「で、リトル――いや、オスカー。おまえはどうしたい?」

「どうって……」

「かたちだけの夫婦のままでいいのか、それとも」

 父の言いたいことが伝わり、即答する。

「僕らは本当の夫婦になりたいんだ。メアリとずっと仲良く暮らしたい」

 父は破顔する。屈託のないそれだった。

「そうか、そうか。よしよし。ならば私がとっておきのテクニックを伝授しよう。まずはだな――」

 父の話から察するに、子作りをする前に、メアリともっと親しくしたほうがいい、ということらしい。おたがい恋愛に縁がない同士だから、社交界やロマンスのような展開は望めない。

――そうだよな。いきなりだなんて、僕にはむずかしい。まず心を通わせないと。

 具体的なあれやこれやも聞いたが、びっくりするほど父と母のロマンスは情熱的だった。顔が熱くなるほどである。



 書斎を出ると、つぎはジョンに呼び出される。新婚の楽しみを質問されそうになったら、適当な理由をつけて逃げるつもりだった。

「オスカー。メアリさんとはうまくいってるのか?」

 兄の寝室に入るなり、そう問われる。顔は真面目そのものだった。

「ああ。なんとかね。労働党員と結婚した義妹のことが、心配の種だけど」

「そうか。よかったな。僕はうらやましいよ。政略結婚なんかするんじゃなかった。後悔しかけている――と言ったら、おまえはどう思う?」

「義姉さんは亡くなったんだぞ。後悔とか、心ないことを言える立場か?」

 ジョンは目を細め、腕を組み、壁に背中をあずける。

「……不快なのはわかる。あのときの僕は、キャロルが結婚したのが信じられなかった。一種のあてつけだった。ついでにわが家を立て直そうと、富豪令嬢を妻にした。この僕に相談せず、黙ってキャロル・ボイル夫人になったんだからな。プライドが許さなかった」

 オスカーはベッドに座り、兄の本音に辟易する。

「だからそういう話は、父さんにしろよ。どうして僕なんだ? 昔からそうだった。兄さんに本音をぶつけられるたび、重荷を背負うようで苦しい」

「おまえだから話しているんだ。どうしてそれがわからない?」

「父さんだといけない理由があるとでも?」

「父さんは生粋のイギリス貴族だからな。僕の本音は理解できないだろうよ」

「兄さん……」

 自分たち家族はアメリカのアイオワで暮らしていた。当時、自分は九歳でまだまだ子どもだったから、十二歳だった兄の気持ちはいまひとつ理解できない。それどころか、泥にまみれた牧場生活より、お屋敷生活のほうがずっと快適だった。

 しかし兄はいまだにイギリスへ連れてこられた――父としては帰ったつもりだったのだろうが――ことに納得できないのだろう。もし、アメリカにいたら今ごろは、と、少年時代、なつかしみながら話していたのを思い出す。

「あのままアメリカにいたら、ジャックは戦死しなかった。あのときの帰国は、最悪の選択だ。父さんだけ帰国すればよかったんだ」

「そんな、今さら。兄さんだって未来のことは、想像できないだろう。無茶を言うなよ」

「キャロルと出会うこともなかった。愛のない結婚をすることもなかった。何もかも、悪いほうへ進むだけだったじゃないか。おまえはそう思えないのか?」

「三十年近く前のことを、僕に言われても。兄さんは疲れているんだ。ほら、前線で死にかけてつらいめにあったから。基地にいたときも、砲撃のショックで心が弱った男をたくさん見てきた」

「おまえはそうじゃないのか?」

「だから、兄さんは疲れているんだよ」

「……」

 大きなため息をつき、ジョンはずるずると身体を落とた。床に尻をつける。

「なあ、オスカー。ジャックが毎晩、僕の夢に出てくるんだ。『僕は勇敢に戦ったのに、ジョン兄さんは卑怯者だ』って」

「ええ?」

「うん。たしかに僕は疲れているのかもしれない。しかし、卑怯者だという事実には変わりない。自分ではうまくやったつもりだったんだけどなあ。すまない、ジャック」

 いつも強がっていた兄らしくない言動に、オスカーは動揺する。

「ずっと野戦病院にいた僕より、はるかに勇敢だ」

「ああ、夜が怖い。愛したひとと眠れるおまえがうらやましい」

――いっしょには眠ってないんだが。

 と、口にしかけてやめた。ジョンにしてみれば、嫌味に聞こえかねない。それだけ兄の心は弱っていた。

「だったら、キャロル姉さんとやり直してみればいいじゃないか」

 喪中のいとこ同士の恋愛に、周囲は眉をひそめるだろうが、とうに若い盛りをすぎている。醜聞を気にしなければ、ふたりはうまくやっていけるはず。それだけ昔から仲がよかった。

「お前が言うのか? セシルが悲しむじゃないか」

「それは兄さんががんばって、説得してみろよ。父さんにも相談してさ。あの戦争を生き抜いたんだ。残りの人生は、兄さんが好きなように生きればいい。僕はそう思う」

「卑怯者にそんな権利はないさ」

「決めるのは兄さんだ。僕は助言をしたまでだからな」

 ジョンはそれ以上、話そうとしなかった。目を閉じ、これからのことをどうすべきか、悩んでいるようだった。

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