第9話 新婚2



 その日は診療所に患者はなかった。町へ往診することもなく、急患もない。

 久しぶりなのどかな一日に、オスカーは安堵した。ようやく、身体を休めることができたと。

 昼寝のあと、午後の茶を取っていたら、町からメアリとメイドが帰宅した。めずらしく買い物をしたい、と言っていたので、どんな品物を持ち帰ったのか気になる。

「そろそろ、服を新調しようと思ったの。ずいぶん流行遅れだったから」

 ファッション雑誌と布地、ボタンを包みから取り出す。淡いシンプルな花柄と、さわやかな青いストライプ柄だった。

「そう。楽しみにしているよ」

「ええ、がんばって縫うわ!」

 妻がどんな服を着ようが興味なかったが、そう言っておいた。母が父にそう言われ、喜んでいるのを見たことがあったからだ。

 そしてもうひとつの包みには、薄青色のパジャマとネグリジェが入っている。それはどう見てもおそろいの布地だった。

「僕のは必要なかったのに」

「あの、いっしょに……その……」

 そこでメアリは口ごもる。うつむき、顔を真っ赤にさせた。

 オスカーは悩む。

――何が言いたいんだ?

 最近、メアリはおかしい。子牛の出産を手伝ってからというもの、言葉を濁しては赤くなる。そのあとは何も話そうとしないから、どう扱っていいのかわからない。

 その後、いっしょに晩餐をとっていると、来訪者があった。患者ではなく、会いたくない親戚だった。

「メアリ姉さん。わたし、妊娠したのよ!」

 陽気なあいさつとともに、ポーラが食堂へ入ってくる。母になれる喜びに満ちあふれているらしく、上機嫌だった。家族だから遠慮は要らない、と言わんばかりに食卓の椅子へ座った。メイドへ料理を運んでくるよう、言いつける。

 笑みすら見せず、メアリが言った。

「ポーラ、きちんと生活はできているの? あの男、仕事をしてなさそうだけど、どうやって子どもを育てるつもり?」

「心配ないわ。ドンは工場の労働組合に入って活動をしているの。つぎの選挙で国会議員に立候補する予定よ。組合の支援だってあるわ。演説がうまくて、期待されているの」

 目をきらきら輝かせるポーラには、うさん臭い男がヒーローに見えるようだ。オスカーは呆れて物が言えない。

「もし落選したら? 労働組合の人たち、本当に支援してくださるの? 子どもが産まれても、わたしは援助しないわよ。始めからその約束で、あなたたちは結婚したはず」

「姉さんは真面目すぎるわ。だいたい、このお屋敷だって本当はドンとわたしのものだったはず。それを横取りされたんだから、姉さんたちは援助する義務があるわ」

 と、オスカーはポーラににらまれる。

「きみは、僕らが横取りをしたいと言いたいのか?」

「ええ。わたしたちが領地を売ろうとしたとき、結婚宣言をしたじゃない。どう考えても、メアリ姉さんと取り引きして決めた結婚だわ。愛なんてこれっぽっちもない、ね。オスカー爵子には何のメリットがあったのかしら」

――まずい。見抜かれてる。

 否定しようとするも、ポーラの指摘は的中している。メアリとのあいだには何もない。夫婦になった今でもだ。

 しかしメアリは猛然と反論した。食卓のワインを飲み、厳しい口調で話す。

「そうね。あなたの言うとおり、恋愛結婚じゃないわ。だけど、結婚は結婚よ。昔から親同士で決めて夫婦になるのが当然だった。それのどこがおかしいのかしら。恋とか愛とかいういっときの感情で、簡単に結婚したあなたたちのほうが心配よ。だいたい、電報も手紙もなしに、晩餐時に訪問したのはどうしてかしら。出産費用が足りない、ってお願いしに来たのよね。もしかして、まともな食事をしていないの、ポーラ?」

「……それは」

 そのとき、メイドが温め直したスープと、肉料理を運んできた。空腹に耐えきれなかったのだろう。ポーラはがつがつと食べだす。メアリの心配どおりだった。

「ああ、あの男、ポーラを粗末に扱ってるのね……」

「今、家計が苦しいだけよ。議員になったらうまくいくわ」

「そうだといいけど」

「心配性ね」

「まったく。どうしてビアズリーなんかと結婚したのかしら。わたしとちがって、器量が良かったのに」

 食事の手を止めたポーラが、メアリをにらみつける。

「だから姉さんのそういうところが、わたし、苦手だったの。きれいだから、貴公子と結婚すれば幸せになれるって、そればかり。わたしはお人形じゃないのよ。飾りの妻じゃなく、対等な夫婦関係になりたかったのに」

「え?」

 メアリは目を丸くし、何度もまばたきをする。

――信じられない。

 と。明らかに動揺している。

「戦争があったおかげで、時代が変わったわ。姉さんはどうだか知らないけれど、わたしは幸運よ。自由があるもの。ドンはわたしをお姫さま扱いしない」

「お金がなくても?」

「好きな男と結婚できたわ。問題があるの?」

「ポーラ…………」

 メアリは額に手をやり、うなだれ、そのまま言葉を失う。

 夫としてオスカーは義妹に忠告をしてやる。

「きみの気持ちはわかった。ただ、お金がないと子どもが不憫だぞ。援助をして欲しいのならば、素直に頭を下げるんだ。つまらない意地を張るから、メアリもいい顔をしない」

 最後の肉片を名残り惜しそうに口にし、飲みこみ、ポーラは言った。

「……それは逆じゃない? わたしが男の子を産んだら、この子が後継ぎになるんだもの。頭を下げるのは姉さんたちよ」

「まったく。負けず嫌いだなあ」

「だから援助をお願いね、オスカー義兄さん」

「考えておく」

「さすが。姉さんとちがって、話が早いわ。じゃあ、そろそろ帰らないと」

 メアリがテーブルをゆびさきで叩く。

「……だめよ。甘やかさないで、オスカー」

「メアリ。産まれる子どもに罪はないだろうに」

「一度、餌をやると、たかってくるわよ、あの男」

「しかしなあ」

 そのとき、オスカーに名案がひらめいた。

――そうか。僕らから援助するんじゃなくて……。

「じゃあ、こうしようか。僕が父さん――スプリング伯爵に援助をお願いしよう。パターソン家からじゃないから、問題ないだろう?」

 まっさきに驚いたのはポーラだった。

「ええっ! き、貴族さまからの援助? そんなことをしたらドンがなんて言われると思うの? 労働党員なのよ!」

「ならば援助はあきらめてくれ。どうしても欲しければ、僕に手紙を」

「……見かけによらず、策士なのね。悔しい」

 思いっきりにらまれたオスカーは、とびっきりの社交の笑みで義妹を見送ってやった。

「ありがとう、オスカー」

 ほっとしたのか、涙目でメアリに腕を取られ、寄りかかられた。その肩を抱きしめてやったら、夫婦らしいな、とわれながら不思議な気分だった。

 波乱の晩餐が終わり、食後のコーヒーを飲んでいると、堅い表情でメアリが言った。

「ねえ、オスカー。今夜こそは、その。いっしょに」

「メアリ?」

「…………もう、どうして鈍いのよ。バカ。ポーラを見て、何も感じなかったの? わたしも欲しいの」

「まさか」

 それはつまり……。

 一気に緊張感が高まる。心臓がばくばく音を立てる。自分でも顔が真っ赤になっているのがわかった。

「その、えっと。まだいろいろ準備が……」

 しばらく居間が静まり返る。たがいの目を見ることができなかった。

 絞り出すような声で、メアリが言った。

「……そうね。わたし、きれいじゃないもの。ごめんなさい」

――まずい!

 あせったオスカーは、立ち上がり、メアリの両手を握りしめる。

「ち、ち、ちがう。そういうわけではなく。ええと……。その。きみのことが好きじゃなかったら、結婚なんてしない、だろ? ほ、ほ、ほら。僕はこのとおり、恋とかしたことがなかったから、どうしていいのか、わからないというか。その……」

 恥ずかしさのあまり、感情が限界に達した。

――いい歳をして……だめだ、僕は。

 両手で顔を覆って、うなだれることしかできない。

――かたちだけの結婚を求めていたのは、僕だけだったのか?

 メアリもそうだと信じていたから、食卓以外はべつべつに過ごすようにしていた。それがいけなかった、というのだろうか。

――子どもが欲しかったら、いけないよな。どう考えても。

 だとしたら。最大の関門が待っている。

 ああ、メアリを失望させた。

 この結婚は失敗だった! 大が無数につくほどの!

 が、妻から返ってきた言葉は、悲しみではなかった。

「よかった。あなたもわたしのことが好きだったのね。結婚する前から、わたしの片思いだとあきらめてたの」

「へ?」

「好きじゃなかったら、結婚なんてしない、って言ってたじゃない」

「……」

 オスカーは両手を放し、まじまじとほほ笑む妻を見つめる。

――もしかして、僕はメアリのことが……。

 自覚していなかっただけで、とうに恋していたのかもしれない。

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