第8話 新婚1



 パターソン屋敷ではささやかな披露宴が催され、スプリング伯爵夫妻とウォリック子爵の訪問に、村のひとびとが色めき立った。屋敷の周囲には大勢の見物人が現れ、メアリとオスカーが領民たちに食事を振る舞った。

 出席者のなかにビアズリーとポーラはいなかった。ふたりは絶縁する勢いで、屋敷を出ていったのだ。それから連絡はない。

 披露宴で一番、感激していたのが、父であるスプリング伯爵だった。

――まさか、リトルが恋愛結婚をするとは!

 と、思っているにちがいない。

 そう、父も自分同様、母と出会うまではまったく女性に興味がなかった。着飾った令嬢を見ても、心が揺れなかった。だから、生涯、結婚をするつもりはなかったのが、偶然の出会いが人生を変えた。

 だが、ひとつだけちがうことがある。

 披露宴が終わり、スプリング伯爵一家が帰宅した。居間の皿を片づけながら、オスカーは言った。

「さきに約束したように、あくまでも領地を守るための結婚です。だから夜のことは、無理強いしませんから、安心してください」

 テーブルクロスをたたみながら、メアリが答える。

「ええ。だけど本当によかったのかしら。夫になれば、自由に恋愛ができなくなるのよ」

 オスカーは苦笑する。

「僕はそういうのが苦手な人間だから。実家を離れたかったのもあるし、よい機会だと思ったんです」

「そう。おたがい自由にすごしましょう。あと、わたしのことは呼び捨てにして。お願い、オスカー」

 照れながら、返事をする。

「ああ、メアリ」

 そう、これはたがいの利益が一致した、契約結婚だった。人生の居場所を求めた結果にすぎなかった。



 さきの大戦で医者が不足しているというので、オスカーは診療所を開くことにした。屋敷の一階にある客間を診察室にし、玄関ホールを待合室にする。初老の看護婦をひとり雇って、のんびりと暮らす。

 ローレンソン夫人となったメアリは、以前のようにズボンを履くのをやめた。流行遅れの地味なドレス姿で、家政と領地管理をこなす。少女メイドと女料理人をだけ雇い、執事や従僕といった男性使用人は雇わなかった。ビアズリーが悪知恵を働かせ、使用人に「労働者よ立ち上がれ」と吹きこむのを警戒しているのだ。

――階級の世界は終わり、つぎは労働者がみずから国を動かす時代だ。

 ビアズリーは町でそう演説を繰り返しているという。社会主義思想にかぶれたのか、それとも野心のために利用しているのか定かではないが、どちらにしても領主夫妻にしてみれば、屋敷に入れたくない存在である。

 さわやかな初夏の風が吹いたころ。

 のんびりと暮らすはずだったオスカーの思惑は外れた。村だけでなく、町への往診があったからだ。軍医として野戦病院にいた三年間、オスカーは自分で思っている以上に、医者としての腕を上げていた。それが評判となり、町からも依頼がやってくる。ひどいときは、急患があるのだと、夜中に使いがやってきた。

――いいのか、悪いのか。

 そもそもあくせく働くことが好きでない。生活に困らない程度の収入があればじゅうぶんだったし、領地の収入だけでもよかった。しかし、あまりにもひまをもてあますのも困る。

 そんな動機を神が叱咤するかのような日々に、オスカーは困惑していた。

「あなた、おつかれさま。さあ、お着替えになって。お食事をしましょう」

 町での診療を終えて帰宅すると、玄関ホールにメアリがいた。

 急患の使いが来たのは、午後七時。晩餐の直前である。それから三時間もメアリは夫の帰りを待っていたのだ。

「さきに食べていてもよかったんだぞ」

「できないわ。妻ですもの」

「……」

――かたちだけの夫妻だから、気にするな。

 と、言いかけるも、メアリの目を見ると言えなくなった。彼女なりに、真剣に妻を演じているのだろうから。

 だから若かったころの両親の姿を思い出し、こう答えた。

「ありがとう。さあ、いっしょに食べようか」

 そばかすだらけの顔がほころぶ。オスカーはほっとした。

――よし。これでいいんだな。

 恋とか愛とか好きとか、そんな感情とは無縁な生活だった。まるでチェスゲームのように、ひと駒、ひと駒、慎重に進んでいくようなやりとりだった。

 ふたりだけの晩餐の会話はだいたい決まっていた。まず、メアリが屋敷や領地でのできごとを話し、つぎにオスカーが診療でのできごとを話す。新婚夫婦らしくない事務的な報告だった。

「……というわけだ。急患っていうから、大事かと思えば、ただの捻挫だった。なのにだ。お茶をどうぞ、って断っても断ってもすすめてくるから、仕方なくごいっしょしたのさ。孫たちの話を聞かされ続けたあげく、子どもは早く作ったほうがいいって、おせっかいされてね。まったくよけいなお世話だ。だから遅くなった」

 だんだん愚痴っぽくなってくるおのれに、メアリは苦笑する。

「無理もないわ。わたしたち晩婚だもの。おせっかいだと知っていて、おっしゃるのよ。それにサイモン夫人、息子さんを戦争で亡くされて寂しいのよ」

「話し相手が欲しかったってことか。だけど急患はよしてくれよな」

「そうね。戦争がなければ、みんな寂しい思いをすることなんかなかったのに」

 ここで会話が途切れた。冷たくなったチキンとグリーンピースを、黙々と食べる。

――戦争があったから。

 毎日、一度はだれかが、そう言うのを聞いた。

――メアリは寂しいのかな。

 オスカーはふと、そう感じた。戦争がなければ、ビリーは領主として屋敷にいた。メアリは弟の成長を独身のまま見守っていただろう。それが彼女の生きがいだった。

「あの、オスカー」

「なんだい?」

「……お疲れかしら」

「ああ。町に診療所ができればいいんだがな」

「そうね。そうよね。もし、明日、急患がなかったら。その……」

 メアリはうつむいた。顔を真っ赤にさせて。

「熱でもあるのか?」

「……」

「だからさきに食べていろ、と僕は言ったんだ。きみは毎朝早い。早く就寝したほうがいいよ」

「ええ」

 何か言い足りなさそうな表情を残し、メアリが食卓を立った。



 翌日。またも急患があった。馬車に乗って町へ出かけ、診察をしたらひどい虫垂炎で、町医者では手に負えないほどだった。手術の必要があると判断し、ロンドンの大病院へ紹介状を書いた。すぐに旅の支度をして、患者の紳士は妻とともに、鉄道駅へ向かった。

――無事に終わるといいんだが。

 苦しむ患者を見ていたら、野戦病院での光景がよみがえる。生死をさまよう人間たちの姿に恐怖した。だが、半年もたつと感情が鈍化したのか、動揺することはなくなった。それでも人の死に向き合うのはつらかった。

 午後六時、丘の上の屋敷に帰宅する。しかしメアリはいない。しばらく居間で待つが、帰ってこない。

――どうしたんだ?

 結婚してからというもの、メアリが屋敷にいない日はなかった。急用で外出するときはあっても、黙って出かけることはしない。

「奥さまは、晩餐までにご帰宅するとおっしゃってました」

 少女メイドがそう告げ、さらに不安になってきた。

「どこへ行ったんだ?」

「モスさんの牧場です。あたしが見てきます」

「いや、いい。僕が行ってこよう」

 オスカーは馬車に乗って、丘を下る。農場は歩いて三十分ほどの距離だ。十分ほどで目的地に到着したら、家畜小屋のあたりが騒がしかった。

 近づき、ようすをうかがう。

 牛が出産していた。しかし逆子らしく、難産で苦しんでいる。老農夫とメアリが生まれてかけた赤子を出そうとするのだが、母牛は苦しみ、泣き叫び、暴れる。母も死の間際にいるのが、すぐにわかった。

「メアリ!」

 オスカーが呼びかけると、半泣きになったメアリが首を振る。

「もう、だめ。今日に限って、獣医が葬儀で不在なの」

 老農夫が助けを求める。

「そうだ。先生が赤子を取り出してください。同じ医者じゃないですか」

 とんでもない、とオスカーは拒絶する。

「ええーっ! 人間と家畜をいっしょにしないでくれよ」

「お願いです。せめて、母牛だけでも助けてやってください。わが家の財産なんです」

 迷った。

 たしかにこのままだと、子牛だけでなく母牛も死ぬだろう。人間なら経験があっても、牛は問題外である。どう扱っていいのやら。

 そのとき、苦しむ牛がメアリを蹴る。

「きゃあ!」

 さいわい、寸前のところでかわしたものの、メアリのことだ。子牛が生まれるまで、そばを離れないだろう。

「わかった。僕がなんとかしてみよう。その代わり指示に従ってくれ。いいな」

 農夫といっしょに牛を柵に縛りつけ、片足が出た子牛を引っ張った。しかし出てこない。位置を変えるため、一度、子牛をお腹へ押しもどす。腕を入れ、頭部を奥へ移動させるため、小さな体を回転させる。これが難儀だった。

 オスカーがやってもだめだったから、農夫と交代した。長年、牛を扱っているだけあり、彼は器用だ。何度かくり返すうちに子牛の向きが変わった。ようやく取り出そうとするが、今度は母牛の体力がなくなってしまった。出産する力がなく、子牛が出てこない。

――死産か?

 オスカーは渾身の力をこめて、牛を取り出す。人間の赤子よりはるかに大きくて、ずるり、と藁の上に落下した。疲労でおのれの息が切れていた。

 鼻に詰まった羊水を吸い取る。子牛が鳴いた。そのまま母牛のそばへもどす。

「生きてるわ!」

 喜ぶメアリをオスカーは抱きしめる。

「きみが無事でよかったよ」

「わたしが? 牛じゃないの?」

「きみはもっと自分を大事にしたほうがいい」

「オスカー……」

 背後から農夫に声をかけられる。

「いやあ。先生――いや、旦那さまがいて助かりました。若いもんがみんな、戦争でいなくなってしまって。わしだけだったら、母牛も死んでましたよ」

 われに返ったオスカーは、メアリを離す。そして真面目な顔で答えた。

「それはよかった。人間と牛はちがいすぎて、どうなることかと思ったよ」

「先代さまが生きてらしたときは、お屋敷へ駆けこんでいたものですから、つい……。ミスター・パターソンはそれはもう、農業と牧畜に情熱を注がれたものでした。頼りになる領主さまでしたよ」

「まあ、父さま、天国で喜ばれているわ。ありがとう」

 涙ぐむメアリと、オスカーを交互に見つめながら、農夫はにやりと笑う。

「早く、旦那さまと奥さまの赤子も見てみたいもんですな」

――またその話かよ。

 オスカーは感激するメアリの腕を取り、引っ張るようにして馬車に乗せる。屋敷に帰って遅い晩餐をとると、会話もないまま、疲れ果ててすぐに就寝した。

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