第7話 終戦4

 ビアズリーの両親はふもとの村の小作農だったわ。わが家の農地を耕して暮らしていたの。屋敷がパーティのとき人手が足りないから、ビアズリー夫人が臨時メイドとしてときどき働いたわ。

 わが家の恥なのだけれど、そのころ後継ぎの父のほかに、弟――わたしの叔父がいた。もう三十年も前だから、わたしは知らないのだけれど、若かった叔父は男前でとってもモテたみたい。社交界でもいろんな令夫人と関係を持った、という噂ばかり。

 そのなかにある男爵夫人がいて――彼女はスペインから嫁いだ美しいご婦人で、叔父はすぐに夢中になったの。だけど、男爵夫人というのはまったくの偽りで、某国のスパイだった――といっても、それはあとでわかったことで、今となってはビアズリー夫人に罪はなかったのを、みんな知っている。

 ある日、突然、屋敷に刑事たちが来た。そして叔父の部屋と持ち物を調べて、カードケースから暗号文を見つけた。それが証拠となって、某国のスパイの容疑をかけられたけれど、逮捕はされなかった。手錠をかけられたのは、ビアズリー夫人よ。

 ビアズリー夫人はその日、たまたま臨時のメイドとして、叔父の部屋を掃除した。その前日、叔父は屋敷に帰宅して、それから部屋に入ったのはビアズリー夫人だけ。叔父は某国との関係は一切、なかったし、友人や知人、クラブにもそれらしきつながりはなかった。

 そのカードケースは、男爵夫人が叔父の誕生日プレゼントとして、いっしょにロンドンの商店で購入した小物よ。その場で店員がラッピングをして、叔父に手渡したから男爵夫人はいっさい、カードケースには触れていない。

 その新品の小物に手を触れることができたのは、叔父のほかに――そう、ビアズリー夫人。刑事は彼女を逮捕して、スパイとして裁き、監獄に入れ、刑期が明ける前に獄死してしまった……。

 昔は盗みがあれば、使用人が疑われたわ。ビアズリー夫人の言い分は、まったく聞き入られなかった。某国のスパイの仲間だと、濡れ衣を着せられたことになるわね。


 ここでメアリは、言葉を区切り、ビールを飲んだ。グラスを置く。

「……あとはもう、ご想像どおりよ。ビアズリー家は村を出ていった。だけど九年前、ビアズリーが従僕として転職してきた」

「なぜ雇ったのです?」

「そのころは、真犯人が判明していたの。カードケースを売っていた商店のあるじ――彼と男爵夫人は仲間だったというわけ。別のスパイ事件で、店主が逮捕されて男爵夫人と偽った女スパイも捕まった。働き口がない、というビアズリーを、雇わない理由はなくて?」

「そうか。深い事情があったようですね」

「ポーラはビアズリーの母親のことを、彼から聞いたみたい。わたしもだけど、ビリーもビアズリー夫人の件を知らなかった。父が箝口令をしいて、その話題はいっさい、表に出さなかったわ」

「先代が亡くなったあと、メアリさんたちはビアズリーから聞かされた、というわけですか」

「ええ。父の葬儀が終わると、やつは豹変した。仕事をしないのに給金を三倍にさせ、ビリーがそれを咎めたら、ビアズリー夫人の濡れ衣の件を世間に広める、って脅されたの。父さんの形見も勝手に売り払った。わたしとビリーはあいつを嫌ってたわ。でもポーラだけはちがった。たくさんの貴公子に求婚されていたのに、どうしてあんなやつに同情を……」

 メアリは涙こそ見せなかったが、力なくうなだれるだけだった。

――まいったな。首をつっこまないほうがよかったような……。

 オスカーは複雑すぎる事情と、ビアズリーの憎悪に距離を置きたくなる。だが、パターソン屋敷と領地が下品で卑怯な庶民の手に渡り、さらに売り払われる事態に腹立たしくもあった。

 シチューを食べ終え、感想を口にする。

「メアリさん。とても美味しかったです。僕の母さんが、昔作ったシチューを思い出すよ」

「ありがとう。伯爵夫人がお料理をなさるの?」

「社交界では有名な話ですけど、メアリさんはそういうのに顔を出さないんですね」

「どういうこと?」

 オスカーは話した。若かった父が旅行先で母と出会い、ともに旅をするうちに恋に落ちた。その母はアメリカの庶民だった。だが、先代伯爵である祖父が許すはずもなく、ふたりは駆け落ちした、と。

 元気のなかったメアリの頬が、バラ色に染まる。

「まあ、素敵! そんなロマンスが本当にあるなんて! ああ、うらやましいわ。恋したひとと結ばれる。しかも貴族の御仁と」

 オスカーは苦笑せずにいられない。みな、同じように夢見るような言葉を口にする、と。実際は甘くない生活が待っていたのだが、それは当事者以外には見えない世界である。

「あの、メアリさんは、その、ご結婚はしない、とおっしゃいましたけど」

 その話題に触れられたくなかったのだろう。彼女は眉間を曇らせる。

「……聞いていたでしょう。財産目当ての御仁はお断りって。だけど私はきれいじゃないし、もう三十歳。愛のある結婚を望むほど世間知らずじゃないわ」

「しかしですね。すぐに婚約でもしておかないと、屋敷も領地も失ってしまいます。財産目当てでもいいじゃないですか。なんなら、僕の知り合い――んん、待てよ? 僕も社交が苦手だからなあ。かといって、ジョン兄さんに借りをつくるのも……」

 ほかに良案がないかとオスカーは考えるのだが、メアリの結婚しか浮かばない。おのれの知恵のなさにがっかりする。

「……ああ、すみません。せっかくお訪ねしたのに、いい案がなくて」

「ううん。いいんです。こうして、心配してくださっただけで、わたしはうれしいの。生まれ育った屋敷を出ることになっても、オスカー爵子のことは忘れません。親身になってくれたのは、あなただけですから」

「メアリさん……」

 目の前の彼女は孤独だった。最愛の弟は死に、妹は家を破壊する男と結婚。使用人たちまで去り……。

――ああ。何のために僕は、はるばるパターソン屋敷に来たのか。

 心配のあまり、衝動的に訪ねたまではよかったが、おのれの不甲斐なさを責めずにいられなかった。



 翌朝、パターソン屋敷に不動産屋がやってきた。居間ではビアズリーとポーラが笑顔で、売価を交渉している。

 その光景を、距離を置いて見つめるメアリ。すでにあきらめたのか、静かに立っているだけだった。彼女の隣で、オスカーは苦い思いをするしかない。

 不動産屋の男が言った。

「では、交渉成立ですな。代金のお支払は後日、こちらの口座に――」

「いや、まだ成立していない」

 ビアズリー、ポーラ、メアリがオスカーを見た。

「ええと、こちらは?」

 不動産屋の男に、ポーラが言った。

「オスカー爵子です。姉の友人ですわ」

「さようですか。で、この金額では納得できないとおっしゃりたいのでしょうか?」

 オスカーは咳払いし、意を決して告げる。

「ミス・パターソンと僕は婚約した。明日にでも結婚しようと思う。だから、所有権は僕にあるはずだ。売り払うことは許さない」

 一瞬、居間が静まり返る。

 目を丸くし、ビアズリーはオスカーを指差す。

「お、おいっ! おまえら、どう見てもそういう仲じゃなさそうだぞ!」

 ポーラがメアリの肩を揺さぶる。

「ね、姉さんっ! 結婚しないって言ってたじゃない! しかも二度しか会っていない御仁と。それこそ財産目当てだわっ!」

 オスカーは冷静になるも、遅かった。突然、婚約者にされたメアリは、恥をかいたはず。そのまま平手打ちをされてもおかしくない。

――今の発言はなかったことに。

 と、慌てて謝罪しようとしたら、メアリはほほ笑みを返す。

「ええ、そうよ。わたしたち、結婚するの。だから、悪いけれど、帰ってくださらない。屋敷も領地もわたしと夫のものだから」

 てきぱきと書類を片づけ、不動産屋は居間を出る。

「では、これで。また売りたくなったら、いつでも連絡をください。おまちしております」

「ええ、ごくろうさま」

 とびっきりの笑顔でメアリとオスカーは不動産屋を見送る。ビアズリーとポーラは、しばらくその場で「納得できない!」わめいていた。

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