第6話 終戦3



 記憶にあったパターソン屋敷は静かなたたずまいのなかにあったが、門前の変わりように驚く。『普通選挙のつぎは、労働者のための内閣を!』と書かれたポスターが、レンガ壁を覆うように何枚も貼られ、正面玄関へと続く道にはオートバイが四台停まっていた。

 花壇の手入れはされておらず、鶏たちがきままに歩いていた。糞だらけで家畜小屋のような臭いがする。

 オスカーは正面玄関に立ってベルを鳴らす。出てきたのは、少女メイドだった。

「あの、メアリ嬢にお会いしたいのだが」

「呼んでまいります。なかでお待ちください」

 そう言って、名刺を手にしたメイドは、さっと庭を駆けていった。門を出ていく。

 玄関ホールに入るなり、ジャズの音響が流れ、にぎやかしい声が聞こえた。ポーラらしき女の声がしたので、居間に顔を出してみる。

「あら、いらっしゃい。オスカー爵子!」

 オスカーは絶句する。

 蓄音機でレコードが回転し、腕がむき出しになったドレスの女がいたからだ。ボブカットの髪に羽根を飾り、真っ赤な唇から煙草の紫煙を吐き出す。ドレスは膝丈で、腰のくびれはない。戦前だと娼婦扱いされない格好である。そんな彼女を世間では、フラッパーと読んでいる。

 そんなポーラの肩を抱くのが、夫のビアズリー。野戦病院で見たときは薄汚れた兵士だったが、地主になった今は丈の短いスーツ姿だ。流行である、派手なストライプ柄のネクタイを締めている。

 ほかの三人の男たちは、ビアズリーに酒を注いだり、音楽に合わせて踊っていた。

「よお、俺の親指を切った先生じゃねえか! 奇遇だなあ」

 と、なれなれしく肩を抱かれる。

 反射的にその手をどけた。

「きみに会いにきたわけじゃない。メアリ嬢と話がしたいんだ」

 ポーラが唇をとがらせる。

「メアリ姉さんが呼んだのね。わたしたちの結婚、猛反対していたから。今度は離婚の相談かしら」

 オスカーはビアズリーにグラスを手渡される。ワインを注がれた。

「飲めよ、先生。貴族の時代は終わったし、地主の権威に庶民はうんざりしている。だから今度は、俺が農民のためにこの屋敷を使う。その打ち合わせのさなかだ」

「飲んで踊っているだけにしか見えないが……」

「堅苦しいと自由な意見が出てこないだろう? そうだ、サム。さっきおまえが言っていた、応援事務所の件、先生にも意見してもらおうか」

 オスカーがたのみもしないのに、ビアズリーとポーラが屋敷の利用内容を、熱く語った。どうも彼らはパターソン屋敷を、労働党の応援支部にしたいらしい。今度の選挙で何がなんでも労働党に投票させるよう、運動を展開するのだという。

「でな。領地を売った金で、労働者のための新しい国を作るのさ。金持ちがさんざんいい思いをしてきたから、つぎは俺らの番だ」

「そうは言ってもビアズリーどの。きみはパターソン家の領地をだれに売るつもりだい? お金持ちが買ってしまえば、それが新しい領主になるだけじゃないか。収入がなくなるぞ。その後は?」

 ワインを飲みながら、オスカーがそう意見してみたら、ポーラが笑顔で答える。

「わたしが働くわ。夫にしがみつく主婦は古いの。新聞社へ記事を売って、労働者だけでなく女性の権利を社会に訴えていくつもり」

「ずいぶんと急進的なご夫妻だな……」

 オスカーは呆れ、それ以上、話を聞く気になれなかった。そして思った。

――ポーラ嬢はビアズリーに利用されている?

 パターソン家に後継ぎはない。だから令嬢ポーラの夫、ビアズリーが領地を管理していることになる。息子が生まれれば、彼が新しい領主だ。その前に領地を売ってしまえば、パターソン家は消失し、息子は領主でなくなる。ただの庶民である。

 本当にそれでいいのかと、オスカーはいぶかしむのだが、ポーラの屈託のない笑顔と話しぶりがかえって怖かった。

――嘆かわしいことだ。長い歴史を私たちが支えてきたというのに。

 以前、新聞を読みながら、父がぽつり、と、そう漏らしたのを思い出す。

 終戦前からめまぐるしいほど、社会が変化した。成人男性に普通選挙権が与えられ、女性たちは自立を目指す。ファッションは型破りなほど開放的になって、ドレスに興味がなかった母が、眉をしかめるほどだった。使用人たちは自由を求め、屋敷にもどってこない者がたくさんいたし、自動車が馬車に代わって町を走る。恐ろしいスピードで。そんな光景をあざ笑うかのように、アメリカ産のジャズ音楽が軽やかに流れていった。

 そしてビアズリーのような労働者たちが、社会変革を求めて運動をさかんに繰り広げていた。ときには警官たちと衝突するほど過激だった。

 しかし、過去をなつかしんでいても仕方がない。現実は変わったのだ。

 オスカーは「興味深い話をありがとう」とだけ言って、あとは無言を貫いた。

 居間にズボン姿の女性――メアリが入ってくる。ポーラたちを見るなり、彼女は叫ぶように言った。

「お願い! 帰ってちょうだいっ!」

 眉ひとつ動かさず、ビアズリーが答える。

「帰るもなにも、ここは俺らの家だが」

「いいえ、あなたはパターソン家の人間なんかじゃないわ。こうやって屋敷を汚している。町にお帰りなさい!」

 ポーラは蓄音機の針を止め、肩をすくめる。

「ここはわたしの家でもあるのよ。ダンは夫。出ていくのは姉さんのほうじゃないかしら」

「あなたたちは領地まで売ろうとしているのよ。そんな状況で、出ていけないわ。ビリーが悲しむと思わないの?」

「ビリーはもういない。悲しむなんてありえない」

「いい加減、目を覚ましなさい、ポーラ!」

 平手打をしようとするメアリだが、その手をビアズリーがつかむ。静かに、しかし声色低く、彼は言った。

「……メアリ義姉さん。言ったでしょう。屋敷と領地は俺たち夫婦のものです、と。ご不満があるのなら出ていってください」

 ポーラが声高く笑う。

「あはは。姉さん、結婚すればいいじゃない。そうすれば出ていかなくてすむわよ」

「領地目当ての夫なんて、わたしはお断りだわ」

「断るもなにも、姉さんは男嫌いじゃないの。オークス氏みたいな男に振られたぐらいで、笑っちゃう。そんな地味な格好をしているから、見くびられたのよ」

 ビアズリーが鼻で笑うように言った。

「そういうわけで、屋敷と領地は俺らがしっかり管理しますから。将来のためにしっかり活用します。ご心配なさらずにお過ごしください」

「ぬけぬけと嫌味ばかり……」

 口元をゆがめ、メアリは居間を出ていく――のだが、オスカーと視線が合った。われに返ったように、彼女は笑顔を向ける。

「ごめんなさい。頭に血が上ってしまって、ごあいさつを忘れてましたわ。別室にご案内しましょう」

「ええ、そのほうがよさそうですね……」

 オスカーはメアリのあとをついて、屋敷を出ていった。行き先は近くの使用人小屋だった。



 かつて執事夫妻が住んでいたという、その小屋には台所があった。メアリが小さなオーブンの上に鍋を置き、ふたりぶんのシチューを作る。そのあいだ、オスカーは屋敷の周囲を散歩した。庭は荒れ果て、使用人らしき人間は見当たらない。ビアズリーが給金を払わないのか、使用人という存在を拒否しているのか……。

 小屋に帰り、狭い食卓につく。少し早めの夕食をいっしょに取りながら、話をした。

「メイドはあの少女だけです? ほかに使用人を見ないですし、執事もいなさそうですが」

 深いため息とともに、メアリは言った。

「ええ……。ビアズリーが解雇したの。必要ないからって。町の不動産屋を呼んでいたし、もうすぐここはなくなる。わたしは出ていくしかない」

「そうでしたか。僕もビアズリー氏に忠告したのですけれど、今後はポーラ嬢が働いて収入を得るそうですね。ご婦人が社会進出したといっても、まだまだ働く場も給金もたかが知れています。無謀としか思えません」

「そう。始めからあいつはそれを狙っているの。パターソン家に復讐をするために」

「復讐?」

 匙を置いたメアリは、考えるように視線を落とした。

 やがてまっすぐオスカーを見つめ、言った。

「オスカー爵子。まさかいらしてくださるなんて。うれしいわ。手紙の返事があればいいほうだと、思っておりました。だからわが家の恥をお話しします。他言しないことをお約束してくださいますね?」

「ええ、それはもちろんですが……」

 神妙な表情をしたまま、メアリが語る。

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