第4話 終戦1



 長期休暇を終えたオスカーは、再び野戦病院で働くことになる。

 イギリスを出国し、ドーバー海峡を越え、フランスのカレーに到着する。それから西部戦線へ向けて、さらに列車を乗り継ぐのだが、以前と空気がちがった。

 一九一七年にロシア革命が起こり、翌年の始めロシア軍は前線から撤退した。東部戦線を勝利したドイツ軍が、フランスとイギリス軍へ猛勢をかけたのだが、そこで体力を使い果たしたらしい。補給もままならず、八月のマルヌの戦いで連合国軍が大勝利した。

――ついに戦争が終わりそうだ!

 さらに参戦したアメリカ軍が、つぎつぎとドイツ軍を敗走させ、トルコ、オーストリア、ハンガリーは降伏する。西部戦線はほぼ連合国がわに落ちた。

 ……そんな伝聞を数え切れないほど耳にした。

 秋が深まり、十一月に入った。オスカーは野戦病院から退き、基地部隊に帰った。軍医たちと交代で短い休暇を取っていたさなかだった。

――連合国軍が勝った! 世界大戦が終わった!

 到着するなりそんな朗報が基地内を駆けめぐる。

 オスカーだけでなく、その場にいる男たちは皆、涙する。そして歓喜する。

 そんな熱狂のなか、予想だにしなかった男の声が聞こえた。

「おい、リトル? やっぱりそうだなっ! おまえ、無事だったのかっ!」

 肩ごしに振り返ると、そこにいたのは――。

「ジョン兄さんっ! 偽物じゃない、よな?」

 兄がそばへやってくる。右足を軽く引きずっていたが、あとは無事らしい。なつかしい笑顔だった。記憶よりずっと痩せてはいたが。

「おまえのことを、『リトル』と呼ぶやつがほかにいるか?」

「そうだよな。そうだ、そうだ!」

 まさかの再会に、兄弟は固く抱き合って喜びを噛みしめる。そして狂ったように笑い続けた。

 オスカーは少年時代、家族から「リトル」と呼ばれていた。父と同じ名前だったからだ。しかしあまりにも子供っぽいから、大学に進学するころ、家族に「そう呼ぶな」と止めさせた。

 しかし、今、そんなことはどうでもいい。

 夜、士官食堂でいっしょに夕食をとりながら、兄は今までのできごとを語ってくれた。

「あの日、部隊に砲弾がいくつも直撃して、全滅した。撤退が間に合わなかったんだ。みな死に、僕もそのなかのひとりになるはずだった。でも、目が覚めたら生きていたのさ。しかし、最悪なことに僕だけだった。右足をやられたから、瓦礫にあった枝をつきながら、なんとか脱出した。動くジープがあって助かったよ」

「まさかドイツ軍に捕まっていたとか……」

「ならば生きてないだろう。夜明け前、農村にたどり着いたんだ。運の良いことに、まだ住人がいた。そこで、僕はその地下室で世話になったのさ。帰国したら、たっぷり謝礼をすると約束している」

「そうだったのか。心配させるなよ。どうしてすぐにもどらなかった?」

「…………それはだな」

 周囲を見回し、ジョンがオスカーに耳打ちする。

「僕はもう、戦場にもどりたくなかった。怪我が治っても、ほら、復帰させられるだろ。やってられない。頭を強打して、しばらく記憶を失ったことにしている」

「ええ……。兄さんらしいな……」

 オスカーは乾いた笑いしか出てこなかった。

 ジョンは少年時代、貴族の血に反発していた。本当はアメリカでカウボーイとして生きたかったのに、有無を言わせずイギリスへ連れてこられたからだ。それもあって、パブリック・スクール時代、ひどく荒れたことがある。

 ようやく現実を受け入れたと思っていた兄だが、まだ心の片隅で反発しているようだ。

「ジャックは?」

「ソンムで死んだ」

「そうか……」

 それきり兄ジョンは弟ジャックのことを口にしなかった。つらそうにうつむくだけである。オスカーもそれ以上、話せなかった。

 正直なところ、ジョンは死んだと思っていた。行方不明のまま、前線で消えた兵士が数え切れないほどいるからだ。生きていることはほとんどなかった。



 ジョンが先に帰国した。陸軍を除隊する直前、兄は昇格し、ローレンソン大佐として勲章を授かった。思いがけないジョンの帰国に、今ごろ故郷の家族は歓喜しているだろう。父と母が安堵して泣きくずれる姿が目に浮かぶ。

 基地部隊に残ったオスカーは、怪我がひどくて自力で帰国できない兵士たちを手当した。腕や足がない者、顔が変形した者はまだいいが、最悪だったのがベッドから起き上がれない者だ。看護兵たちが総出で担架に乗せ、列車へ運ぶ。

 帰国した負傷兵の行き先は療養所である。おそらく生涯、傷痍兵として彼らはそこで過ごすのだろう。

 オスカーが軍を除隊し、帰国したのはクリスマス直前だった。暖かい家族の団欒が待っている――と期待したが、次に待っていた現実は食料の高騰と不足だった。

「ちぇっ。オスカー叔父さん、ケーキのひとつぐらいみやげにしろよ。このままだと、わが家も今年はプディングすらないんだぞ」

 居間で顔を合わせるなり、不満いっぱいの口調でセシルが言った。

「なるほど。小麦すらないのか。困ったな」

 たしなめるようにジョンがあいだに入る。

「おい、セシル。叔父さんの無事を喜ぶのがまず先だろうに。僕が不在のあいだ、ずいぶんと生意気な口をきくようになったな」

 父であるスプリング伯爵が、苦笑する。

「まあ、まあ、ジョン。母親もおまえもいなくなって、セシルは寂しかったんだ。少しぐらい甘えさせてもいいじゃないか」

 母も笑う。

「ジョンが帰ってきて、あたしは安心したわ。父さんったら、セシルを立派な後継ぎに育てないと、って心配ばかりしてたもの」

「父さんも母さんも、僕が死んだと決めつけていたのか。まあ無理もないな。僕も生きて帰れるとは思っていなかった。知っている者はほとんど死んだ。運が良かったんだ」

 思い出したように、父がジョンへ問いかける。

「おまえ、記憶喪失になったそうだな。それまで世話になった、農家へ謝礼はすませているのか?」

「いいや。この物価高騰だ。落ち着いたらするよ」

「え、兄さん? たしか記憶喪失じゃなく――あいてっ!」

 オスカーはジョンに思いっきり肩を小突かれる。そしてぐりぐりと頭を拳で攻められた。

「あははっ! 久しぶりの兄弟げんかでもするか、リトル?」

「そ、その呼び方はするな!」

「戦地でいろいろあった。おまえとならあのときのことをゆっくり話せる。さあ、僕のために時間をくれ」

「……そ、それはいいけど。どうして記憶――ぎゃっ!」

 足を踏まれる。ここでも頭をぐりぐりと容赦なく攻められた。

 ケンカをしても兄に勝ったことは一度もない。仕方なく、事情を聞くためにいったん、居間を出て、オスカーの自室に入った。

 ドアを閉めるなり、人差し指を唇にあてながら、ジョンは言った。

「いいか。誰にも言うなよ。もし父さんに、僕が卑怯な真似をした、と知られてみろ。病気が悪化してしまう」

「ええ? 父さん、そんなに悪いのか?」

「血圧がかなり高い。興奮させたら、そのままあの世行きになりかねない、と医者に言われた。だから今後は、おまえが父さんを見守って欲しい」

「この前の長期休暇のとき、具合が悪いなんて、僕にはひと言も話さなかった」

「自分のために、おまえを屋敷へ留めておくわけにはいかなかったのだろう。それでなくても、白い羽を渡された件で、わが家の権威が落ちかけた。父さんなりのプライドだ」

「……」

 その白い羽を渡されたのは、自分だ。

 悪評が広まりかけたころ、逃げるように故郷を出て、野戦病院に行った。陰で父が苦心していたのを知らなかった。

「ま、そういう面倒くさいプライドなんか、くそくらえ、と僕は思っているがな。生き残った者の勝ちだ。ジャックは優秀で真面目すぎた。だから運命だと、僕は思うようにしている」

 そこでジョンは部屋を出ていった。

――僕は兄さんのように、ジャックのことは割り切れない。だって大切な弟じゃないか。子供のときから、いっしょに遊んで食べて、笑って……。

 そう言いたかったが、やめておいた。

 翌日のクリスマス・パーティには、親戚であるリスター夫妻も参加した。長い戦争で疲弊していたのはリスター家も同様で、物資の不足と高騰で本業の貿易業が傾きかけているのだという。

 それでも、会長であるブランドン・リスター氏が幅広く商売をしていたおかげで、なんとか戦時を乗り越えた。しかし娘婿と孫息子を失ってしまったことで、リスター夫妻に笑顔はなかった。

 オスカーの叔母、レディ・クレアが持参してきたプラムケーキが、一番のごちそうだ。それを食べながら、最悪だった戦争のことと、これからのことを語り合った。

 スプリング伯爵が大きなため息をつく。

「ああ、きみも家族を失ったのか。おたがいつらいな」

 水で薄めたワインを飲みながら、リスター氏がうなずく。

「キャロルがひどく落ちこんでしまってね。夫と息子を亡くしてしまったんだ。僕はどう慰めるべきなのか、わからない」

 レディ・クレアが涙を流す。

「……アーサーはまだ十六歳だったのよ。十八歳と偽って、入隊したの。わたしとブランドンさんが知らないあいだに。アーサーの同級生もほとんど戦死したというし」

 戦争が始まると、パブリック・スクールの上級生たちは、教師とともに陸軍へ志願したという。高貴なる者の義務を果たすためだ。十八歳未満は入隊できない決まりだが、軍人が不足しているなか、年齢を偽ることは入隊拒否の条件にならなかった。

 ジョンが眉をひそめる。

「キャロルが顔を出さなかったのは、そのためか。あの勝ち気な令嬢が……」

 母が悔しさをにじませた。ハンカチで目頭を押さえる。

「みんな戦争のせいよ。クリスマスまでに帰れるはずが、家族を失っただけ。勝っても喜びなんかないじゃない」

 静かに父――伯爵が決意を口にする。

「二度と戦争をしないよう、貴族院の議会で意見をしておこう。政治には興味ないが、さすがに無関心でいる時代は終わった。私なりにできることを考えなくては」

 リスター氏が目を丸くした。そして、こらえきらないように吹き出す。

「何がおかしい?」

「は、伯爵から、そんな言葉が出てくるとは。遊び人のイメージが、どうしても抜けきれなくて……あはは!」

 セシルが呆れた表情をする。

「お祖父さまの若いときの話、本当だったんだ。伊達男を追求しすぎて、リスター氏に借金をしていたって。同級生のお祖父さまがそう言ってたの、誇張かと思ってた」

 父は頭を抱え、母も笑う。

「私の貴公子時代の話は、もういいだろ。あれはだな、まだ世間知らずで、貴族の権威が強かった時代なんだぞ」

「あははっ! そうね、若いあなたはとっても、ダンディだったわ。見栄を張って、詐欺師にお金を取られたほど!」

「だ、か、ら、もう、昔の話は…………。ああ、クレアまで笑うのか?」

 困惑する父がおかしくて、オスカーも笑った。久しぶりに家族に団欒がもどった。

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