第3話 軍医オスカー3



 午後三時を回ったころ。

「まあ、ビリーのお知り合いなの?」

「さようでございます」

「お会いしたいわ」

 執事と若い女性の声がしたかと思うと、客間のドアが開いた。

――メアリさん?

 オスカーを見つめている令嬢は美しかった。ボブカットに切りそろえられた金髪は、柔らかいカールとなって輪郭を包み、唇は桜桃のように愛らしい。青い瞳を縁取るまつ毛は長く、眉は優しげな曲線を描いていた。服装はグレーのワンピースだが、彼女が着ると喪服には見えないほど映えていた。シンプルさがかえって、美しさを引き立てている。パターソン中尉が慕うのもわかる気がする。

「ねえ、ビリーはわたしのこと、何か言っていた?」

「ええ。メアリ姉さんに、これを、と僕に腕時計を託されました」

 笑顔だったメアリの表情が曇る。

「……そう。最期までビリーは、メアリ姉さんが好きだったのね。がっかり」

「メアリさんじゃないのです?」

「わたしはポーラよ。ビリーの姉でメアリの妹。残念でした」

「そ、そうでしたか。すみません、ごあいさつをせず。かんちがいしてしまいました」

「で、あなたはスプリング伯爵家の人? 名刺のお屋敷がそうだったわ」

「ええ、まあ」

「もしかしてウォリック子爵かしら」

「いえ、それは兄です」

「じゃあ次男さん?」

「はい…………」

 目を輝かせたポーラだったが、一気に消沈した。冴えない表情になる。

「なあんだ。あのハンサムな子爵さまが、わが家を訪問したかと期待したのに。それでなくても、田舎は退屈なのよ。楽しませてちょうだい」

「僕は旅芸人じゃないんですけど」

「似たようなものよ。上流階級って、着飾ってお上品ごっこをしているだけじゃない。そんな連中に税金ばかり取られている、労働者はごまんといるの。少しぐらい嫌味だって言いたいわ。だいたいね、戦争だってあなたたちが勝手に決めたのよ。庶民は戦争なんて、したくないんですから。そう、スプリング伯爵にお伝えして。いいわね」

「……初対面で言うセリフですか、それ」

「絶好の機会だからに決まってるじゃない」

「怖いもの知らずだな。そのうち、痛い目を見ても知らないぞ」

「だってあなた、見るからに弱そうだもの。わたしだってバカじゃないわ」

 明らかに気分を害したといわんばかりのポーラ。不機嫌丸出しの表情を残し、客間を出ていった。

――それはこっちのセリフだ!

 口達者で生意気な令嬢を、オスカーは嫌悪せずにいられない。

――だからご婦人は苦手なんだよな。

 と。

 メアリ・パターソン嬢は午後四時半に帰宅した。客間でオスカーが形見の腕時計を手渡すなり、わっと泣き出す。

「うう、ビリーが……。ありがとう、オスカー爵子。あなたが看取ってくださって、弟も浮かばれます。戦場で寂しく死んだんじゃなかったのね。よかった」

 メアリは妹ポーラとちがって、美人ではなかった。そばかすだらけの頬と、くせの強い金褐色の短い髪。農夫のようなズボン姿。色気はまったくない。

「ではミス・パターソン。これで失礼します」

 泣きはらした顔を上げ、メアリは驚いたように言った。

「え? 帰られるの? 遠方からいらしたのに?」

「もう遅いです。列車の時間がなくなる前に帰らないと」

「お泊りになってよろしいのよ。ビリーの大切なお知り合いだから、うんとごちそうします」

「でも……」

――あのポーラ嬢がな……。

 オスカーはうんうんと、断りの理由を考える。

「僕らは親しくありませんし」

「どうして? これから親しくすればいいわ。ビリーのことお話してくださらないかしら」

「そうはおっしゃっても、亡くなる直前しか話せなかったのです。これ以上、どうお話すればいいのか」

「それでもいいの。戦場がどんなところなのか、わたしに教えてくださらない? ビリーが戦った世界を知りたい」

「……」

 これ以上、断ってしまうと、弟を失ったメアリを悲しませてしまう。本意ではなかったが、一泊だけすることにした。



 晩餐は老執事と少女メイドが給仕をした。下男と従僕はみな、戦場へ行ってしまい、残ったメイドたちも町の工場へ働きに出たという。男が足りない今、給金が良い働き口へ使用人たちが転職してしまう。どこの屋敷も同じだった。

 メイドが不足している屋敷の晩餐を作るのが、メアリの仕事だった。彼女は朝から夕方まで男手のない農場で働き、夜は屋敷の家事をする。空席の領主代理として采配していた。ズボンを履いていたのも、女だからと見下されないためだという。

 メアリが話すに、パターソン家は郷士――ジェントリで、ウィリアムが領主だった。先代の父は六年前、病死し、長男である弟が後を継いだ。少年の領主を補佐したのが、八歳年上の姉、メアリだという。

「ビリーがいなくなったから、後継ぎはいないの。このままだと、パターソン家は途絶えるわ」

 豆の煮込みを食べながら、メアリはため息をつく。その隣でポーラは卵料理をつついていた。

 オスカーは素朴な質問をする。

「だったら一日でも早く、ご結婚されることです。その息子さんが後を継げばいいじゃないですか」

「みな、そう言うわ。でも、ポーラの婚約者は三年前、戦死してしまった。つぎは半年前。補給部隊の少佐だから、今度こそ帰還すると思っていたのに、チフスにやられた。悲しい思いを三度もさせたくないの」

「つまり、二度とも婚約者が亡くなったと?」

「そう。このご時世だから、ポーラだけじゃないのは承知しているけれど……」

 メアリは言葉を詰まらせるのだが、婚約者を失ったポーラは平然と晩餐を食べていた。まるで他人ごとのように。

 喪服姿の美しい令嬢だったが、その冷たさに、オスカーは薄気味悪くなる。婚約者でもない姉が悲しむのが、滑稽としか言えなかった。

「メアリ姉さん」

 フォークを置いたポーラは面白くなさそうに言った。

「もうその話はやめて。お客さまには関係ないことよ。それより、姉さんこそ結婚しないの? うちは後継ぎがいないから、社交界に出たら引く手あまたよ。今がチャンスじゃない」

 メアリが苦々しい言葉を返す。

「……要するにお金目当てでしょうに。そんな御仁、こちらからお断りよ。そういうのはもうこりごりなの」

「じゃあ結婚しないのね。わたしもしない。これでわが家は終わり」

「だめよ。あなたには幸せになってもらわないと。せっかくきれいに生まれたんだから、素敵な家庭を作って欲しいの」

「だったら姉さんがそうしなさいよ」

「わたしは無理。美しくないもの。でもポーラはちがう」

「またそれ? 言っておくけど、あのときはミスター・オークスが言い寄ってきたの。それがお得ってこと? そんなにあの人のことが好きだったのなら、わたしに譲らなきゃよかったじゃない。姉さんは逃げているだけね」

「ポーラと結婚したほうが、わが家のためになると思ったからよ。妻は夫に愛されてこそ、幸せになれるの」

「姉さんのそういう偽善ぶりが、いらだつの!」

 ばん、とテーブルを叩いたポーラ。気を落ち着かせるように、ワインを流しこむ。

 会話から察するに、メアリはオークスという紳士と婚約したのだが、彼はポーラを好きになってしまった。夫に愛されなくなることが怖くなったメアリは、ポーラと婚約させたのだろう。

 しかしそのオークスは、戦場で死んだ。一度目か二度目、どちらの婚約者なのか知りたくなるも、とてもきける雰囲気ではなかった。

 話題を変えたくなり、オスカーは弟のことを話した。

「ジャックはソンムの戦いで死にました。大尉でした。僕は野戦病院で働いていましたが、数え切れないほどの負傷者と死体を見てきました。弟もそのなかのひとりです。戦争だから仕方がないといえ、いつまで続くのでしょうね」

 ため息まじりにメアリが答える。

「そうね。新聞記事は真実を伝えないし。とにかくどちらが勝ってもいいから、戦争は終わって欲しい」

 ポーラが反論する。

「どちらでもいいって、ドイツになんか負けてどうするというの? だいたい戦争を始めたのはあいつらじゃない」

「ポーラ。お客さまの前よ。乱暴な言葉はよして」

「いいえ。姉さんはお人好しすぎる。そんなだから、つまらない男と婚約してしまった。今だから言えるけど、わたし、オークスさんは好きじゃなかったわ。すごく退屈な御仁だったもの」

「真面目で優しい方を、退屈だなんて言うの?」

「あっさり婚約者を変えたんだもの。どこが優しいの?」

「それは……」

「戦争が終わったら、わたしは自由に生きる。だから結婚相手も、わたし自身で見つけるつもり。いいわね」

 ここで会話が終わった。姉妹は無言で残りの料理を食べる。客であるはずのオスカーの存在はないに等しかった。



「ごめんなさい。楽しくない晩餐にしてしまったわ。せっかく、ビリーの形見を持っていらしたのに。謝罪してもしきれない」

 食後、チコリで作られた代用コーヒーを飲みながら、メアリがわびた。ポーラはいない。晩餐が終わるなり、自室ですごしている。

――はい。とても楽しくなかったです。

 率直にそう答えたくなるが、ぐっとこらえ、社交界で使う笑みを浮かべてやる。

「まあ、ご家族を亡くされたばかりですし。僕の家族も似たようなものです。笑ってすごしたのが、遠い昔のようですね」

「お優しいのね。お察しのとおり、わたしとポーラは仲が良くないの。あの子、とても美しいから、上流階級の貴公子と結婚できるように、わたしは手を尽くしたわ。でも、だめだった。それどころか、社会主義思想に染まりかけてしまって……。こんな姿、天国の父さんが見たら許さないはず」

「そうでしたか。だから労働者の不満とやらを、僕にぶつけてきたのか」

 メアリは目を丸くする。

「そんな! ポーラったら、初対面のオスカー爵子に失礼なことを! ごめんなさい、ごめんなさい……」

 こらえきらないのか、わっとメアリが泣き出す。客間の隅で見守っていた執事が近づき、オスカーへ退室するよう、耳打ちした。

 しかしもどることができない。なぜなら、メアリを見ていると、弱りきった母を重ねてしまうからだ。

 健気で働き者で、家族の幸せのために奔走する。

 幼いころの記憶に漠然とだが、そんな母の姿があったのを思い出す。ずっと昔、父と駆け落ちした母は、アメリカの大地で必死に生きていた。たくさん苦労をして牧場を作ったのだと、少年時代、兄から何度も聞かされた。

「泣かないでください。僕は気にしてませんし、ポーラ嬢がおっしゃる気持ちもわかります。それだけ今の戦争は、多くの人を死なせ、苦しめている。一日でも早く、平穏がもどることを祈りましょう」

「ええ……、ええ……」

 両親と弟は他界し、ゆいいつ残った肉親の妹とは不仲。

 そんな彼女の孤独をいたわるように、オスカーはメアリの肩を抱いてやる。友人としてできるのは、それぐらいしかなかった。

「社会主義思想だって、いっときの熱病みたいな運動です。みな、不安だから僕らにぶつけているだけにすぎません」

「そうおっしゃてくださるだけで、心強いわ。それもこれも、ビアズリーのせい――って、また愚痴をこぼしてしまったわね」

「ビアズリー……」

 その名前に聞き覚えがあった。たしか、ウィリアム・パターソンが拒絶した、あの軍曹……。

「え? 知ってるの?」

「彼も野戦病院にいました。腐りかけた左親指を切ったのが、僕です」

「なんて奇遇なのかしら」

「いったいどういうご関係なのです?」

「昔、わが家の使用人だったの。戦争が始まったら、すぐに辞めたわ。それからどうしていたかは、知らないけれど、この前、帰還兵として町に帰ってきたの」

「パターソン中尉も嫌っていました。何があったのです?」

 やや間を置き、メアリは首を振った。

「ううん。わが家の恥になるから、言えない。ごめんなさい」

「ご事情があるのなら、べつにかまいませんけど」

 それから会話が途切れ、食後の茶は終わった。

 翌朝、オスカーはメアリに見送られ、パターソン屋敷を出発する。ポーラの姿はなかった。

――もう二度と、会うことはないだろうな。

 だから愛想よく笑顔で別れを告げた。


 しかしそれが、長い長い物語の始まりでもあったのを、年老いたオスカーは幾度となく思い出すのだ。

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