第2話 軍医オスカー2



 故郷の城館に帰ったオスカーは、両親である伯爵夫妻の老けように驚いた。

 父は顔にシワが増え、母はげっそり痩せている。とくに母の落胆はひどく、オスカーが話しかけても反応が鈍かった。

「……ああ、ジャックも帰ってくると信じてたのに」

「母さん」

「ジョンは行方不明。おまえだけ帰ってくるなんて」

「……」

 憔悴しきった母は、まともに話せなかった。自分を見るたび、戦死した弟のことを悲しみ、一ヶ月前から行方不明の兄を案ずる。

 両親だけでなく使用人たちも喪服姿だった。下男と従僕たちはみな戦場へ行ってしまい、若いメイドは運転手や車掌になったり、町の軍需工場で働いている。いるのは中年のメイド三人と執事、家政婦、女料理人だけだ。

「オスカー坊っちゃん。ご無事でよかったです。お若いあるじがいらっしゃると、心強い」

 老執事ペスターはだれもいない廊下で、そっとそうこぼした。

「父さんと母さん、それほど元気がないのか。僕はジャックが死んだなんて、まだ実感がないよ」

「野戦病院で働かれたそうですね。負傷兵で帰還した甥子から聞きましたが、ずいぶんとひどい戦争だそうで、ずっと地獄の穴にいた、と言っておりました。夢に出てくるから眠れない、とも」

「ああ、無理もない。数え切れないほどの死を見送った。だからジャックのことも、悲しみが湧いてこないんだろうな。すっかり麻痺してしまったよ」

「それだけ過酷だったのですね」

「どうだろうか。前線の連中に比べれば、僕は恵まれている」

――だから話せない。

 と、言いかけてやめた。

 自分は命を懸けて戦っていなかった。臆病者には変わりない。

「そういえば」

 と、ペスターは言葉を続けた。

「アメリカも連合国がわについて参戦したのに、と、みな話しております。いつまで戦争が続くのやら」

「だろうな。塹壕戦のおかげでずっと膠着状態なんだ。だからといって、正面切って突撃すれば、機関銃にやられる」

「開戦したころは、クリスマスまでに帰れる、と聞いていたはずなんですけどね……」

「前線の飛行機や戦車を見たら、恐ろしい時代になった、と震えてしまった。人なんか簡単に殺されてしまうんだ。ぞっとしたよ」

「ロンドンでも空襲があったそうですし、こんな時代になるとは信じられない思いです」

「ああ。空を飛んで旅行どころか、爆弾を落とされるんだ。悪夢そのものだよ」

 大きな声で話せる内容ではなかったが、陰鬱な心中を話せる相手がいることに安堵した。

「旦那さまと奥さまが、臨時病院としてお屋敷を開放する計画を、中止されました。負傷した兵士を見ることに、耐えられないそうです。どうしてもジャック坊っちゃんを思い出されるのでしょう。その代わり、わたくしどもが毎日、畑で作物を育てております。薔薇園以外、すべて野菜畑にしました」

――だから主人たちのお世話をすることは、むずかしくなりました。

 ペスターは口にしなかったが、疲れきった老執事の目が、オスカーへそう訴えていた。



 復活祭が近づいた春、パブリック・スクールに在学している甥セシルが帰郷した。オスカーと顔を会わせるなり、生意気な十三歳の甥は言った。

「なんだ、叔父さんか……。父さん、どこにいるんだろ」

 がっくり肩を落として、居間を出ていくセシル。オスカーは何も言えない。

――そうだよな。父親が帰ったほうがうれしいよな。

 ソファで茶を飲んでいた父――伯爵が立ち上がり、廊下にいたセシルを連れもどす。そしてオスカーの前で、ぴしゃりと平手打ちをした。

「おまえは、なんとむごいことを言う。家族の無事を喜べないのか?」

 兄ジョンに似て、負けん気が強いセシルは、伯爵へ言い返す。

「お祖母さまだって言ってたじゃないか。後継ぎの父さんと、優秀だったジャック叔父さんがいなくなって、わが家はこれからどうなるんだろうって。戦争だっていつまで続くのかすらわからない。なのに帰ってきたのが、オスカー叔父さんだけじゃ、たよりない。僕も不安なのさ」

「あのな、オスカーも戦場にいたのだぞ。それをたよりない、と子供のおまえが言える立場なのか?」

「僕だけじゃない。みんな言ってる。医者だったから戦ってないんだろ」

 ふたたび腕を振り上げる伯爵。それをオスカーが制した。

「やめろよ、父さん。セシルが言うことはもっともだ」

「そうやっておまえたちが甘やかすから、残酷なことを言うのだ」

「僕はそれでもいい。兄さんは帰ってこないし、義姉さんは病気で死んでしまった。一番、つらいのはセシルなんだ」

 腕を下ろした伯爵はため息をつき、やりきれないように頭を振った。

「……ああ、どうしてこうなったのか」

 そのあいだ、母は泣くだけだった。帰国してから家族の笑顔を一度も見ていない。

 沈鬱な空気が流れたまま、午前の茶が終わった。物資不足でクリームも砂糖もない薄い紅茶は味気なかった。

 自室でオスカーは荷物の整理をした。帰国したとき、トランクと旅行鞄に詰めた荷物は少なかった。ほとんどが着替えと医療器具だ。

 そのなかに壊れた腕時計が入っていたのを見つける。

――パターソン中尉のだ。

 形見を受け取ったあと、帰国する兵士のなかに同郷の者がいたら託すつもりだった。だが、あれから四ヶ月後、託す相手がないまま帰国してしまった。

 オスカーは、しばらく腕時計を持ったまま見つめる。

 爆発の衝撃でガラスは割れ、中の針は曲がっていた。ネジを巻いても動かない。革のベルトは血と汗が染みつき、変色して固くなっている。形見でなければ、ただのガラクタ同然だった。しかし、丁寧な作りと素材から察するに、高価なものにちがいない。

――屋敷にいても気が滅入るだけだ。メアリさんに渡してこよう。

 翌朝、オスカーはトランク片手にサマセットへ旅立った。



 ウォートンの鉄道駅で下車したら、町の教会に大勢の人々がいた。白衣の看護婦と包帯を巻かれた兵士の姿で、ここは臨時の慈善傷兵病院になったのだと知った。

 野戦病院で聞いたようなうめき声はなかったが、車椅子や手や足のない兵士の姿に胸が痛む。戦場から無事、帰還できたものの、その後彼らはどうするのだろうか。裕福な紳士ならともかく、労働者となれば死活問題だ。養う家族だってあるだろうに。

 パターソン家の場所を牧師補にたずねる。二マイルほど北に向かった丘の上にある屋敷だと、教えてくれた。

「あの、失礼ですが。お医者さまでしょうか」

「ええ? どうしてわかったんだい」

「負傷兵を見ても動揺されませんし、このご時世、若くて健康な紳士さんはみな、戦場へ行かれてしまわれました。帰還兵でもなさそうですから、医療部隊におられたのかと察したまでです」

「はあ。なかなかの観察眼だな」

 オスカーは牧師補に手を握りしめられた。まるで、逃したくないかのように。その彼は左腕がなく、戦場で失ったのだろうと察した。

「医師が不足しております。この前のスペイン風邪で、老医師がふたりとも亡くなってしまいました。どうか、国のために戦った彼らをお救いいただけないでしょうか」

 真剣なまなざしだった。承諾しそうになるが、ぐっとこらえ、断りの返事をする。

「……すまない。休暇中なんだ。しばらくすれば、また野戦病院に行かなくてはならない」

「そうですね。ご無理を申してしまいました」

 若い牧師補はそう言って笑顔を向けた。それがかえって、オスカーの良心をうずかせる。

――休暇中まで働く気になれない……。

 野戦病院でいやというほど治療した負傷兵を、しばらく見たくなかった。毎夜、夢に出てくるのもあった。

 パターソン屋敷へは歩いていける距離だったから、パブで昼食をすませ、目的地へ向かって出発した。

 復活祭だというのに、春らしくなかった。暖かい風が吹いても、すれちがう人の顔はみな、疲れている。国中、親しい者を喪った悲しみと物資不足で、復活祭のお祝いどころではないのだ。

 牛たちが草を食む丘の上に、レンガで作られた左右非対称の屋敷が見える。尖塔が目をひく、典型的な新ゴシック様式の邸宅だ。わが家の城館ほどではないにしろ、町で見たどの建物よりも立派だった。パターソン中尉は領主の息子だったらしい。

 門番のいない庭園を抜け、正面玄関に着いた。ベルの紐を引く。

 しばらくして顔出したのは老執事だった。ペスター以上に歳を重ねている。

「……いらっしゃいませ」

「メアリ・パターソン嬢にお会いしたい。僕はカンブレーで、ウィリアム・パターソン中尉を看取った医者だ」

 と、執事が差し出した銀盆に名刺を乗せた。

 感激したように執事が震える。

「おお、おお……。ウィリアム坊っちゃんのお知り合いでございますか! メアリお嬢さまが、お喜びになられます。さ、さあ、お入りくださいませ!」

「主人に許可を取らなくていいのか?」

「メアリお嬢さまはただいま、農場におられます。お帰りは夕刻でしょう。それまでお茶でもお飲みください」

「そうか。ならば遠慮なしにおじゃまさせてもらおう」

 どのみちメアリ嬢は不在だ。知り合いのない町で待つよりずっとよかった。

 客間に案内され、新聞を読みながらメアリが帰宅するのを待つ。どの記事も戦争のことばかりで、連合国軍が戦勝したとある。開戦当初からそうだったが、勝ち続けているはずなのに、まだ戦争は終わらない。

 激戦地ソンムの記事で、オスカーは新聞をテーブルへ放り投げる。読む気になれない。

――あそこでジャックは死んだ。

 弟の遺体は異国の地で眠っている。パターソン中尉もだ。

 数え切れないほどの墓がフランスの戦地に作られた。遺体がある者はまだいいほうで、行方や身元が不明の戦死者は合同墓地に埋葬されている。

――せめてジョン兄さんが無事だったら……。

 後継ぎの兄、ジョンはとくに両親から期待されていた。家系が赤字続きのスプリング伯爵家を救うため、兄はアメリカの富豪令嬢と結婚した。持参金のおかげで、わが家は持ち直したものの、戦争がすべてをだめにした。投資していた会社の株は紙くず同然になり、戦争で物価が異常に高くなった。軍物資を横流しして、儲ける悪どい帰還兵がいたほどだ。

 兄が戦地へ出征した直後、義姉が肺病にかかり、あっけなく他界した。母を失った甥のセシルが不憫だということで、祖父母である両親は甘やかしている。それもあって、セシルのわがままぶりは目に余る。

――ジョン兄さんはしっかりしていたからなあ。それにくらべ、僕は……。

 勉強こそあまり得意でなかったが、兄は雄弁でスポーツ万能だった。とくに乗馬が好きで、大学生のときダービーに出場したほどだ。あらゆる令嬢たちに恋され、社交界に出るようになったとたん、富豪の紳士連中が兄に媚を売っていたのを見た。

 そんな魅力的な兄だが、自分はまるで影のような存在だった。

 スポーツが苦手で、頭の回転も早くない。兄と言い争うと、ほぼ負けてしまう。だから表立って揉めごとを起こさないようにしていた。

 勉強の成績は良くも悪くもなく、無事、医大へ進学できた。士官学校だけは死んでも行きたくなかった。後継ぎの長男ならまだしも、次男の自分は将来、生計を立てなくてはならない。爵位と財産はすべて、兄のものなのだから。

――そもそも、医者になったのも、楽そうだったからだし。

 弁護士は向いてないし、将校や官僚などもってのほか。可能性を消していったら、残ったのが内科医というだけだった。

 だから生活に困るまで医師として開業するつもりはなかった。戦争がなければ、父からの小遣いでのんびりと暮らしていたことだろう。

 いっぽうのジャックは、兄以上に優秀だった。父が「いったいだれの血を引いたんだ?」と首をかしげるほど、試験の成績が良かったし、スポーツもできた。ゆくゆくは国を動かす官僚――将来は大臣を目指しているのだと、ジャック自身が言っていたのを思い出す。

「なのに。僕だけが生き残ってしまった」

 両親が落胆するのも無理がなかった。

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