蛮族世界が導き出した解答

「…………起きたか?」


 ルルーは声で目を覚ました。


「下ろすぞ」


 返事する前にルルーは下ろされる。


 地面を踏む足の感触、裸足じゃないとルルーは気が付いた。


 サンダル,履かされたのかな、なんて思いながら体重をかけると、一気に世界が明るくなった。


 頭に被せられてた毛皮が外されて、強烈な光に目が眩む。


 顔を覆おうと手を挙げて気が付いた。服、着てる。


 肌触りは安物、この感じは、大きなシャツをワンピースみたいに頭から被せられたのだろう。首輪が引っ掛かってちゃんと首が通ってなくて気持ち悪い。


 直しながら、それでもこういう風に扱われるのは、本当に久しぶりだな、なんてぼんやりと考える。


 首回りがすっきりしたころにようやく目が慣れて、周囲を見回すことができた。


 ここは、夕焼けに赤くなった、いつか通った、あのカボチャ畑だった。


 ……記憶の中の風景と目の前のの風景、まったく変ってなかった。


 カボチャはまだ食べごろみたいで、奥にはあの白い家も見える。


 この風景、光景は初めて見た時はすこぶる感動した。


 あの白い家も、見た時は夢のようだ、なんて思ってたのに、だけど今は、何の感情も揺り動かされなかった。


「……悪かったな、時間かかっちまって」


 言われて、初めて、ルルーは、隣に立つ男を見上げた。


 ここまで運んで、下ろした相手は、オセロだった。


 ルルーは静かに息を吸う。


 ……オセロは、オセロだった。


 赤焼けの中、額当ての代わりに何かの毛皮を頭に被って、手にはあの鉄棒がなくて、髪は大分短くなっていて、少し髭も残ってて、なのに変わらず笑っていた。


 その様子に、ルルーはマヒしていた感情が蘇ってきた。


 小さな体が震える。今までにないほどに拳を握る。奥歯を噛みしめ、飲み込みたいのに飲み込めない感情が溢れて抑えられなくなる。


 …………それは、怒りだった。


 何で、あんな目に遭わなければならなかったのか、痛めつけられ、辱められ、辛い目に遭わされて、自分はこんなにも変えられたのに、なのに世界が全然変わってないことが腹立たしかった。


 変らない畑、変わらない夕焼け、何よりも変わってない、オセロに、胸に溢れた怒りの感情が一気に爆発した。


「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 ただ叫んだ。


 どこかで鳥が逃げてるとか、敵がいるとか言葉の意味とか、何も考えられないでひたすら思いついた罵詈雑言を吐き出し続けた。


 相手はオセロ、それが正しいかなんか考えられなくて、オセロが嫌なこと、傷つくこと、理不尽なことも浴びせ続けた。


 何度も何度も吐き出し続けて、地団駄も踏んで、涙も涎もばら撒いて、息まで切らして、それでも止まらないルルーの爆発は留まることを知らなかった。


 ……それを、止めたのはオセロだった。


 唐突に、いやその兆しがあったかどうかも気が付けなかったルルーは宙にいた。


 まるで冷や水を浴びせられたみたいに、急に冷静となったルルーの目が見たのは、たった今、自分を突き飛ばしたオセロの左手だった。


 そうれでようやく、そこまでして助けてくれたという事実に、気が付けた。


 契約なんて、高々お話程度、それだけでここまで傷ついて、なのに笑って、こうして助けてくれた。本当なら感謝を、お礼を言うべき相手に、履き出し浴びせたのは醜い言葉、その返事に突き飛ばすのは、怒りと訣別の意味だと、ルルーは学んでいた。


 ……ゆっくりと倒れ行くルルーが、その最中で次に思い出した感情は、後悔だった。


 長く引き伸ばされた時の中、ひたすら後悔する。


 取り消したい。


 無かったことにしたい。


 オセロに訣別される、嫌われる、その恐怖はあのアンドモアに負けないほどに恐ろしかった。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。


 しりもちをつく瞬間、ルルーは初めて神様に祈った。


 どうか、やり直させてください。


 オセロに、嫌われたくないです。


 そのためなら、どんな代償も払います。


 ▼


 …………結果から言えば、ルルーの願いはすぐにかなった。


 ただし、それは、より一層の、最悪だった。


 ▼


 ……ルルーは、オセロの手をぼんやりと見つめていた。


 大きな手、指も太くて爪も厚い。


 だけどボロボロで、傷ついているのは何も人差し指や薬指や小指だけじゃなくて、それ以外にも細かな傷がいっぱい傷があった。


 大きくて、力強い手、それがルルーの膝と膝との間にあった。


 力の入らないつま先に感じるのは、ぬめりとした感触、それでもなお、目の前の現実が受け入れられなかった。


 ……でも、とついさっきのことを思い出してしまう。


 突き飛ばされ、神様に祈って、その次の瞬間流れてきた何か、それが目の前を横切って、ブチリという音と共に、その手が、左腕が、飛んだ。


 …………今、ルルーの足の間に落ちているのは、切り落とされたオセロの左腕、その先だった。


 親指の付け根辺りから、肘の付け根辺りまで、斜めに、綺麗に切断されていて、断面からは肉と骨と、その他の中身が赤い血の向こうに見える。


「ぉぉぉぉぉ」


 くぐもった声に、やっとルルーは顔を上げる。


 そこでは、オセロが、顔を真っ赤にしながら、右手で左の肘の辺りを必死に抑えていた。


 全身から吹き出すような油汗、それをはるかに上回る量の、出血、流れ出てるのは斜めに切られた左腕の傷口からだ。まるで何かで隠したようにスッパリと切り取られて、そこからベロりと、肉と皮が骨から剥がれかかっていた。


 これは悪い夢だ。そう思って何度も何度も瞬きしても、地面に広がる血溜まりが広がってゆくだけで、何も変えられなかった。


 状況は、最悪だった。


 ただ瞬きしかできないルルーの前で、オセロは苦悶の表情のまま、視線を横へと向けた。


 その見る先、来た道、地獄の方へ、ルルーも続いて、そちらを見た。


 赤焼け、沈む夕日を背に、男のシルエットがそこにあった。


 人の形に浮かぶ影に、まるで描いたみたいに、緑色の図形が浮かんでいる。


 …………円の中に三等分する線、アンドモアの証、嫌というほど見せられた、もう見たくない印、アンドモアだ。


「……この地は全てが勝利に向いている。法を排し、神を排し、愛を排し、純粋なる闘争のみを残して純粋なる勝利を、純粋に求め続ける。まさに蛮族の地……ここにあるは数多の躯とその上に立つ強者のみ。故に踏みつけられぬため、踏みつけるため、全てが強さを求める。切磋琢磨、創意工夫、武装、結託、卑怯、卑劣、策略に罠にだまし討ち、果ては色仕掛けまで、考えうる限りのあらゆる手段で戦い、競い、殺し合う。……その最上位、誰もが初めから持ちながら誰もが軽んじ、生かせず、忘れ去り、にも関わらず最後にはなりふり構わず縋りつく、最も純粋なる強さの結晶体……この世の最強の力、汝の名は筋肉なりぃ!」


 チンチロの声が、歌かのように響きわたる。


 そして影が、その右腕を高々と掲げて見せた。


 そこにもまた、円の中に三等分する線、アンドモアの証だ。


 ……だがそのサイズ、明らかに巨大だ。


 あれは知ってる。見たことがある。


 あの地獄の一番目立つ場所、鐘つき塔の上、目立つようにロープで吊るし上げらた金属のオブジェだ。


 それが銅か鉄か鋼か……いずれの金属でもその重量は凄まじい。


 そんな物を片手で掲げる異形、怪物、悪魔が、追って来ていた。


「……げろ」


 オセロが言う。


「逃げろ」


 短く、小さく、弱々しく、だけどはっきりと、そうルルーに言った。


 オセロは震えてる。痛みか、出血か、あるいは恐怖か、とても逃げられる状態には見えない。


 ……その言葉に従うべきか、尻込みするルルーは、オセロと目があった。


 その目に、息がつまる。


 その目は、あの時の、ルルーが刺した直後の時と、同じ目だった。


「逃げろ」


 三度言われて、やっとルルーの足が動いた。


 あの時は自分の考えで動いて、最悪になった。


 なら、もう、答えは一つ…………オセロを置いて逃げるしかなかった。

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