まるで全てを捨ててきたかのような男

 影の騎士団は、その性質上、当然ながら、徹底した秘密主義だった。


 影の仕事に徹する影の騎士団は、予算の関係上、存在こそ公になっているが、その実態は全て秘密であり、対外交渉役は存在するものの、そのトップがどこの誰かも知られていない。


 当然中で働いている人員も、どこから雇用され、どこで訓練を受けて、どこで何をしているかも秘密だった。


 それは内部にも浸透しており、特に前線で動いているエージェントの個人情報は一切が記録に残そうとはしない。むしろ、残さないように努め、残ったら消しに行っており、場合によっては直属の上司にも何をしているか伝えないことがしばしばだった。


 そんな中で、個々人の能力を、実績を、功績を、上がどのように評価するかというと、皮肉にも記録に残らない分、記憶に頼ることになる。


 すなわち、印象に残ったやつから評価されてゆくのだ。


 その評価システムを知っているのは騎士団に属する人間だけであり、それを当然と考えて利用できるものだけがそれを変えられる地位まで出世できる。ゆえに改革は遠く、そのこともまた秘密だった。


 ▼


「あ、あああ、ああああ、ああああぁああ、あ?」


「味を語れるのは舌だけである。ネロ・ブロック」


「ねぇ殺していい? 殺していい?」


「疼く! わが右腕が月の闇に疼くぞぉ!」


「マテ、メイレイスイコウニハイケドリガヒツヨウダ」


「そうでちゅ、ことは慎重を要しまちゅ」


 いら立ちを噛み殺しながら続くタクヤンの前には、月明りに照らされた六人の男たちがぞろぞろと歩いていた。


 夜の街をハイテンションに練り歩くアホはここでも珍しくないが、タクヤンにとってそれだけでは済ませられない六人だった。


 何せ、その一人一人がタクヤンよりも地位が上にあるのだ。


 それも、一言言いたくなるような、上に、だ。


 ……彼らが普段どこで何をしているのか、タクヤンは知っている。壁の向こう、安全な内側にて、どこかの貴族の人妻だまして遊んだり、地元警察の仕事を邪魔したり、どこかの推理小説家のインタビューを受けたり、どこかの貴族の令嬢の冒険を陰から見守ったり、どこかの貴族の浮気調査したり、どこかの貴族の浮気をもみ消したりしている、つまりは安全な後方でぬくぬく遊んでた連中だ。


 なのに上に上がれたのは、あの独特の喋り方によるものだろう。話し言葉でキャラ付けして、偉い人に覚えてもらって、そして取り立ててもらっての地位、それが影の騎士団の査定基準だった。


 そんなのばかりでは国が亡ぶ。だからタクヤンをはじめ、末端はまじめに働いているが、そこに評価はなく、上に上がれる兆しの兆しもない。だから変わらない、変われない。


 なんてことない、デフォルトランドの住民だけが愚か者なわけではないのだ。


「ああああああ、ああ、あああ、あ?」


「なんです?」


「来いと言ってるんだ」


「はいただいま」


 普通に喋れるなら普通に喋れよ、というのを飲み込んで、タクヤンは足を速める。


 ……こんなんでも彼らは上だ。命令は絶対だ。従う他ない。


 ただ、その上が安全な場所から這い出るほどの大事件が起こっているとは、タクヤンにはどうしても思えなかった。


 確かに、今現在、このボックス・タウンは緊迫している。


 この影の騎士団を除く町の要の組織が四つ、対立関係にあるのも含めてほぼ同時期に活発化している。それだけならば確かに興味深いが、今までの実績上、この程度では上は動かない。ましてやその目的が、目的地が同じ東の果てと知れてる今ならなおさらで、今までならばタクヤン一人に全部任せて報告と手柄を献上するだけだっただろう。


 それが、這い出てきた。


 これが上の気まぐれか、リハビリか、あるいは心を入れ替えたか、なんにしろエージェントとしては期待しない方がいいだろう。


 道の左右に立ち並ぶ四角い建物、その影、窓の奥、それどころか道行く通行人からの訝しむ視線に、無頓着すぎる。


 中には明らかに警戒、侮蔑、敵意、あるいは殺意に似た視線があるにも関わらずずかずかと進む。


 彼らを慮れば、忠告の一つもしてるところだが、したところで評価が下がるだけだろう。


 タクヤンは黙って後に続くと、ピタリと六人の足が止まった。


「おい、あいつか? でちゅか?」


 言われて足を止め、見つめる先に、タクヤンは見たくないものを見た。


 そいつは、赤い毛皮を頭からかぶり、腰を曲げ、へこへことリザードマンに愛想笑いをしているのは、間違いなく、そう間違いなく、変わり果てた、あの恐ろしい雰囲気も、鉄の棒も、左手の人差し指も、何よりも、ルルーちゃんを失くした、オセロだった。


 見る影もない無残な姿、今こうしてみてる前でも、リザードマンたちに小突かれ、それに愛想笑いで返し、媚びを売っている。


 そこにあの、怪物じみた強さも、迫力もなく、ただただ強者にすり寄る弱者の姿があった。


 どうして、こうなったのか。あそこで何があったのか、どうしてこうなったのか、ルルーちゃんは無事なのか、知りたいことは山ほどあるが、その姿を見れば、聞かない方が良いのだと、察する。


「おい、でちゅ」


「彼です。オセロです」


 咄嗟に報告しながら、タクヤン自身がそれを信じたくはなかった。


 だが、見間違いはない。あれは、オセロだった。


「殺すの? ねぇ殺すの?」


「真の美味は、我慢の果てにやってくる。ネロ・ブロック」


「あぁわかってるわが内なる炎よ。やつが今宵のサクリフィスなのだな」


「あああああああああああああああああああああああああああああ」


「まて、今は様子を見よう。いや、イマハヨウスヲミヨウ」


 ごちゃごちゃ言っている間に、オセロはリザードマンたちと別れた。


 そして一人で歩きだすその背中に、足取りに、最早あの恐ろしさはなく、この距離でぞろぞろと続くこちらに気づいた素振りすら見せない。


 いつもなら、あの分かれたタイミング辺りでこちらに気が付いて、大声で名前を呼びながらずかずかと来ていただろう。


 悲しいかな、あのオセロはもういなかった。


「頃合いだ」


 誰かが言う。


 見れば、オセロは今歩いている大通りから横道へと入ろうとするところだった。


 夜の横道に人目は少ない。どこの町でも通じる事柄は、流石にこの六人も知ってるらしい。


「押さえるぞ」


「でちゅ」


「あああああ」


「ヤルカ」


「あ、えっと、よしやろう時はきた……えっと、これはあれだ、西の将軍の言葉だったはずだ」


「殺すよ? ねえほんとに殺すってば。殺しちゃうんだよ? 怖いでしょ?」


 ごちゃごちゃ言いながら先に行く六人は足の止まったタクヤンを追い抜いて、そのまま無警戒にオセロに続いて横道へと入っていった。


 ……ふと、タクヤンは想像する。


 いつものオセロだったら、どう返すだろうか?


 まぁ逃げはしない。


 まず話を聞いて……いやあの六人は一方的に言うだけ言って襲い掛かるだろう。で、一撃で黙らせて、残りもボコボコにするか、いや逃げる相手は追いかけないから、ひょっとするとここで待っていたら六人の内のどいつかが飛び出てくるかもしれないな。


 それは見ものだ、と期待して、タクヤンは待つ。


 …………が、誰も出てきやしなかった。


 それどころか何の音も聞こえてこない。話し声も、戦いの音も、何の音もなかった。


 それに、タクヤンはエージェントとしては致命的な感情、好奇心を抱いた。


 なのでそっと、止まっていた歩を進め、横道へと入った。


 ……そこにいたのは、見たこともないオセロだった。


 背を伸ばし、真っすぐと立つ姿は、見覚えのあるオセロだ。


 だがその顔は、表情は、初めて見せるものだった。


 笑うでもなく、悲しむでもなく、怒るでもなく、憎むでもなく、ましてや無表情ですらない、何かの表情、そこからは、何も読み取れなかった。


 目も鼻も口も、あるべき場所に収まっていて、それがオセロの顔だと認識させるのに、そこにあるのは知ってるオセロか、もっと言えば本当に人の顔なのか、それさえもあやふやにさせるような、人を超えた何かの顔だった。


 その表情にタクヤンが感じたのは底知れない恐ろしさだった。


 ……そして、そこにいるのはオセロ一人だけだった。


 左右は二階以上の石造りの建物、ドアも窓もふさがり更なる横道はない。それどころか箱も、マンホールも、血痕さえなく、六人は消えていた。


 目を見開いてくまなく探す。


 こんな不可思議、あるわけがない。


 ましてやオセロは魔法が使えないのだ。何かトリックか、勘違いがあるはずだ。


 様々考え探し求めるタクヤン、その足は凍り付き、全身に広がるのは恐怖、六人を探すのだって、ただ一人でいたくなかったからだった。


 ……そして断言できる。決してタクヤンはオセロを蔑ろにしてたわけではない。少なくとも長い間、視線から外したことはなかった。


 にもかかわらず、その接近に気が付くことができなかった。


「よぉ」


 一歩踏み出せば鼻と鼻とがぶつかる距離で、いつもと変わらない、聞き覚えのある声に、しかしタクヤンは恐怖しか感じられなかった。


「思ったより遅かったな。まぁ、間に合ったからいいけどよぉ」


 いつも通りに話すオセロに、タクヤンは声を絞り出す。


「……先に、入った六人はどうした?」


 触れるべきではない部分、だがそれでも訊かずにはいられなかった。


 対して、オセロは頭を掻く。


「あぁ、やっぱお前の連れだったか」


 言って見上げた視線に、タクヤンも続く。


 …………三階建ての建物の屋上、屋根の端から飛び出ているのは、六人の内のどいつかの足の一本だった。


 この高さ、音もなく、抵抗もあっただろうに、それを六人、あの高さに?


「で、さっそくなんだがよ」


 オセロの言葉にタクヤンに視線が戻る。


 そこにいるオセロは、いつものオセロに見えた。


「実は色々頼みたいことがあるんだ。大変だと思うが、見合った分は払うぜ」


 言って、オセロは、まるで今まで通りのような笑顔を見せた。


「……引き渡すのは、アンドモアだ」


 まさかの名前に、ゴクリとタクヤンは唾を飲んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る