日も変わらぬ内の次の仕事

 膝に着地の痺れを感じながら、同時にオセロは空腹を感じていた。


 今日は朝こそ食ったが、それからなんにも食えずにいた。


 粥は、明日までお預けで、なのにいつ仕事になるかわからないからと狩りにも行かせてもらえない。仕方なくぬるい水だけで凌いで寝るかと思ったら急な仕事だ。


 砦にこもる敵のせん滅、先遣隊はほぼ壊滅だから急いで救援してくれ、慣れた仕事だった。


 さっさと終わらせよう、と飛び込んでみたところ出迎え、待ち伏せの類は無し、ただ代わりに美味そうな香りが漂ってる。


 これはキノコのスープだろう。あれは、味は良いんだが、ここら辺には笑いキノコがやたらと生えてる。笑いキノコは見てくれも味も香りも食えるのとほぼ同じで、笑い始めてやっと笑いキノコだとわかる。しかもあの笑いは、可笑しくて笑ってるんじゃなくて、腹が痛過ぎて痙攣しながらなんとかしてる呼吸が笑ってるように聞こえる、という豆知識を三日間ほど経験してからは、とんとご無沙汰だった。あれから日も経ってるし、ここんところ快便だ。ならまた挑戦してみてもいいが、まぁ、ルルーには無理だな。


 香り一つに想いを巡らせながら中央へと進む。


 ここには月の灯りは届かないが、それでも十二分に灯りの炎がぐるりと灯っている。その外側は雑多な家々、更にその先には壁があり、その上に櫓があるはずだが、諸々の陰に入っていてここらは見えない。つまりはそこから石が飛んでくる心配はなさそうだ。


 そんな砦の中央に、オセロを追いかけるように遅れて現れたのは、やたらとくどい顔の男だった。


 今回の仕事の最優先ターゲット、聞いた特徴はやたらと多くて覚えきれなかったが、ぶ厚い唇に胸毛に涙ほくろは覚えてる。その全部が顔にあるから、言ってた王子と言うのはこいつに間違いないだろう。


 ……いや、そうじゃなくても、こいつは強い。


 ただ歩いた姿を見ただけだ。だがそれで充分、ブレない背筋とか、鍛えられた筋肉だとか、足跡さえもしっかりと土を掴んでいるのが見て取れる。


 防具はパンツ一丁と体毛だけ、得物はヌンチャク一つ、それでもなおこいつは、大当たりだ。


「なぁ」


 空腹を忘れるほどに嬉しくて、オセロは思わず声をかける。


「王子ってのは、お前でいいんだよな?」


「人に訊ねる前にまず己から名乗るのが礼儀だろ?」


 言われて、オセロはそういうものかと思った。


「俺はオセロだ」


「何!」


 いきなりの驚きの声、大きく見開いた顔は、くどくても驚きの表情だとわかる。これは大体の場合、相手がこっちを知っているときのリアクションだ。


 ならばどこかで会ったか? だかここまで覚えやすそうな顔ならば覚えていそうなものだが、とオセロが思い出そうとしていると、背後で何かが落ちた音がした。


 それは何かと振り返れば、ギラつく刃が目前に迫っていた。


 ▼


 ドムラの足は一本に見えるが、実際は二本の足がくっついていた。


 産まれながらにしてこんな足だったドムラは当然ながら歩くことはできず、立つことさえも困難だった。


 そんな男が、その一本に束ねた足を鍛えぬくことができたのは、王宮道化集の、そこで出会った王子のお陰だった。


 足以外では他よりも秀でていたドムラは、寝返る限り最高のキャリアを築くため、王宮道化集に入った。


 ここでは、足が一本の男、というドムラのアイデンティティは消えて、ただの地味な男の一人となった。


 足が一本など珍しくもなく、しかも高みははるかに高いと先輩方が見せしめた。なのに世間の目は冷たく、戦争からか将来は暗い。その中での切磋琢磨などできるわけもなく、それだけならばすぐに挫折していただろう。


 それでもここまでこれたのはある一戦、ドムラと王子とのスパーリングが切っ掛けだった。


 打撃だけでなく、組技、投げ技も含めた実践方式の総合スパーリングは、結論から言えば完膚なきまでに叩き潰された。本気で、手心なく、二本の足を使って、叩き潰され、組み伏せら、投げ飛ばされた。


 負る度に、ドムラはこれは弱い者いじめだと感じだ。


 しかし自分の番が終わって次の試合、先輩と王子とのスパーと見て自分の間違いに気が付いた。


 それだけ次の二人のスパーは本気だった。その次のスパーも、その次の先輩も全て、接戦だった。


 王子は強く、だけど無敗ではない。いや、それだけ他の先輩も鍛えていたのだ。


 そう、ここは全力で戦う場だった。そしてそれに値するからこそのスパーリングであり、それが王宮道化集だった。


 ここは、足一本など普通の場所だった。


 ▼


 ドムラは、自身の忠誠心は普通のものだと自覚していた。


 だがそれでも、なせるべきことは全力でこなしてきた。


 それがこの一歩だ。


 人は一本の足で立ち、踏切り、跳び、着地できる。


 その足を一本に束ねて行えば、その歩力は単純に二倍、さらに最適化や相乗効果、心肺機能や神経を考えればそれ以上になる。


 当然、一歩後の着地からの二の足、二歩目はないが、そんなものはドムラには必要ない。鍛え抜かれた初めの一歩に二歩目は不要だった。


 不安があるとすれば得物だ。


 そこらの枝を切り出した柄にナイフを括り付けただけの単組な槍、素人が作ったとしか思えない安物で、少し反ってる。


 こんなものしかないのは歯がゆいが、足りない分は忠義と鍛錬で補う他ない。それが道化の生き様だ。右の腋と両手でしっかり固定し、先端穂先を王子に立ちふさがる男一人、オセロと名乗るその身に向ける。


 見張り台より着地、落下の勢いを殺すために曲げた膝をすぐさま伸ばして、一歩を踏み出す。


 軌道はやや山なり、跳んだ高さは胸の高さ、当たれば終いの突撃だった。


 肉薄する敵、オセロと名乗った男はその槍が届く手前に振り向いた。


 そこに驚きの表情はない。得物は棒、そいつで叩き落すか突き落とすか、あるいは考えなしにでたらめに振るうだけでも、まっすぐ飛び込むこの身は簡単に打ち倒されてしまうだろう。


 だが、それでいい。


 例え槍が砕かれ、顔面が砕かれようとも、一歩の勢いが全て殺せるわけではない。飛び込む肉の塊に当たるか、避けるか、どちらにしろ隙は産まれる。


 その隙一つで充分、あとの残りは王子がやってくれる。その勝利に貢献できるならば、この身一つ命捨ててもおつりがくる。


 ドムラ、忠義の突撃に、相対するオセロは鉄棒を手放した。


 それが地に着き、倒れる前、鼻先に槍のナイフが突き刺さる直前に、オセロは穂先の付け根を右手で捕まえて見せた。


 見事な動体視力、だが片手程度ならば軌道もずらせまい、そうほくそ笑んだドムラは加速した。


 否、加速させられた。


 未だ地に足のついてないドムラに加速の手段などない。


 加速させているのはオセロの右腕だった。


 中空にて身の浮いたドムラの体を引き寄せているのだ。


 同時に体を丸め、オセロはドムラの体を背負うように巻き込むように引き寄せ、加速させ、左手を更にドムラの顎に添えて、ぶん投げられた。


 天地が逆転しながらドムラが見るのは、今しがた上を飛び越えたオセロの姿、踏み込んだ足を持ち直し、倒れ掛かっていた棒を掴みなおすところだった。


 そして受け身を思い出す。


 顎を引いて背を丸めるやすぐさま地面と激突、だが後頭部からグルンと背中に転がり激突の衝撃を分散、最小限のダメージに槍も手放さないで済んだ。


 すぐさま転がり、立ち上がろうと振り向いたそのドムラの鼻先に、棒の先端が迫っていた。


 先ほどとは真逆の体制、だがドムラには、先ほどのオセロと同じような返しはできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る