雨の中で対峙する二人と二人

 オセロは冷や汗で体を濡らした。


 それ以上に、喉からの出血が体を濡らしていた。


 受けた傷、致命傷、ではない。


 突如としてねじ込むように突き出された刃は、喉も血管も骨も神経も外れ、ただ左正面の首の皮をごっそりと削り剥がしていた。


 剥き身の傷、ただでさえ激痛、加えて風と雨が沁みてなお痛い。


 なのに手で押さえることすらできないのは、連撃が止まないからだ。


 止まらない黒の剣士に、反撃の兆しも思いつかないまま、ただ逃げ惑うしかできない。


 防戦一方に、オセロは奥歯を噛みしめる。


 ……あの時、倒れたトロールから一歩引いたのは偶然だった。


 経験上、同じような感じで泣き叫び、漏らしたやつ、吐き戻したやつを何人も見てきたから、汚れるのが嫌だから、万が一を考えての行動だった。


 それがなかったら、あの一撃は皮一枚ではなく、首の真ん中を刺し貫いていた。


 回避も防御も反応すら許さない、完全な奇襲、目の端に捉えておいてなお見きれぬ刃、それだけ剣士は黒かった。


 全身漆黒一色、服も鎧も手も顔も、刃も鞘さえもが黒く統一され、溶け合って混ざり合っていた。


 周囲に紛れるような色を迷彩色と呼ぶらしいが、こいつはこいつの身なりだけで手を、足を、刃を、隠していた。


 厚みが見えない、まるで闇のような出で立ち。剣士と呼べるのも刺されたからで、未だその刀身の間合いすら正確に把握できてない。


 ただ切っ先は、返り血に輪郭を縁取られ、辛うじて片刃と見える。


 それも、雨水に流されすぐに消え失せてもう見えない。


 唯一はっきりと見えるのはこいつと背後の風景との輪郭だけ、それさえも、フワフワとした服装が動きに煽られ膨らみ萎み、定かにならない。ご丁寧に足元すらすっぽりとスカートで覆い隠して重心を読ませない徹底ぶりだ。


 そしてこの昼間の闇討ちは、空の雨と同じく、いつ止むとも知れずに続いていた。。


 対してオセロが取れる行動は、跳ぶこと、一箇所に止まらずに常に動き回ることだけだった。


 せめてもの救いは、剣士がこの輪郭に固執してることだ。


 こうして横に回っても、追って切りつけることもなく、絶対に剣の輪郭を体の輪郭から出そうとはしなかった。


 必ず正面、必ず突き、おかげで正面にさえ立たなければ攻撃は飛んでこない。


 もっとも、どっちが正面だかわからないが、剣士を中心に螺旋に回りながら離れていけばなんとかなる。


 実際、これまでなんとかなってた。


 だが、これからもなんとかなるとは思えない。


 連戦、冷雨、疲労、出血、援軍……は無いだろうが邪魔者の乱入はありえる。


 何よりも攻撃されっぱなしは性に合わない。


 なら、どうするか、オセロは考える。


 逃げる、のは好きじゃないが考えないといけない。


 ならば森へ、だが、当然ルルーも連れてく。


 で、逃げるなら木々に紛れて一目散に、となる。


 そうなれば、絶対に迷う。この少し入っただけでルルーと大きく離れたとこにでる森へ、グリーンラビリンスへ、だ。


 迷ったら確実に遭難、二度とここに戻れる自信はない。


 ならば戦い、倒すしか手は残ってない。


 何よりも先立つ物は武器だ。


 跳びながら視線を走らせ周囲を見回す。


 ナイフ、は無理だ。まだあのトロールが悶えてる。巻き込まれたらそっちで死ぬ。


 大斧、は重すぎる。剣士の速度に追いつけなくなる。


 刀、は未だにキノコがしっかりと握っている。引き剥がすのは手間で、その隙は致命的だ。


 鞘、は投げた時に砕けた。もう使えない。


 銛、しか残ってなかった。


 あのキノコに弾かれたのは森のどっかにいった。だが投げかけてたやつが残ってるはずだ。それを拾うしかない。いや拾える。やったれ。


 思い、オセロが視線をそちらへ向けて、思わず笑った。


 砕けだ鞘の下、気絶している日焼けエルフ、その傍に転がる銛を拾い集めてる女がいた。丁寧に薪を集めるように抱きかかえ、そしてオセロと目が合うやいなや一目散に逃げ出した。


 回収された武器、地味だが確実な妨害、ならなどうすると思った矢先に滑った。


 足元、濡れた石畳、右足一歩だけずれて、でも踏ん張って、だけど完全に止まって、致命的な隙が、一撃を食らう間が、できてしまった。


 刹那が永く引き延ばされる中で、オセロは剣士と目が合った、気がした。


 全く見えてないが、それでもこれまでの経緯で次の予想はできる。


 即ちこれは、詰み、だ。


 この止まった足から回避は間に合わない。


 防御も、両手で守れるのは二箇所だけ。対して相手は首と胸と腹、あるいは逃げないように足を、どれかを後出しで選んで刺せばそれで終いだ。


 攻撃も、拳足が触れる前に刃が届くだろう。


 打つ手なし、終わりだった。


 きっぱりと諦めたオセロは走馬灯の代わりに思うのは、ルルーのことだった。


 ……まぁ、狙いが地図なら危害はそんなに加えないだろう。


 ざっくりと思い巡らせたオセロの前で、べチャリ、と弾けた。


 それは茶色い泥団子、真横から飛んできて剣士の肩に、顔に、腕に、刀に、切っ先に、泥色の輪郭を染め上げた。


 その輪郭は右半身を後方へ体を捻り、腰の高さに右手を引いて力を溜めて、渾身の突きを放つ正に直前という輪郭だ。


 それを、ここまで見えればまだやれる。


 産まれた希望と共に、オセロが視界の端に捉えたのは、ルルーだった。


 隠れもせず、鉄棒を引きずり近づきながら、その手は泥に汚れていた。


 あぁ、こうすりゃ良かったのか、オセロが小さく笑う刹那、剣士が弾けた。


 放たれる然力の突き、軌道は喉、全て見える。


 対してオセロは左の裏拳で迫る刀身を外へと殴りつけた。


 手の甲が抉られ走る激痛、それでも軌道がずれた切っ先は外れてオセロの左耳を掠めるに止まった。


 剣士の顔は、泥で化粧されてなくとも驚愕してるとわかる。


 そこへ、オセロは今まで全てを込めた左の拳を叩き込んだ。


 更に響く激痛、それ以上の手応え、想像よりも軽い剣士は派手にぶっ飛び地面に倒れ、水たまりに水紋を作る。


 渾身の一撃、だがオセロに油断はない。


 泥の輪郭から視線を外さず、ルルーの元へと戻る。


「ありがとう、助かった」


「……はい」


 短い会話、それから鉄棒を受け取る。


 いつもの鉄棒は、この冷えて重くなった体には冷たく重いが、なのにいつも以上に心強い。


 素振りもせずに肩に担ぐと改めてオセロは剣士に向き直った。


 剣士は、刀を杖に立ち上がろうとしていた。が、震えて立てない体が、ダメージの大きさを語っていた。


 それでも脅威、潰しておかねば、と一歩踏み出す……その前に、遮る姿があった。


 そいつは奴隷の女、銛を回収してたあの女が、両手を広げ、立ちふさがった。


 そして、膝をついてひれ伏した。


「ドウカ、ゴ慈悲ヲ」


 嗄れた老婆のような独特の声に、オセロの足は止まった。


 ▼


 その声と、おんなじ声の人をルルーは知っていた。


 その人はねえ様と同じくらい綺麗な人で、ねえ様よりも気が強い人だった。


 その人はいくら縛られても、殴られても、決して負けない人だった。


 どんなに酷い目にあっても不敵に笑って、そして一言だけ、怒鳴るのでも喚くのでもない、たった一言だけ、相手の真実を言い当てるのだ。


 それだけでどんな男も、顔を真っ赤にして激怒し、もっと酷い事をする。


 だけど、それでも笑うその人は、いつも勝者だった。


 ……ある日、その人は声を潰す薬を飲まされた。


 血反吐を吐いて、のたうち回って、何日も何日も苦しんで、それでやっと起きた時、その声はこの声になっていた。


 その声に、この声に、周りは初め嘲笑ってたけど、最後まで嘲笑ってたのはその人だけだった。


 そして、その人はいなくなった。


 ……その人とこの人は別の人だ。だけど声は一緒で、受けてきた酷い事も一緒なんだろう。


 そんなこの人が、跪いて命乞いするこの剣士に、ルルーは複雑な思いだった。


 敵対し、襲ってきたのは彼らだ。それについさっきまで殺そうとしてた。


 だけど、と思う。


 これ以上は、必要ないんじゃないか、と思ってしまう。


 十分反撃できた。もう危険はない。だからほっといて先に行こう。


 ……それを口にできないのは、ここがルルーの領分ではないからだ。


 契約を抜いても戦い傷ついたのはオセロ、だから決着も、オセロが決めるのが筋だ。


 だから、口を挟めない。


 だけど、やめて欲しかった。


 …………オセロは、少し止まってから、また歩き出した。


 その足に抱きつこうとする彼女の喉元に鋭く鉄棒を突きつけて動きを止めて、そしてそこを迂回しながら、また剣士の前に立った。


 剣士は、まだ立とうと努力していた。


 震える中でオセロを見上げ、そして滑って、グシャリと転んだ。


 手を離れ転がる刀、オセロは何も言わず、雨音だけが聞こえる。


 …………見つめ合う両者、だけど先に動いたのはオセロだった。


 鉄棒を伸ばして、そして転がる刀の鍔に引っ掛け広いあげる。


 空いてた左手に握られた黒い刀はなお黒く。オセロの手にあってなお見えにくかった。


 オセロは軽く素振りをして、雨粒飛ばして、まじまじと見つめて、そして剣士と見比べて……そしてその刀を大きく振り上げた。


 ルルーには誰かが息を飲む音が確かに聞こえた。


 それは剣士かもしれないし、彼女かもしれない。だけどルルーではなかった。


 刀が振り下ろされる。


 その結果から目をそらすよりも、瞼を閉じるよりも先に、ルルーはあらぬ方向へと飛んでいく刀を見ていた。


 クルクル回って、黒い円になって、森奥へと吸い込まれて、そして何の音もさせないで見えなくなった。


「行くぞ」


 オセロは短く言って行ってしまう。


 ルルーは急いでその後を追いかけた。


 オセロの足取りは、いつもの移動とおんなじで、見上げる顔もおんなじで、いつもとおんなじ、何考えてるかわからない。


そのまま、廃村を通り抜けた。


まだ続く森の一本道に踏み入っても、オセロは一度も振り返ろうとはしなかった。


 だけどルルーは、入る前に一度だけ振り返った。


 …………彼らの姿は、雨に遮られてもう見えなくなっていた。

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