獣との攻防
ソンイールの表情に変化はない。
オセロが奴隷を守ろうと、オセロへ新たに傷を作ろうと、オセロがニヤリと笑おうと、やることは変わらない。
同じことを繰り返し繰り返し、削るのみ。
戻した分銅をくるりと回し、回転させる。
狙うは右肘、これは当たらなくてもいい。真の狙いは帰りの足、ここを擦り切れれば一気に潰せる。
ソンイールは表情変えず、発射される分銅、狙い通りの軌道、真っ直ぐ右肘へと向かってゆく。
対してオセロは変わった。
倒れるように左へと重心を崩した。足は残し、体だけを左へ移す動きは、続くのは尻もちだ。それを防ごうと踏ん張ろうとも絶対体は止まる。そこへ帰せば、間違いなく回避されない。
やっとミスした。これでやっと当たる。
ソンイールの頭に浮かんだ希望はしかし、次の動きで霧散する。
残した足は肩幅に、体は横向きで左肩をこちらへ、目線はこちらに向けて、脇を締め、鉄棒の端を両手で握り、その手を胸の高さへ上げて、構えた。
そう、構えたのだ。
長年の経験からなる防衛本能が跳ね起き、ソンイールは素早く回避に出る。
方向は下へ。膝の力を抜いて重力に従い落ちるように倒れる。
そのソンイールの目の前で、オセロの鉄棒が振るわれた。
真横に、地面と平行に、肘の高さで、だ。
ガッキーーーン!
快音が響いて鉄棒が分銅を打った。打ち返した。
発射の倍以上の速度で帰る分銅が、ソンイールの頭上を掠めた。
ドギャ!
「ギョ!」
衝突音に続いて聞こえたのは部下の悲鳴、遅れてヒラヒラと、ソンイールの頭の孔雀羽根が中程でおられて舞い落ちた。
ソンイールの表情は変わらず、ただ汗だけが一雫、垂れた。
……この分銅を弾くやつは前々からいたが、こちらへ打ち返すやつは初めてだ。
そうくるなら、こちらは次だ。
ソンイールは後ろから分銅を引き寄せると同時に、後ろへと合図を送った。
▼
上手い、と、惜しい、をルルーは同時に思った。
高速で飛来する分銅を回避した上での打ち返しなんて器用なことは、思いついてもやろうとは思わないだろう。
それをやってのけるのが、オセロだ。
ルルーは無力なままの思いを心に残しながら、オセロの逆転の一手に素直に喜んでいた。
反撃できる。
これからどうなるか、どうするのが一番か、考えもつかないけれど、でもやれることがある。
オセロならなんとかできる。ルルーは安直に考えていた。
ソンイールがまた分銅を回す。
変わらない攻撃、自信か、変化があるのか、他にないのか、ソンイールは同じことを繰り返した。
発射される分銅に、なのにオセロはそれが飛来する遥か前に鉄棒を振るった。
当然分銅にはかすりもせず、なのに何かを打っていた。
カカカリン!
別の種類の快音の後、破片が煌めく。その中を分銅が突き抜けた。
「ぐぅ」
食いしばった歯の間から漏れ出たような、オセロの苦悶の声、分銅が命中したのはヘソのあたりだった。
がくりと崩れてなお踏み留まるオセロ、でもダメージは明らかだ。
何がこうしたのか、ルルーが見つけたのはオセロの足元に散らばるかけらだった。
透明で輝くそれはガラスとわかる。それも、変わった形だ。
その砕けたパーツを頭の中で動かし重ねて出来上がった形は、三方向へ伸びるナイフの刃、手裏剣だった。
ルルーには見覚えがあった。
いつかのご主人様が自慢げに見せたそれは、これは東の島国で使われるという投げナイフにそっくりだった。だけどそれは鉄製だったと記憶している。ならばガラスはこいつらの特注品だろうか、とにかくそんな透明で見えにくいものを闇の中で投げられたなら、普通は反応すらできないだろう。
でもオセロは反応して、防いで、でも分銅までは間に合わなかった。それだけソンイールが一枚上手ということだろう。
だけどソンイールにそうした投げるそぶりは見えなかった。
ならばどこからきたのか、ルルーが目を凝らすと、すぐに見えた。
部下のコボルト、ソンイールの横に一歩下がって並ぶ彼らはガラスの手裏剣を隠そうともせずに構えていた。
「これが彼らの真骨頂です」
トラの声にルルーは振り返る。
「多人数で少人数を囲って、安全な遠距離から削る。そこにこうしてコンビネーションが加わるんです。一対一ならともかく、この状況で、彼らに勝てるものはいません」
そう話すトラは、諦めたようだった。
それは、そうだろう。
この状況、オセロの劣勢、反撃の芽は摘まれ、命中までした。このままでオセロがまだ勝てるなんて、ルルーも思えない。
……だけど、ルルーがそのことで感じたのは、怒りだった。
こんな程度の連中に好き勝手やられてたのか。
普段は感じない、強い怒りの感情、これはここの奴隷のこととか、あのコロシアムでのこととか、あとは寝不足とか、そういうのが正常な判断を狂わせてるのだろう、とは自覚している。
でも止める気はさらさらなかった。
ルルーは生まれて初めて、反抗ではない戦いに挑む覚悟を決めた。
▼
腹が痛い。
下痢も吐き気もないが呼吸がやばい。
さてどうするか、オセロは考える。そんな隙はなかった。
投げナイフ、ガラスのやつ、数は三つ、飛来する。
透明だが光で煌めくからよく見える。速度も重さも大したことない。
鉄棒を振るい全部砕く。
それに合わせて分銅、正面、打ち返す余裕はない。
右へ身を投げかわす。
そこへ遅れての投げナイフ一つ。顔面に迫る。
回避は無理、鉄棒、間に合わない。左手でガードする。
鋭い痛み。左、手の甲にグサリと刺さって刃が貫通してる。
出血、骨、神経、まだ動く。だが刃がぼきりと折れている。
再利用不可能、投げ返せない。ガラスで作ったのはこっちが目的らしい。
口で刺さった破片を引き抜くとほぼ同時に、さらなる痛み、左足、腿の外側を、分銅が削っていった。帰り、失念してた。
派手な出血、派手な傷口、こっちの方が断然痛い。
追撃やばい、立てるか確認より先に立つ。
足、傷、動く、立てる。だが痛みはまだしも出血がやばい。
ただでさえ削られた体力が物理的に垂れ流しになってる。
もう長くは持たない。せめて呼吸ぐらいは整えたい。
でもまたナイフ、迫る。休めず叩く。
「オセロ!」
背後、ルルーの声、応えたくない。それどころじゃない。
「伏せて!」
何を言ってるんだこいつは?
今忙しい、ちょっと黙ってろ、そういう意味で振り返ろうとした。
滑った。
左足、靴の中で血がぐっしょりで、滑って転んだ。普段なら踏みとどまれるのに、足も手も動かずに無様に右肩から落ちた。
そして倒れたオセロの上を分銅が飛び越える。
やばい。
左が下、右が上、分銅が削るのは上、無事な足が削られる。
冷や汗と共に立ち上がろうともがくオセロ、でも立てない。
その上を何かを白いものが飛んで行った。
▼
ルルーにも狩の経験があった。
正確には、狩に連れて行ってもらった経験だ。
その時のご主人様は、顔も名前も覚えてないが、とんでもない変態だったとは覚えていた。
なにせ文字通り、女のお尻よりも鹿のお尻が大好きな変態だった。
なので鹿を生きたまま捕らえる必要があった。
そんな時の知識がまさか役に立つ日が来るだなんて、皮肉を噛み締めぶん投げた。
脱ぎたてのルルーの白タイツにそれぞれの足に靴を入れて、縛って作ったこれは、名前は確か、ボーラとか言った。簡易で自信はないけどないよりはマシと、思い出の見よう見まねで股のところを掴んでぶん回し、ぶん投げた。
遠心力で綺麗に広がり飛んで行った白タイツボーラは、まっすぐソンイールへと飛んで行った。
これにソンイールは回避でなく防御を選んだ。左の分厚い手袋で喉と顔をガードする。
しかしボーラは打撃を狙った武器ではない。
相手に巻きついて動きを封じる狩猟道具だ。
ぐるん、と、白タイツボーラが左手と両肩に巻きついた。
やったぜ!
これを外そうともがくソンイール、でも長い鼻と肩の羽根飾りが邪魔になって解けてない。
「オセロ今!」
ルルーが叫ぶより早く、オセロは立ち上がっていた。
血まみれの左手は、分銅のまだらの紐をぐるりと巻きつけ、しっかりを掴んでいた。
オセロは口からガラスのかけらを吐き捨てた。
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