群犬陣形

 狩には、数多の方法がある。


 目の前の獲物に最短で追いかけるもの、隠れて忍び寄って一撃でとらえるもの、集団で囲い叩くもの、遠距離から狙撃するもの、通り道に罠を仕掛けるもの、餌で呼び寄せるもの、毒餌をばらまくもの、獲物と得物と狩人の数だけ方法がある。


 その中でソンイールが最も好む狩の方法は、時間をかけてじっくりと追い詰めるものだった。


 体臭、足跡、それらの痕跡を頼りに、追跡する。移動速度はさほど速くはないが、必ず一定以内を保ち、ひたすら追いかけ、追い立て、追い詰める。迫るソンイールたちに、獲物は休むことも止まることも許されず、延々と移動を強制される。そして転べば最後、二度と立ち上がれない。疲れ切った獲物は抵抗も、隠れることも、命乞いさえもできなくなる。


 こうして追いつかれた獲物は、奴隷は、捕らえるのに武器すらいらない。だが同時に、捕らえられた奴隷は連れ戻せないほどの疲弊もしてる。


 だから青空の下、限られた道具の中で、調教するのだ。


 手短なもので効率よく痛めつけるには発送と経験と、何よりも強い嬢根が必要だった。


 奴隷狩り、それからの調教は、ソンイールの生き甲斐だった。


 ……これはコボルトとしての本能だろう。


 逃げれば追う、追いつけば潰す、潰して屈服させて、支配する。


 これはどんなギャンブルよりも、虐殺よりも、心踊るイベントだった。そのためにここで地位を築いたと言ってもいい。


 幸にも不幸にも、奴隷が逃げ出すことは珍しくない。


 特にまだ首輪を付けたてで、調教が足りてない奴隷は抵抗し、隙あればすぐ逃げる。


 だがソンイールはみな捕まえる。


 奴隷は逃げ切りたければあの世しかないのだ。


 それすらできないなら諦めて苦しむべきなのだ。


 奴隷という幸せを享受できないなら苦しむがいい。それが奴隷だ。


 ソンイールはホテルのオーナーではなく、奴隷を狩る狩人として、この下水道に来ていた。


 今のソンイールはスーツではなかった。


 薄手で機動力重視の革の鎧に兜、その表面にひらひらと貼り付けてあるのは鳥の羽根だった。赤、黄、緑、目に刺さるような明るい色合いのものを鱗のように貼り合わせてある。その中で最も大きく長い孔雀の羽根が三枚、上を向くように肩と額に貼り付けてある。加えて左手だけに大きく分厚い革の手袋をしていた。


 後ろに引き連れている部下のコボルトたちも似たような格好だ。


 これはあえて目立つための出で立ちだ。遠くからでもこちらがどこにいるか、どこまで迫っているか、知らしめるための煌びやかさだった。


 雑魚は目立ちすぎると笑う。だが真の強者とは隠れる必要がない。むしろ目立てることこそが強者の証だった。


 だから立ちふさがるものは何者でも屈服させる。客でも、剣闘士でも、アンドモアのテロリストでも、屈服させ奴隷に落とす。


 落としてやる。


 ソンイールは牙を剥いて笑う先にオセロがいた。


 迷わずソンイールは立ち止まり、右手を上げて背後へと合図する。それに従い全体が止まった。


 間合いは歩幅でだいたい十歩ほどか、灯りは届くが鉄の棒では到底届かぬ間合いだ。


 この距離が安全の最低限、踏み込むなら手を考えてから、ソンイールは慎重だった。


 オセロは、鉄の棒を携えて、どうやら他の奴隷が逃げ切るまでの時間稼ぎらしい。


 確かにここは、左右は狭く、天井は低い。回り込んで後ろへ抜けるにはこのトンネルは小さすぎる。コロシアムで戦いを思えば物量で突っ込んでもこちらの半分は削られるだろう。


 だがそれは、剣闘士として戦えば、の話だ。


 ソンイールは牙を剥いて笑う。


 ただの間抜けなカモなら人として死なせてやったのに、拒絶し、抗い、ましてや取り戻そうなど、おこがましい。


 その罪、奴隷に値する。


 剣闘士としての死ではなく、奴隷としての絶望を与えてやる。


「よぉ」


 何か鳴いたオセロに対し、ソンイールは自慢の得物を放った。


 ▼


 返事の代わりに飛んで来たのは、紐付きの分銅だった。


 腰のあたりから引き抜き、腰の高さで手首を捻って二回転、それだけなのに放たれた一撃は手早かった。


 拳よりやや大きい分銅、先端は尖ってて、それが速度と合わさり当たれば骨まで絶対響く。


 瞬時に判断してオセロは身を捻り、左の肩への直撃をかわす。


 伸びた紐はまだら模様で、変な光沢があって、まるで集めた人の髪を束ねたみたいだった。


 それがピタリと止まって、今度は引き戻される。


 ザクリと、引っ張られ、引き千切られた。


 痛みに見れば左肩が、革の鎧ごと千切られている。


 何ものか、血の残滓を追ってオセロが目にしたのは、戻る分銅の、紐の付け根にびらびらとついてる、いくつもの鉤針だった。けば立つように並ぶそれらの何本かに、べっとりと血と千切れた肉片が刺さっている。


 それがソンイールの元へ、バシンと音がして、左手の厚手の手袋に収まった。


 手慣れた一連の動作は、これが狙い通りだと言っている。


 行きは分銅の打撃に、帰りは鉤針で引き千切る、厄介な武器だとオセロは汗を垂らした。


 攻略法を考え始めたオセロの前で、ソンイールは慣れた手つきで手袋から分銅を取り出す。


 鉤針と分銅が触れ合い、チリン、と音がした。


 それを合図とするようにまた回転される分銅、厄介な戦いの始まりだった。


 ▼


 ……戦いに疎いルルーでさえも、ソンイールの戦術が読めるほど、同じ攻防が繰り返されていた。


 単純な分銅の行き帰り、無視できない威力のそれをオセロは大げさにかわす。行きだけならまだしも、帰りに広がる鉤針は背後からゆえにどこまで危険かわからない。だから余裕を持って回避せざるを得ないのだ。


 行って、避けて、帰って、避けて、また打ち出される。


 繰り返しだ。


 繰り返しオセロは回避し続けていた。


 受けたダメージは最初の帰りだけ、あとは全て回避できていた。


 いや、回避させられてる、というのが正しいのだろう。


 オセロは、汗だくになっていた。


 集中力、動体視力、瞬発力、どれか一つでもかけたら終いの絶え間ない攻撃に、体力がガリガリと削り取られていた。


 対して投げてるソンイールは涼しい顔だ。あれの行き帰りがどれほど大変かは知らないけれども、一向に分銅の威力は衰えてない。汗もかいてないようだ。


 それに、後ろが控えている。何人いるのか、ここからではわからないけど、少ない数じゃあないだろう。


 状態は悪化し続けていた。


 原因は単純、反撃手段、こちらの攻撃手段がないのだ。


 そうなる原因は、この間合いだとわかっている。なのにそれをなんとかできないでズルズルと続いていた。


 間合いを詰めるのは最初の方で試してた。お得意の財布投げ、今回はずっしりと重そうなのを来る分銅と重ねるように放った。


 左の手袋でこれを弾くソンイール、その隙にオセロは駆け寄った。が、ソンイールは分銅を引き寄せながら躊躇なく逃げた。


 奥へ後ろへ、ランタンの光の届かない闇の中へ。


 イヌ科の生き物は夜目が効くらしい。


 多分、犬の頭のコボルトも、あの闇でも十二分に見えるのだろう。


 そこへ飛び込めるほど、オセロは向こう見ずではなかった。


 前は闇、左右は壁で、後ろは無理、この間合いを維持するしかなかった。


 そうしてズルズルと、繰り返してる。


 見てるしかないルルー、応援なんて、集中力を削ってるオセロには害にしかならない。


 ルルーは、 無力で、でも無力ながら必死に考えていた。


 どうしたらいい? どうすればいい?


 考えてる目の前で、ソンイールの分銅が大きく外れた。オセロから外れた角度で、でもルルーには真っ直ぐに、飛んで来た。


 避けることも防ぐことも考えることもできずに棒立ちしてたルルーの目の前で火花が輝いた。


 守ってくれたのはオセロの鉄棒、右手片手で伸ばした先端だった。


 ルルーの安堵が意識されるより先に、オセロの右腕、手首の肉が一掴み、引き裂かれた。


 飛び散る血肉に小さな悪態、ルルーは足手まといだった。


 言葉にならない負の感情にルルーが何もできなくなってる目の前で、オセロは傷ついた右手で鉄棒を軽く振って見せた。


 具合を確かめるオセロ、その顔は、あのいつもの笑顔だった。


「なんだ、こうすりゃいいのか」


 その声は小さくて、でも嬉しそうだった。

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