重なる咆哮

 吠え声が途絶えて、ルルーは双眼鏡を覗く。


 吠え終わったオセロが見えた。


 オセロは大きく呼吸を整えると、その場に屈んで、未だ赤々と燃え続けている大剣を左手一つで軽々拾い上げた。


 その刀身をしばし見つめてから、オセロは一振り、それで炎は砂の上へと剥け落ちた。


 オセロ手に残り、露わとなったのは、骨のような、食べ終わったブドウの茎のような、細々とした刺々しい刀身だった。


 それをまたもしばし見つめてから、オセロは剣闘士へと視線を移し、迷わず踏み出した。


 その姿は、勇ましい。


 だけど、いくらルルーでも、今のオセロが勝てるとは、到底賭けられなかった。


 大剣を持つ左腕からは赤い流血が滴り落ちている。


 何も持たない右腕の手のひらは赤黒く焼き爛れてる。


 褐色の大きな背中には大粒の汗が雫となって煌めいている。


 ……オセロは、確実に消耗していた。


 それでも相手は待ってくれない。


 最初にオセロの前に進み出たのは背の高い剣闘士だった。細長い体を鎧で身を固め、顔は魚の仮面で、手には前に曲がった鉈を構えていた。


 迷いも恐怖もなく進み出るその魚面に、何かが当たって砕けて落ちた。


 それが何か、視線を落とせば、それは割れた灰皿だった。


 投げたのは誰か、探せばすぐに見つかった。


 奴隷の一人だった。右手で血の流れる頭の傷を押さえ、残る左手で投げたのだ。


 その彼が、吠えた。


 ……それは、浅く、小さく、弱々しくて、とてもオセロと比べらるものじゃなかった。けど、その凄みに、誰も笑えなかった。


 それはすぐに途切れて、でも、すぐに次が続いた。


 続いたのは女の奴隷だった。


 全身を震わせて、体を折り曲げて、吐き出す金切り声に、声が重なった。


 それに続いて次々と、それも戦場だけでなくて、観客席からも、重なり響き渡った。


 ガラスが揺れる。床も、机も、全てを震わすこの咆哮は、この場の全ての奴隷たちの咆哮だった。


 …………そして彼らは前に出る。


 横一列に、オセロに向けてた切っ先を剣闘士へ向けて、オセロを睨んでた視線を剣闘士へと向けて、進み出た。


 ……その姿は、勇ましかった。


「なんだよこれ、これじゃあまるで小説の一ページかよ」


 ぼそりとぼやくタクヤンに、悔しいけど、同じ感想だった。


 だけども、ただ見てるだけのタクヤンとルルーとは違う。そこには自負はある。


 この渦に、ルルーも加わろうと、双眼鏡から目を離し、息を吸い込んで、吐き出す、その前に、ぶち壊すようにガリャリと後ろで音がした。


 振り返ればコボルトが二人、前後に並んでドアを開け入ってくるところだった。


 さすがのルルーでも、その毛深い顔から表情は読み取れない。でも無駄なく言葉もなく、まっすぐこちらに進む足取りから、狙いがルルーの身柄と知れる。


 この混乱で逃げられないよう近くに置こう、とか考えてるのだろう。


 どうするか、考え、思い出してこんな時のためのタクヤンを見た。


 …………そこにタクヤンはいなかった。


 どこへどうやって消えたのか、空の椅子だけ残して影も形も残ってなかった。


 使えない、とルルーは舌打ちする。


 それで、ならば、どうするか、ルルーは考える。


 ……普段のルルーなら、こんな場合、間違っても好戦的な選択はしない。それは臆病だからだし、自分が無力だと自覚してるからだ。


 だけど、今のルルーは、遠吠えに当てられていた。


 だから、戦う気になっていた。


 ……噛み付いてやる。


 ルルーは牙を剥き、伸びてくる毛だらけの指睨みつけた。


 そして歯と歯とを開いた瞬間、ぐらついてバタリと倒れたのは後ろのコボルトだった。


 それに気づいて振り返る前のコボルト、その長い下顎に、白杖の切っ先が突き刺さった。


 わずかに血の滴る杖が引き抜かれ、派手に出血する前に、残るコボルトもバタリと倒れた。


 その向こうに、ネズミトラが立っていた。


 ▼


 タクヤンの靴は新品の高級品だった。


 深緑色のワニ皮に、最新のゴム製の靴底、押し込むとパチリと止まる金属のスナップボタンとかで簡単に履ける優れものだ。


 お値段はものすごく高い。普通の四人家族の半年分の食費とドッコイだ。


 そんな場違いに高価な靴をタクヤンが買って履いてるのはオセロのおかげである、いや、オセロのせいだった。


 遡ることオレンジ云々で右往左往した後のことだ。


 分け前を分けて渡して、オセロは先に帰り、タクヤンはカジノに残って遊んだ。


 カード、ダイス、ルーレット、どれもこれも派手な当たりはなかったがそれでも儲けが出る程度に当たりは出た。


 それで終了時間となり、チップを換金しようとしたときにさらりと言われた。


「さすが中央のエリート様。運も別格ですね」


 この何気ない一言に、タクヤンは沢山を読み取った。


 まず正体がバレてる。エージェントと、どうやってか相手に知られていた。


 それでこの当たりは、遠回しな賄賂だった。


 賄賂の意味は普通、敵に回るなを意味する。


 つまりこれは、エージェントにとって、仕事につく前に先制攻撃で致命傷に近いダメージだった。


 ……そんな連中からの現金など、このデフォルトランドでなくとも怖くて持ち運べない。そのまま裏切りの証拠にされるからだ。


 ならば消費してしまうのが一番だか、敵がどこにいるか知れない以上は奴隷遊びは論外、食べ物関係もどんな薬を盛られるとも限らない。


 考えた末に、実用的な消耗品を選んだ。


 それがこの靴だった。靴ぐらいしかなかった。


 ……敗北に歯噛み、オセロの登場にビビり、それでもくじけなかったタクヤンは洒落てる仕返しを思いついた。


 コロシアム、そこでのイカサマなしでのボロ勝ち、金銭的ダメージ、それで靴を買い占める。洒落てる。


 …………子供じみた些細な仕返しで済むはずだった。


 狂ったのはコロシアムの第二ラウンドだ。


 もう一回と言われてるとは予想してたが、こちらがダウンしてる間にオセロ相手に了承されるとは想定外だった。が、まだ許容範囲の想定外だ。


 オセロが勝てる可能性は賭けるに値するほどだったし、負けるにしても絶対に相手の半数は再起不能にするだろう。どっちみちザマーミロになる。


 完璧プランだった。


 ▼


 ………………で、なんでこうなるんだ?


 砕だかれる建物、逃げ惑う奴隷以外の者共、火の手も上がり、そこかしこで奴隷たちが叫んでる。


 デフォルトランドでも滅多に見られない大暴動が広がっていた。


 逆算すれば、これの下準備をしたのはルルーちゃんってことになるだろう。


 彼女は人質にされてる間、奴隷を好きにして良いと言われて、同情なのか、それを食事と休息に当てた。わずかな期間だったが、それでも確実に気力と体力を回復させた。


 それで今日、盛り上がる中に火種を放り込んだのは、コロシアムの嘘つきどもだ。


 四大チャンピオンを除く参加者たち、希望を胸に望まぬ戦いに身を投じた彼らへの手酷い裏切りは、怒りを灯すに十分な熱量だった。


 だが人は、虐げられた人々は、それだけでは燃え広がらない。どんな怒りがあっても、人は強大な悪の前に、尻込み、恐怖する。


 そんな彼らを焚き付け、奮い立たせて、こうまで派手な火の海を作り出したのは、間違いなくオセロの雄叫びだった。


 あれが奮い立たせて、こうまで派手に盛り上げた。


 こんなの、狙って起こせるならエージェントなんて必要ない。それぐらいの奇跡が重なっての大逆転狙いの大暴動だ。


 上層部はこれをモデルケースとして研究したがるだろう。


 だがそれも、無事に収まれば、の話だ。


 これ以上、今以上の奇跡、ロマンチストでもそうは夢見れまい。


 ……タクヤンは思いながら、ただひたすら逃げに徹していた。

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