残り九十六人

 燃える大剣に一層動悸してたルルーは、そいつが自爆して燃え上がって、コロシアムから逃げ出す姿に、やっと胸をなでおろした。


 これでチャンピオン四人は無力化した。


 残るのは奴隷たちのみ、それもここからでもわかるほどはっきりと距離をとって、戦意が見えない。言ってはなんだけど、脅威ではないだろう。


 このまま日暮れまで待てば危ないこともなく、判定となるはずだ。


 それで終わり。それで勝ちだ。


 ふぅ、とルルーは息を吐き出し、覗きっぱなしだった双眼鏡から目を離した。


 安心、安堵、安泰、なはずなのに、だけどなんだかしっくりこない。


 それはなんでか、ルルーは肉眼でコロシアムを見回す。


 燃えてる大剣、それを足で突くオセロ、それを遠巻きに見つめる奴隷たち、動かないチャンピオンたち、そのうちの一人は逃げてって戻ってくるかは…………あ。


 門が、開いていた。


 コロシアム、出入り口、普通は、閉まってるはずだ。でないと、逃げられるかもしれない。だから、閉める。


 今回は、どうだった?


 …………覚えてない。というか見てもない。


 出入り口とか、あっても絶対オセロは逃げないだろうから、気にすることもなかった。


 だけど、今は開いてる。


 ……猛烈に嫌な予感がする。


『たいへん長らくお待たせしました!』


 大きな声が木霊する。


『これより! 一対百! 残りの剣闘士の入場です!』


「は?」


 思わず声を出したルルーの目下で、新たな完全武装の一団が入場していた。それはオセロが入場してきた方からもで、ぞろぞろと、さも当然のように現れる。


 その列は、奴隷たちもろともオセロを挟みこむようだった。


『多くの剣闘士の入場が遅れたことを深く謝罪いたします! 重ねて! こちらの手違いで紛れ込んだ奴隷の駆除のため! もう暫くお待ちください!』


「駆除って!」


「あぁそういうことか」


 驚きと怒りの混じったルルーの声とは打って変わって、タクヤンの声は冷淡だった。


 それにルルーは睨みつける。けど、タクヤンは手元の紙を読んでいた。


「気にはなってたんだよ。ほら、普通は百人が勝つって、賭けるじゃん? でもそれじゃあ賭けにならない。だから百人のうち、誰がトドメを刺すか、でも賭けになってるんだよ。でもさ、彼らに奴隷の区別ってつかないでしょ? なのにご大層な名前つけて、ゴールドチェーンマンとか、らしくないなとは思ってたんだ」


「それで、こんなことが許されるんですか」


「そりゃ俺だってズルっこだって思うよ? でも彼らにとっては奴隷は、人ではない。だから約束するっていう概念もないし、それを剣闘士として讃えることもしない。そんなここの不文律に文句言うのは、俺たちだけだけだよ」


 タクヤンの言葉を肯定するかのように観客席は大いに湧き上がっていた。


 そこから舞い上がるのは、勝利の可能性、新たなる希望、そして約束された虐殺、彼らの大喜びだった。


「まぁでも、賭けの関係上、判定の難しくなる集団戦は避けてくれるはずだから、オセロなら余裕だよ」


 そうじゃない、とルルーは食いしばる。


 奴隷たちも、戦った。戦ったんだ。


 策を練り、時に利用され、持てるわずかな勇気を振り絞って、それで敗れたとしても、彼らは戦ったんだ。


 それを無下にした挙句に、邪魔者として、排除しようとしている。


 その不条理が、ルルーは許せなかった。


 双眼鏡でガラス殴る。


 ガッ、という小さな音、それだけだ。割るどころか震わせることすらできない。


 非力な自分の細腕に、それさえもルルーは怒りを感じた。


 向こうでは、奴隷たちが追い詰められていた。


 むこうとこちらとで挟みこむ剣闘士たち、その表情は双眼鏡を覗かなくても手に取るようにわかる。それに、奴隷たちの表情も……だ。


 もう一度ガラスを叩く。


 ……音は、今度は観客席の声援にかき消された。


「ごめんルルーちゃん。それ、高いんだ……」


 ……タクヤンの言葉をかき消したのは、遠吠えだった。


 それは深く、大きく、暗く、強く、地の底から響き渡るような、この場の全てを威圧するような、獣の吠え声だった。


 ……吠えるは、オセロだった。


 全ての力を音に変え吐き出すような長い長い雄叫びに、全ての音が、動きが、飲み込まれた。


 そのオセロが、何を叫んでるのか、ルルーは理解した。


 俺を見ろ。


 俺と戦え。


 俺を、楽しませろ。


 声に滲む狂気じみた闘争本能は、恐らくは新たな剣闘士だけでなく、元からいた奴隷たちにも向けているのだろう。九十六人の剣闘士に九十六人の奴隷たち、合わせて……何人だ? その二百人近い相手と、漏れなくオセロは戦いたがっているのだ。


 これが、オセロだった。

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