大剣隊長

 酒は美味い。だから毒じゃない。


 アジュカルはコロシアムに座して、轟音の中折れを見ながら金属の水筒、スキットルに口をつける。中身はラム酒だ。


 きついアルコールが喉を焼く。


 だがこの光景、酔えるもんじゃない。


 コロシアムが誇る四大チャンピオンのうち三人の脱落、それもたった一人に、秒殺とは、惨憺たる結果だ。未だに人数的には勝っていても、信用は失墜だ。もう人気も消えて使い物にはならないだろう。


 また一から育て直しか、とまたアジュカルは呷る。


 呷りながら、アジュカルは昔を思い出す。


 ワシの若い時分はやんちゃばかりしてきた。女に振られたらそいつの家に火を点け、生意気なやつが目を合わせてきたら火を点け、たかだか万引きごときで偉そうに説教たれる骨董屋に火を点ける青春だった。


 だが流石にやんちゃが過ぎて追手がかかって、そいつらから逃げるために軍隊に入ったんだ。当時はここがこうなった戦争の真っ只中で、手を上げれば誰でも軍人になれた。


 辛い訓練をサボって、備品盗んで売って、ムカつく教官袋叩きにして、事務に忍び込んで書類の改ざんして、思い出すだけで血が滾る。


 それで卒業、配属は補給部隊、人生の黄金時代だ。


 戦地からは遠く、中央の目は届かず、逆らうやつはいない、やりたい放題のパラダイスだった。


 補給をいつどれだけ送るかはワシの思いのまま、気に入らないところはごっそり削って、余った分は横流しして、憲兵にもたっぷり賄賂送って手懐けた。わざわざ催促にきた真面目どもは酒の余興に燃やしてやった。


 ……懐かしい。


 それも、終戦と共に終わった。


 あの時、ここからの大撤退での混乱に乗じて溜め込んだ資金もろとも捕まらずにこうして生き延び、あまつさえ刀剣チャンピオン兼カジノのオーナーをやれてるのは、豪運としか言いようがない。


 そう、豪運だ。


 いかなる法も、権力も、正義さえも、豪胆たるワシの強運の前には無力だ。


 ましてや、あんな小僧一人、遅れをとる豪運ではない。


 アジュカルは更に一口飲んで、スキットルの蓋を閉めた。残りは半分ほど、そいつは小僧を殺してからのお楽しみだ。


 スキットルを腰の後ろに刺しながら、アジュカルは立ち上がる。


 何はともあれ舞台を整えなければ、と軽く表情を作りながらアジュカルが左手をあげる。


 ………………反応がない。


 もう一度強く、睨みつけながら左手をあげた。


『ご静粛にみなさま! まだ我々にはこの方がおられます! 等カジノのオーナーにして現役剣闘士! 我らが刀剣チャンピオン! 大剣隊長アジュカル満を辞しての登場です!』


 アナウンスに、観客の半分がポカンとし、残り半分が聞いてない。


 タイミングも悪く、戦場帰りの偉大な英雄の文言も飛ばしやがった。やはり目の見える奴隷は使えない。


 ……まぁいい。調教は終わってからだ。


 アジュカルはメインの心配をしながらも愛剣を肩に担ぐと、小僧の、今回の挑戦者であるオセロの前へと進み出た。


 ▼


 オセロは残り一本となった槍を玩びながら、目の前に立つ老人を観察する。


 小さめな頭に比べて不自然なほど盛り上がり、たくましく太い体、その体を守るのは、金属製ながら他のチャンピオンと比べると軽装な鎧で、頭に兜はなく、長い白髪をそのまま後ろに流している。長い鉤鼻に深いシワの顔だけ見れば、少なくとも屈強な戦士には見えない。


 だが、右手に持つのはバカでかい大剣だった。


 どす黒く変色し、丸みのある切っ先、緩やかなカーブの刀身はベロのような形だ。だがサイズは、オセロの身を覆い隠せるほどに長く、太く、広い。鍔は鹿の角のように捻れていて、唯一まっすぐな柄は拳八つ分ほどと普通より長い。流石にあの土木建築のような大槍には劣るが、それでも異形と呼べるほどに巨大だ。


 それを枯れ枝のような右手の指が絡みついて軽々と振るう。


 勢いの乏しい素振り、それでも、観客席から小さく歓声が上がった。


 それとは別にもう一本、こっそりといった感じで腰から小剣を左手に逆手で引き抜く。こちらは刀身が足のサイズほど、鍔はなく、刃は鋸か鑢のようにざらついていた。


 大小二剣がこの老人のバトルスタイルのようだった。


 ……このデフォルトランドで、男でも老人を見かけるのは稀だ。他所からきた老人はすぐ死ぬし、元からいる住人は老人になる前に死ぬ。


 だからこうして向かい合ってからずっとある、なんとも言えない引っかかりは、その物珍しさによるもの、なのか、オセロには判断仕切れなかった。


『もう一度盛大なる拍手を! 刀剣チャンピオンのアジュカルです!』


 やたらと喧しい観客席を信じるなら、老人はアジュカルというらしい。


 そのアジュカルは観客席に大きい方の剣を指しながらなんか喚いてる。


 ……ぶっちゃっけ、オセロの目には隙だらけに見える。


 だがしかし、とオセロは思い出す。タクヤン曰く、これは見世物で、ただ戦って勝てばいいものじゃない、らしい。だから少なくとも観客が訳のわからないまま決着のつくような不意打ちはない、とか言ってた。


 それなら、このまま倒しても観客は訳はわかるが、楽しくはないだろう。


 それに、オセロも楽しみたい。四人のうち、他の三人はうっかり速攻仕掛けてしまって、すぐに終わってしまった。最初の女たちはもう端っこでじっとしてるし、他の奴隷は近寄りもしない。あの太ってるやつらも、あのなんだかわかんないすげー長いのが折れたら石の下の虫みたいに逃げ散りやがった。


 これでまともに戦えそうなのは目の前の老人、アジュカルただ一人だ。


 こいつはじっくりと、楽しみたい。


 オセロの気持ちを知らないでか、アジュカルの観客席へのアピールはじっくりと続いた。


 それでやっと一周、オセロへと向く。


 アジュカルは歯の抜けた、自信ありげな笑顔を見せた。


 そして構える。やっとだ。


 半身の体勢で重心は落とし、右手の大剣を肩に担ぐように後ろへ、左手の小剣を地面と水平になるよう前方へ、無難な構えだ。


 恐らくは左手の小剣でガードしつつ間合いを詰め、隙見て右手の大剣を振るうというのだろう。


 ここらで二本使う連中の、比較的スタンダードなバトルスタイルだが、それでもあの大剣は脅威だ。片手でとは言え腕は太い。その一撃をこの槍で防ぎきれるかどうか、なんてオセロが考えてたら小剣が傾き、地面に向いた。


 閃光、オセロの視界は真っ白に眩んだ。


 ▼


 閃光の正体は日光だった。


 しかしこのコロシアムの戦場にはどの時刻でも日が差さないよう、観客席が日除けとなるようデザインさせてある。


 だからアジュカルは日光を繋げさせた。


 原理は雑だ。コロシアム外周の日の当たる窓から日光を取り込み、それを鏡で反射させて繋いで行く。曲がりくねった奴隷専用の廊下を渡し、更には戦場の上を通して指定の観客席へと送る。そこに控える五人の係員のどれか、適切な角度にいる一人に光を送り、そいつが手に持つスキットルで最後に狙い、反射させ、挑戦者を眩ませる。


 何人もの奴隷と、数人の係員と、いくつもの通路と、何枚もの鏡を用いて、幾度も幾度も訓練させての大規模トリックが可能とする、音も事前の予備動作もない完全な不意打ちの目眩し、名付けてハローエフェクトフラッシュは、誰を相手にしても効果は抜群だった。


 当然、このオセロにも抜群だった。


 閃光にわかりやすく目を瞑る。


 隙だらけ、狙い通り、練習どうりだ。まっすぐ突っ込む。


 その足音に反応したか、見えないくせにオセロは右手の槍をアジュカルへと突き出した。


 想定内だと、アジュカルは突きを左の小剣で受け、外へと弾いて必殺の間合いへ。


「輝きの中で死ねぃ!」


 決め台詞と共に大剣による渾身の横薙ぎを放つ。


 それに、血迷ったのか、苦し紛れか、オセロは空いてる左手の裏拳を迎え撃つように振るってきた。


 愚か者めとアジュカルは笑うだけで横薙ぎは止まらない。


 激突、鮮血、観察が大きく沸き立ち、すぐに静まった。



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