君色の夢を抱いて

 最後に話したのはいつだったか。「あたし、先に行くから」というアオの言葉しか憶えていない。

 でも、彼女は本当に先に行っていた。

 僕が彼女を追いて逃げ出したんじゃない。置いて行かれたのは僕のほうだった。




「峠紫乃に見い出されたって聞いたよ」

 僕は泣きじゃくるアオを背負って劇場に戻った。

 上演中とあってロビーに出ている人は少ないが、人目を避けて隅っこのソファに座らせる。

「こっちに呼ばれてるんだって?」

 アオは小さい子が嫌々するように、ぶんぶん首をふった。乱れた髪のすきまから僕の目をじっと見ている。

「なに?」

「あたしの世界を変えてくれるんじゃなかったの?」

 僕は絶句した。

「悠介が連れ出してくれるまで、絶対あの町を出ないから」

「何言ってんだよ、俺はもう……」

「約束したよね」

 アオの涙目は強い力で僕のくだらない言い訳を封じた。

 もう一度あの情熱を取り戻せるかはわからない。高校演劇とは勝手が違うはずで、一生懸命書いても受け入れられず酷評されるかもしれない。もっと惨めな挫折を経験する確率だって低くないだろう。

 それでも、アオをこのままにはしておけない。

 僕も……虫のいい話だが、彼女が許してくれるのなら、今みたいに罪悪感を抱えて後悔し続ける人生より、つらくても約束を果たすために挑戦し続ける人生のほうがずっといい。

「アオの世界を俺が変えるんじゃなく、世界を変えるほどの芝居を創ろう。俺と一緒に」

 口に出して初めて、未だに夢から醒めていない自分に気が付いた。堰を切ったように激情がほとばしり、体が震えはじめる。

「うん!」

 アオのほっそりした指が僕の頬に触れた。

「悠介にずっと、ずっと会いたかった。今日の舞台、もしかしたらって期待してたけど、本当に観に来てくれるなんて夢みたい。嬉しい、本物の悠介だ」

 泣き笑いみたいな表情で、まじまじと見つめられ、柄にもなく顔が赤くなるのを感じる。

「なんでそんなに……俺のこと、怒ってないの?」

「怒ってないって言ったら嘘になるけど、でも、信じて待とうって決めてたから」

 彼女は優しい目をしていた。

 愛しさがこみあげてくる。両手を伸ばすと、アオは飛び込むように抱きついてきて、僕は自分の中にその熱さと色に染め上げられた夢の存在を感じた。

「もう離れたくないよ」

 僕がつぶやくと、アオはぷっと吹き出した。

「勝手なこと言って」

「ごめん」

 約束を果たすことでしか償えないとわかっている。

 これから頑張って、とにかく頑張って、どんな結末に辿り着くかはわからない。

 でもアオと一緒なら、大切なものを見失わずにいられるはずだ。

「もう迷わない」

 僕の原動力はアオへの愛だけなのだから。

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醒めない夢は君の色に染まる 奈古七映 @kuroya-niya

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