4
三年生になった。
いよいよ進路について真剣に考えなければならなくなり、ぼくはひとりでイライラしていた。
中学三年になれば学校のことだけではなく、将来なにをするかについても考えなくてはならない。だけどぼくは具体的な将来が何も思い浮かばなかった。
しきりに教師連中が「夢を持て」と言うのも気に喰わない。
夢を持たなくちゃいけないのか?
大人の気に入るような「立派な職業に就きたい」という夢を?
やりたいことなんて何もない。なりたい職業なんてない。
ぼくはそう言って、両親とよくケンカになった。進路調査票は白紙で提出して、担任にも怒られた。
久々に伊吹と会ったのも、担任に怒られた帰り道だった。
「おい、太田」
険のある声で呼びかけられて、振り返ると伊吹が立っている。
学校からの帰り道、川沿いの桜並木だ。
春になると桜がいっぱいに咲いて、ぼくは下校途中に通るこの場所が好きだった。
葉桜と舞い散る花びらの中で、伊吹は笑っている。
「久しぶり」
「おう」と、素っ気ない返事をする。
一年も疎遠にしていたのに、伊吹は平然と話しかけて来る。ぼくは彼女を真っ直ぐに見られなかった。
彼女は大人に近付いて(今から考えればまだまだ子供の年齢だが、あの当時はぼくも十五歳だった)肉体も変化していた。伊吹の身体を見てしまうのがイヤで、なるべく視線を向けないようにした。
「高校、どこ行くか決めた?」
「なんも考えてねーよ」
「わたし、もう決めたよ」
伊吹が名前を挙げたのは、地元で上位のレベルにある学校だ。ぼくの成績では届かないが、彼女ならば余裕だろう。
「映画研究会があるの。しかもけっこう有名。プロの映画監督で、この高校の出身て人もいるんだよ。この学校で映画研究会に入って勉強して、卒業したら映画撮るつもり」
「本気で言ってたのかよ、映画監督って」
彼女が語った夢を、ぼくは半ば忘れかけていた。
「ウソだと思ってた?」
「そうじゃないけど」
「小学生の時からずっと撮りたいって考えてたのがあるの。ミステリーでね、目覚めたら主人公が桜の木の下に埋まってて、記憶喪失なんだけど……」
彼女は構想を練っている作品の第一弾を微細に語ってくれた。
「どう? 面白そうだと思わない?」
「ぜんぜん思わない」
わざと挑発するように言った。伊吹への対抗心が久々に湧き上がって来る。
「おれならそんな始め方しない。最初はアクションシーンだよ。敵と戦って記憶を失うところから始める。五分か十分くらい。で、主人公がやられて桜の木の下に埋められてからタイトルを出す」バーン、とぼくは手を広げた。「ぜったいその方が面白い」
「ふうん。センスないんじゃない」
「なに言ってんだよ。お前、映画だからって映画館で観ることしか考えてないだろ。テレビで放送してる映画とか、最初の何分か観て面白かったらそのまま観るだろ? いきなり主人公が埋まってたってしょうがないじゃないか」
「わたしは太田と違っていろんな映画、観てるからね。状況わからないのに誰かが戦ってたって、観てる方は感情移入できないからハラハラしないよ」
「そんならお前の始まり方だって状況わからないだろ。独りよがりなんだよ」
「最初は意味不明だった状況が少しずつ明かされていくの。だから面白いんじゃない。ミステリー小説だってそうでしょ? 最初の謎が観客を引っ張るんだから。あ、太田は本とか読まないからわかんないか」
互いをとことん貶し合った。なのに少しも腹が立たなかった。
彼女だって、眉根を寄せ渋面を作っているのに口元を見れば笑っている。
伊吹とケンカをしていると気持ちが落ち着いた。くだらない緊張はすぐに消えて、ちょっと話しただけでぼくらはまた昔と同じ関係に戻っていた。
「そういえば、熱田は? 最近会ってないけど」
「なんも変わらねえよ。あいつが元気なくすところなんて想像できるか? 今日もこれからいっしょに遊ぶ」
「熱田の家で?」
「ああ」とうなずいた。
来るか? 尋ねるべきかどうかぼくは迷った。迷っている間に「それならわたしも行こうかな」と彼女が言い出した。
「今日は部活ないし、久々にね」
「じゃあ先に行ってろよ。おれ家にカバン置いて来るから」
「なんで? 一緒に行こうよ。太田の家、この近くでしょ」
並んで歩くのが恥ずかしいと、彼女には言えなかった。伊吹を女性として意識しているのだと白状するようなものだ。伊吹がぼくのことを何とも思っていないのにも気付いて、更に恥ずかしかった。
「つーか、いいのかよ。カレシのことほっといて」
「は? カレシってなに」
「ソフトテニス部のやつ。白井だっけ? 付き合ってんじゃねーの」
ああそういえばいま思い出した、くらいのテンションで言う。本当は白井と伊吹の関係はずっと気になっていた。機会があったら絶対に聞きだしてやろうと思っていたのだ。
「それ、あいつが自分で言ってるだけでしょ。一方的に言い寄られて困ってたんだから。あんまりしつこいからラケットで殴ってやったら、もう近寄って来なくなったけど」
「なんだ。付き合ってねーんだ」
対して興味もない、フリをするのが大変だった。内心、小躍りしたいくらい喜んだ。
「伊吹と白井ならお似合いだと思うんだけどな」
「あんまりふざけたこと言うとパンチするぞ」
ぼくは身構えて離れた。暴力が予告ありに変わったから、やっぱり彼女も成長してるんだろう。でも昔と変わらないところもやっぱりあって、ちょっと胸が膨らんでたって伊吹は伊吹だ。
カバンを家において、二人で熱田の家に向かう。一緒にいられるのはうれしかったが、野村に対するかすかな罪悪感があった。
別に野村と付き合っているわけでもないし、伊吹と並んで歩いたからって悪く思う必要もない。でも誰かに見られて伊吹とのヘンな噂が流れたらどうしよう。などと考えていた。自意識過剰なのだ、ぼくは。
彼女を連れて熱田の家に行ったら、熱田も大喜びだった。久々に伊吹と遊べるのがうれしくてたまらない。ぼくと同じだ。
ぼくに言ったのと同じことを、伊吹は熱田にも言った。高校はあそこに行く、映画研究会に入る、卒業したら映画を撮る。そして自作の構想も語った。
「どう思う?」
「すげえ。面白そうだわ、やばい」
熱田はシンプルだ。褒める時の言葉は昔と変わらない。すごい、やばい。伊吹は満足そうにうなずいて、勝ち誇ってぼくを観た。別に熱田はなんだって褒めるんだから、得意になってどうする。
「熱田はどこの高校に行くか、決めたの?」
「なんも決めてないなー。受験なんてまだずっと先じゃん」
「もう三年生なんだから、今から決めてたら遅いくらいだよ」
「かもなー。やべーよな。でも太陽だってまだ決めてないだろ?」
「もう決めた」
ぼくが言うと、熱田も伊吹も驚いた。
「さっきは考えてないって言わなかった?」
「さっきは考えてなかった。今はもう決めたんだ。伊吹と同じ高校に行く」
伊吹は余計に驚いた。
「別に高校なんて、どこに行ったって同じなんだ。だったら、簡単に行けそうなところ選ぶだろ」
「わたしの選ぶ高校レベルなら、太田でも簡単に受かるって言ってる?」
「そうだよ。当たり前だろ」
ぼくの行動指針は昔から変わらない。伊吹に負けたくない、そればかりだ。
伊吹より上の高校に受かるのは無理だろうが、同じ高校に行けば負けにはならない。今の成績で合格するのは難しいが、勉強すれば射程圏内に入る。
まだ手遅れではない。伊吹に負けるわけにはいかない。
久々に対抗心が湧いて来る。
彼女も同じようだ。不敵に笑って、ぼくに言った。
「せっかく一緒の高校なら、入試の点数で勝負ね。あとになってから狙う高校のレベル落とします、なんて言ったらわたしの勝ちだから」
「いつまでも自分が上だと思うなよ。今年中にお前の成績なんて抜いてやるよ」
ぼくと伊吹が熱い火花を散らしていると、熱田が急に立ち上がった。
「じゃあ、おれたち三人で同じ高校に行こう!」
ぼくの成績なら、一年勉強すれば十分に狙える。
だけど熱田はバカだ。成績はほとんどが1、たまに2がある程度。
そんな成績だから、昔から熱田とはテストの点を比べたりしなかった。
比べるまでもなく全勝している。
「おれ、勉強できないからさ。教えてよ、本気でがんばるし」
ぼくと伊吹は顔を見合わせた。
無茶だ。無謀だ。たぶん、お互いに考えていることは同じだったと思う。
彼女は少し考えてから言った。
「それなら、これから勉強会しようよ。わたし平日は部活あるから、毎週土曜日ね。熱田の部屋に集まって、勉強。どう?」
伊吹が提案して、ぼくたちの勉強会は始まった。
小学生の頃にやっていた映画鑑賞会の代わりだ。ぼくと熱田の二人なら確実に遊んでしまっただろうが、伊吹がいた。彼女がいると、負けるものかと思ってぼくは真剣に勉強した。
やはり問題は熱田だった。
「え、待って九九は言える?」
数学を教えていたはずの伊吹が、熱田に向かって聞いていた。
「それくらい言えるよ」心外だと言わんばかりに、熱田は唇を尖らせた。
「七の段はちょっと、あやしいけど」
「分数の足し算は?」
「やった記憶はあるんだけどなー」
頭が悪いのは知っていたが、あいつは中学レベルの学習内容を何ひとつとして理解していない。
それどころか、小学生で勉強が止まっている。
陽気で能天気なのが災いした。熱田は自分の学力に危機感を覚えていなかった。
これは深刻にやばいかも知れない。
勉強会の帰り道、ぼくと伊吹は熱田のことを話し合った。
「熱田さ、ちょっとやばいね。同じ高校どころか、このままじゃ進学できないんじゃない」
「かもな」
せっかく三人の時間を取り戻したというのに、今年いっぱいでまたバラバラになるかも知れない。
熱田が同じ高校に通えるとは思っていない。ただ一緒に勉強して、熱田をどこかの高校に入れるまで面倒を見る、くらいの考えでいた。
だが伊吹の言う通りだ。このままでは進学も危うい。
「わたしたちで何とかしないとね」
駅まで一緒に歩いて、別れる直前に伊吹が言った。
ぼくはなんだか嬉しくなった。
熱田を助けるのだ。熱田がぼくと伊吹を結び合わせたように、ぼくと熱田が伊吹を孤立から助けたように。今度は伊吹と一緒に、熱田を助ける番だ。
熱と光、太陽。言葉遊びの三人組は、この年になっても変わらなかった。
一年の空白を一瞬で取り戻せる。疎遠なんてぼくたちにはない。
いくら時間が過ぎようと、ぼくたちを繋ぐものを引き裂いたりできない。
たとえ――引き裂きたくなっても、深く根付いてしまってもう離せない。
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