第35話 風邪ひいた?

 最近よく見る光景になってきたところではあるが、この日も佳織の家族と一緒に夕飯を食べる。

 今日はおじさんがまだ仕事なのか帰っていないようで、食卓には佳織とおばさんの三人だけだ。


「いただきまーす」


 相変わらずおばさんの料理は美味そうに見える。……だがしかし、今日はちょっといつもとは違った。

 腹減ってないだけかと思ったけど、あんまり食欲がないみたいだ。

 さっきから下腹部がなんか重い感じがするし……、なんだろうな、これは。


「おいしー!」


 佳織は上機嫌で食ってるが、俺もできるだけ普段通りを意識しながらご飯を掻き込んでいく。


「……そういえばおじさんはまだ仕事?」


 美味しくないわけはないんだが、あまり味を感じない料理を飲み込みながらおばさんに尋ねる。


「ええ、そうよ。土日は休みみたいだけど、最近忙しいらしくてねぇ」


 おじさんが何の仕事をしているのかは知らないが、帰るのが早い時と遅い時とで波がある。どうやら今は遅い時期らしい。

 たまに『納期間近で仕様変更……だとっ!?』って、よくわからないことを言っているときがあったな。

 今はそういう理不尽が横行する時期なのかもしれない。


「あたしが寝る時間になっても帰ってこないこともあるよね」


 大皿からおかずを自分のお皿に移しながらしゃべる佳織だが、俺はあまり箸が進んでいない。


「……あら、圭ちゃん、今日はあんまりお腹空いてなかった?」


 目ざとく見つけたおばさんが、珍しい物を見たかのように俺に聞いてくる。

 そんなに言うほどまだ俺はこの姿になってから、佳織の家族と一緒にご飯を食べた記憶はないんだが、わかるもんなのか。


「えーっと、……そうかも?」


 もうなんというか、下腹部が重くて食欲がない。……風邪でも引いたのかな。


「あはは、あんまり買い食いしちゃダメよー」


 おばさんが冗談交じりに笑うが、俺の体調が悪いとは思われていないようだ。

 まぁわざわざ心配かける必要もないし、このまま飯食って帰って寝るか。……幸いに今日は金曜日だし、土日寝てれば治るだろ。


「はーい」


「……大丈夫?」


 買い食いなんてしていないことを知っている佳織は、俺を見て多少の気遣いを見せてくれるが大したことでもない。


「大丈夫だいじょうぶ」


 俺は大皿から肉を多めに取り分けると豪快にかぶりつく。


「あっ! それあたしまだ食べてないのに!」


 負けじと佳織も肉にかぶりつくが、俺ほど豪快ではない。


「まだあるから取り合いしなくてもいいわよ」


 おばさんは苦笑しているが、正直俺はもうこれ以上食う気になれなくなっていた。

 肉なんて選ぶんじゃなかった……。

 箸を置いて、空いた手が思わず下腹部に伸びる。


「……ちょっと、ホントに大丈夫?」


 咀嚼していた肉を飲み込んだ後、佳織が心配そうに俺を覗き込んでくる。

 声を掛けられた瞬間、無意識に顰められていた眉を緩めるが、さすがに気づかれただろうか。


「なんだか調子悪そうね? 大丈夫?」


 とうとうおばさんにもバレてしまった。こうなったらしょうがない。この二人には下手に強がっても無駄なのだ。


「あー……、ちょっと食欲ないかも……」


「あら、そうなの。……無理はしないようにね?」


「もしかして風邪とか?」


 おばさんと佳織に心配そうに声を掛けられるが、そんなに大したことはない。

 ちょっとだるくてお腹が重いと感じるだけだ。……ちょっと腰も痛いかもしれない。

 うーむ、少なくとも昼間よりは悪化してる気がするな。でもまだ熱っぽい感じはしないし、大丈夫かな?


「どうだろ? そんなに大したことないから大丈夫だと思うけど」


「軽く見てると悪化するかもしれないから、今日は早く寝なさいね」


「はーい」


 おばさんに諭されて素直に頷いておく。ゴールデンウィークも近いし、こんな時に無理して連休遊べなくなったら大変だ。


「あたしに風邪うつさないでよねー」


「よーし、絶対にうつしてやるから覚悟しろ!」


「アンタの風邪なんてうつるわけないでしょ!」


 冗談交じりに心配してくれる佳織だが、その声から感じられる感情とセリフが合っていない。

 負けじと俺も対抗するが、思ったよりも力が入らない。


「あんたら元気だねぇ」


 体調が悪くても張り合う俺たちに、おばさんは呆れ顔だ。……と思ったら急にいたずらを思いついたような表情になったかと思うと。


「そんなに風邪をうつしたいなら佳織にキスでもしてあげればいいよ」


「――えっ?」


 おばさんの言葉にビックリしたように動きが止まる佳織。いやまぁ、そんなことしたら確かにうつりそうだけども。

 いまいち回っていない頭で隣を見ていると、ギギギと金属のきしむ音が聞こえてきそうな緩慢な動作で、佳織の首がこちらに動いてきた。

 そしてその瞬間に顔を真っ赤にさせて――。


「――はぁ!? な……、なんで、アンタとキ、キキ、……キスなんて!」


 おいおい、ちょっと狼狽えすぎじゃねーか? 別にキスしろなんて言われてねーだろ。


「……何言ってんのさ」


 余りもの慌てぶりにおばさんも予想外だったのか、自分の娘を見る目が疑わしげな表情になっている。


「えっ? ……あっ! ち、違うからね!?」


 一体何がどう違うと言うのか。というか何を慌てることがあったのか謎な俺には、佳織が何を言っているのかわからん。


「まぁいいけど……」


「そうそう! 気にしないのが一番よ!」


 恥ずかしそうに愛想笑いしながらまくしたてる佳織に、俺は肩をすくめる。


「あぁ、そうだ圭ちゃん」


「はい?」


 急に話を振られた俺はおばさんに視線を向けるが、投げかけられた言葉は全く予想していなかった言葉だった。


「――風邪じゃなくてもし生理痛なら、おなかあっためておくといいわよ」

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