第25話 先に行きなさい!

「今度泊まりにおいで」


 おばさんに見送られた俺は、自宅へと帰ってきていた。

 佳織に手取り足取り、髪の手入れのやり方を教えてもらうというフラグを立てた俺ではあったが、さすがに着替えもなく他人の家の風呂に入る気にはなれない。

 だが、そこにおばさんのこの言葉だ。断れるはずもなく、次の土日にお泊りすることになってしまったのはしょうがない。


 にしても、さすがにこの時間帯だったら虎鉄は現れないよな……。

 最後に学校で見た様子からだと、ストーカーされそうな雰囲気があったから、佳織の家に避難していたんだが……。

 思わず玄関に入る前に周囲を見回してみるが人の気配はない。

 ホッと胸をなでおろすと、俺は玄関を開けて中へと入った。


「……俺を虎鉄に取られる……、ねぇ」


 俺は久しぶりに食べたおばさんのご飯と共に、その言葉を思い出していた。

 確かに佳織の家にお邪魔するのは高校に入ってからは初めてだ。というか、中学の時に虎鉄とつるむようになってからは、佳織との接点が減ったのは間違いない。

 いやでも、なんだかんだ言って学校へはいつも一緒に通ってたし、なんてことはないと思うんだが。

 ま、おばさんが言ってただけだし、気にするほどの事でもないかな。


「よし、風呂入って寝るか」


 二階へと上がると、男だった時の自分の部屋ではなく、女になった時から使いだしている部屋へと向かう。

 こっちの部屋は今の俺の姿に合うように整えているところだ。

 いつ男の姿に戻ってもいいようにというのと、男の俺の部屋がなくなったりしたら、誰かが訪ねてきたりしたときに面倒ということもある。


 ……というのは建前で、実際には女の子の部屋を作るという作業が楽しくなってるのは秘密だ。

 男の時には堂々とできなかった……いやいや、自分は男だから、女の子の部屋を作るとかいう発想そのものを持っていたわけじゃない。

 一応言っておくが俺は虎鉄と違ってヘンタイじゃないからな。

 実際にやってみたら楽しいというだけの話だ。

 今じゃ見た目は完全に女だし、可愛いものを買うという行為に、周囲は違和感なんぞ感じないだろう。変な目で見られないのなら問題ない。


 ベッドの枕元にUFOキャッチャーで取ったぬいぐるみが一つ。

 かわいらしいピンク柄の円柱型スツールボックスと、それに合うクッションと小さい丸テーブル。

 うん。まだまだ雰囲気は出てないが、ちょっとずつそれっぽくなってきたな。


 俺はクローゼットから着替えを取り出すと、そのまま風呂へと向かった。

 さっとシャワーで流すが、シャンプーとトリートメント、リンスを使う順番は佳織の言う通りにしておく。

 ドライヤーで乾かして自分の髪を触ってみたが、一回だけでそう変わるはずもなく触り心地は一緒だった。




『ピンポーン』


 翌朝、学校に行こうと準備をしていると、玄関のチャイムが鳴った。

 どうやら佳織が迎えに来たようだ。

 もちろん幼馴染だからと言って、寝ているところを起こしに来るというベタな展開は起きない。

 起こったことがないとは言わないが、まぁそれは別の話だ。

 準備と言いつつも本当のところは佳織が来るのを待っていただけなので、俺は鞄を持つと玄関を出た。


「おはよう」


「……おはよう」


 佳織の姿を認めて挨拶をすると、一瞬の間があってから返事が返ってくる。

 俺の姿が変わってからもうそろそろ経つと思うが、未だに慣れないようなんだよね。姿が変わった本人が言うのもなんだけど。


「ちゃんとトリートメントのあとにリンス使った?」


 駅に向かいながら二人で歩いていると、さっそく昨日言われたことの確認までしてきた。


「そりゃまぁ、使う順番くらいなら言われた通りにしたけど」


 自分の髪を手で梳きながら引っかかりのないことを確認していると、佳織の手も伸びてきて俺の髪に触れる。


「ふーん……。昨日より引っかかりはなくなったかな……?」


 いやそこまで分かんのかよ。


「さっぱりわからんのだが……」


 男の時の髪と比べるのも馬鹿らしいほど、今の髪はサラサラつやつやだ。

 自分でももう一度触ってみるが、やっぱりサラサラつやつやだ。


「ふふん。まぁアンタもそのうちわかる日がくるわよ」


 若干ドヤ顔なのがウザい。

 佳織にジト目を向けつつも、視界に入ってきた駅に気付いて定期券を取り出すのだった。




「どうしたの……?」


 電車を降りて学校へ向かう道すがら、俺があまりにもキョロキョロと周囲を確認するもんだからか、佳織がとうとう声に出して聞いてきた。


「……なんか視線を感じるんだが」


「――えっ?」


 俺の言葉を聞いて佳織も周囲を見回すが、特に怪しい人物は見つからない。

 というか、この視線そのものは自宅最寄り駅で電車に乗ったときから感じていた。

 その視線が駅を降りてからも続くと言うことは……、もしかして同じ学校の生徒なんだろうか。


「まさか……、虎鉄くんじゃないでしょうね……」


 視線を細めて鋭く周囲の警戒を始めながらも、俺も薄々思っていた予想を口にする佳織。

 っつーかフラグを立てるのはやめろ。俺だって思ってたけど考えないようにしてたんだぞ。

 二人して周囲をキョロキョロしながら通学路を歩く俺たち。多少は目立ってしまっているが、虎鉄の『うへへへ』という笑い声が聞こえてくるかもと思うだけで背中がゾワゾワしてくる。

 だがしかし、結局感じる視線がなくなることなく学校まで来てしまった。


「……やっぱり気のせいじゃ」


「いやいや、今でも視線を感じるし、むしろ背中がゾワゾワしてしょうがない……」


 昇降口で靴を履き替え、下靴をロッカーへ入れるべく屈んだところで、視界の端に小さい影が見えた。


「うへへへ」


「――っ!!?」


 聞こえてきた声に一瞬だけ身がすくむ。背中のゾワゾワ感は気のせいじゃなかった。


「圭! 何やってんの!」


 佳織の声に我に返ると、急いで下靴をロッカーへ突っ込む。

 そして恐る恐る振り返ると、こちらに背を向ける佳織と、対峙する虎鉄の姿が目に入った。


「ここはあたしに任せて、先に行きなさい!」


「えー、なんだよそれー。ちょっと遠くから見てるだけなのに」


 男前な佳織のセリフに抗議するように虎鉄が言葉を返すが、その言葉に俺は鳥肌が立つ。

 さらに佳織の肩越しに見える虎鉄の表情がヤバい。


「すまん、佳織!」


 背中のゾワゾワから逃げるようにして教室へと走り出すのだった。

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