夏の始まり(3)
選手たちは互いに握手を行い、それぞれのサポーターの元へ歩いていく。
ふと気配を感じ取り、俺は榎木監督へと振り返った。
「な、言ったろ? 僕の予想通りだと」
悔しいことに、結局試合は2−2の引き分けに終わった。
「しかし、この予想は最悪の最悪だったんだけれどね。僕の考えでは九十九パーセント、勝てる見込みがあった。君たちが一二〇の力を出すとは思ってなかった。そういう意味じゃ、予想は裏切られ、我々にとっては最悪の結果となった」
鹿島は俺たちに一点を取られてすぐ、守備的なシフトを敷いた。システムと選手が噛み合うまでのわずかな瞬間に、追加点を取れたものの、鹿島はきっちりと修正をし、そこからこちらのサッカーをさせてもらえなかった。真穂に執拗なマークがついたこともあるけれど、そもそも真穂に渡る以前の問題だ。
「今日の引き分けは我々にとって非常に手痛い。勝ち点1を取るために、未来の勝ち点3を捨てたのかもしれないからね。あの10番を防ぐため、防ごうとしたために、おそらく彼女はもう一つ上のレベルを見たはずだ。それが未来においてどのような作用をもたらすかは……まあ、役者が我々でなくともいずれはそうなってしまうことなのかもしれないけれど。というか、あの子欲しいな。めちゃくちゃ欲しいな。どうだい、月見監督。トレードというのは」
「やらねえよ」
「しかしどうだろうね。あの子の実現したい世界は、むしろウチでこそ遺憾無く発揮されうるのではないかとも考えるが」
「一つ聞きたい」
「何かな?」
「……オフをやらないってのは本当か?」
キョトンと目を丸くしたあと、榎木は破顔した。
「バカじゃないの。精神論と休息は別に決まってるよね? え? マジで僕がオフをやらないとか思ってたの? バカじゃない? ほんとバカじゃない? ありえないよね? あり得るわけがないよね? 今時——いやそもそも、昭和時代から監督をやってきた僕は、当時から水分補給もオフも与えない昭和脳論を駆逐したのはそもそも僕だよ?」
タヌキ親父め。
「けど——あんたのチームでは故障が多いって」
榎木は悲しげな表情を落とした。
「それはまあ、根性論に繋がるのかな。いくら注意しても、いくらケアしても、いくら気をつけていても、怪我は起こってしまう。ましてや上のレベルを目指し続ける選手の集まりだ。上しか見えないバカどもだ。そして不遇も不運も時として、いや常につきまとう。己の限界を知らない選手ほど、己の未熟さと弱さを見ようとしない選手ほど、無理をしてしまう。勝とうとしてしまう。目の前のことに貪欲になってしまう。しかしまあ、それは人間であるから仕方がないことなのかもしれない。仕方のないことで才能のある選手たちの時間が奪われるのはとても切ないことではあるが」
ああ、そうか。
この人は、その日にほんの少しだけ足りないものを補うために喝を入れたのだ。
もしもゲーム前にあの怒声がなければ、三点目を死守できなかったろう。ただの結果論に過ぎないが、やって後悔することよりもやらずに後悔するのがこの人は嫌いなんだ。使えるものはなんでも使う。そういう人間だった。その点、古き良き――古き悪き精神を持っているのかもしれないが、それが正しいかどうかなんてのは所詮結果論でしかない。
どこか、あの人に似ている。俺の最後の監督と少し。あの青い瞳をした監督も、試さずに負けるより試して負ける方に活路を見出す人だった。
「しかしそうなるとわからないことがある。あんたの著書、『人間なんて壊して——』ってやつは一体……?」
榎木は嘲笑した。背広のポケットに手を突っ込み、くだんの本を投げた。
「読んでみるといいよ」
榎木は最後に屈託無く笑って、踵を返した。
俺は本を開いて、一行目を読んだ時、彼の真髄を理解した。
——なんて考えてるやつをぶっ倒してしまえ。
しかしその言葉は深く胸に突き刺さる。なぜならば、スタンス的に真穂のプレーはそういうものなのだから。
支配者の。
けれど、要はバランスなんだろう。
真穂に使われ、真穂をうまく活用する。
それが次節への課題か。
であったのならば、三点目は取れたはずなんだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます