前年度覇者(5)
週が明けての水曜日。
この日、練習は軽めに切り上げて、俺は国立競技場を訪れていた。
時期的に次の、U-20W杯が目標である当世代は十九歳がカテゴリ上位であり、それ以上はフル代表となる。ユース代表に選ばれる人材の多くもフル代表で活躍することがあり、将来を嘱望された選手の集まりだ。この秋には予選最終ラウンドが待ち受けており、いわば、最終調整の意味を多く含んでいる。
ここまで紬は途中交代であったが、二試合共に出場し、見せ場は作っていた。それゆえ、最後であるこの試合はスタメンに選ばれており、見ないわけにはいかない。
イシュタルFCの選手たちも生観戦を望んでいたが、次節が近いこともあり、クラブハウスで衛星中継を見るに留めていた。
その紬だが序盤から得意のドリブルを見せ、相手を翻弄するも援護がなく、もどかしいプレイが続いた。
「――元チームメイトとしてどう見ます?」
隣にはノートパソコンを抱えたパンツスーツの女性がいた。眼鏡をかけ、今時のショートカットで、とても仕事のできそうな人という印象だ。
「月見監督が就任して以来、イシュタルFCは目覚ましい活躍が伺えます。まさか昨年優勝チームに競り勝つなんて、誰も予想だにしていませんでした。私以外」
「えっと?」
スポーツ記者だろうか。
「今の世代は悪くありません。技術、フィジカル、メンタル面において、非常に高いレベルであると自負しています。当世代は若い内から何度も各国代表と戦い、距離を近づけてきました。はっきり申し上げて、この世代は女子代表始まって以来の黄金世代である。しかし、それだけでは世界に通用はしない。ゆえに海外経験のある鹿野選手を急遽招集した。代表監督とスカウトの慧眼に加えて、コンタクトの速さはさすがであると。いえ、それら人員を選び抜いた、私、流石です」
何だろうこの人。すごく自分に自信があるタイプだ。
というか、ん? 選んだ?
「しかし鹿野くんの活躍を紐解いていけば、あなたの存在なくしては語れない――と、イシュタルFCのスカウトマンである及川氏が饒舌に語ってくれました」
……あの、タヌキ親父。人のことをペラペラと。
「紬――いや、鹿野選手は最初っから素晴らしいものを持っていた。それを彼女自身が開花させた。それだけですよ」
「ふむ。現役時代は王様気質だったが今は謙虚さを身につけた、と」
女性はキーボードをカタカタと鳴らし、メモっていた。
「あの――」
「つまり、お互いの出会いは相互作用的・化学反応を生み、ともに人間的にも成長した、ということでしょうね」
「あの――」
「ふむふむ。これはこれは、なるほどなるほど」
人の話をまったく聞く気が無かった。
「前述、私は黄金世代と申しましたが、今回は予選を突破できないと私は推測します。理由は、一点。若い世代から代表としてほとんどメンバーが変わることなく今のムードが出来上がってしまったゆえ、彼女たちの中にはどこか向上心の欠如が見られます。そういう意味で、今回鹿野選手の合流は、カンフル剤になってくれればと思ったのですが、気付けてはいないようです」
事実、見通しの甘いパスワークが読まれ、インターセプトされてからのカウンターを食らっていた。
失点には繋がらなかったものの、明らかなミス判断を褒め合う雰囲気さえ見て取れた。
「もっとも、問題点は現場スタッフにあります。監督を含め、以下のスタッフは皆、どこか『未来に繋がれば自分の仕事は上出来だ』と思っている節があります。もちろん、ユース代表においてその考えはある意味で正しく、育成は重要ではあります」
「それじゃあ頂点は取れない」
女性は薄ら笑いを浮かべた。
「おっしゃる通りです。そして、この世界では強者のみこそが勝利し得る。挑戦のみこそが意味をもたらし、勝利してこそが道を切り開く。どうやらその一点にのみにおいて、私とあなたの考えは一致しているようです。……いえ、彼女もでしょうか」
スタンドが「あ!」とした声に包まれた。
果敢にドリブルを仕掛けた紬は惜しくも一点というシュートを、運の差でゴールポストに阻まれていた。
「今日の出会いは非常に有意義でした」
と、女性はパソコンを閉じ、立ち上がる。
「いずれまた。私のお眼鏡に叶うほどの成績を残してくれることを願っております」
俺と紬は空港の搭乗口にいた。代表戦のあと、紬はすぐに空港へと向かった。他に元チームメイトの姿はなく、俺だけが呼ばれていた。
ちなみに、試合は敗北。得点をすることなく惨敗。
記録には汚点だけが残った試合だったが、鹿野紬の記憶はしかと刻まれたことだろう。
「正直さ、少し前までは色々考えてたし、何度もくじけそうになった。でも、今だからこそ言える。挑戦してよかった。海外に行ってよかった。今日試合できてよかった。以前では見えなかったものが、今はたくさんある」
「そうか」
曖昧にしてはならない。そう思って俺は最悪の事実を突きつけた。
「紬。君のことは好きだ。人としてプレイヤーとして。でも、異性としてはみられない。君とは付き合えない」
紬は微笑を返した。
「わかってたよ。でも、うん。伸ばしてくれて逆に良かった。半年前だったら、受け入れられなかったと思う」
「悪いな、優柔不断で。俺はこういうやつだから、君にふさわしくない」
「本当はゴールでも決めて、人生のゴールも同時に決めようって、ちょっと欲張っちゃった。サッカーの神様は見てるんだね」
「前だけ見てろよ」
「うん、もう迷わない。迷ってる暇なんてないのがよくわかった」
「俺もだ」
紬はニコリとして、拳を突き出した。
「私の方が一歩先。必ず追いついて。追いつかなかったら絶対許さない」
「ああ、期待してろ」
俺は拳を合わせた。
「待ってる。誰にも王様の椅子を譲っちゃダメだよ。健吾は私だけの王様なんだから」
そして俺たちは二度目の別れを交わした。
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