背水の陣(5)
紬が練習に参加してくれたのは、いいカンフル剤になった。
海外スタンダードの技術はもちろん、かつての戦友とともにコートを駆けるのは、何よりもモチベーションの向上に繋がった。
高いテンションを保てたまま迎えた十四節は、序盤からゴールラッシュで幕を開けた。
梅雨時の、むしむしとした暑さをさらに暑くさせるように、スタンドは爆発した。
ゴールの度、イレブンはスタンドの紬へと拳を突き上げていた。
離れてしまっても。
チームが違っても。
絆まで断ち切れたわけじゃない。
俺たちは――私たちはここにいる。これが、今の自分たちだと意思表示するかのように、躍動感あふれるプレイを見せた。
ゲームが終わる頃には曇っていた空は晴れ、虹がかかっていた。
週が明け、紬は代表へと合流し、俺たちはリーグ前半戦の山場となる三強との対決を控えることとなった。
「――判断早く! 迷うな、香苗!」
「はいっ」
次戦まで五日を切った。
ハーフコートで、攻撃と守備に別れた戦術練習の中、ボールを受けた香苗はキープしたまま出しどころを決めあぐねていた。
「むしろ、守備が良くなったと褒めるべきでしょうか」
口では優しく言いながらも、練習を見守る真賀田コーチの目は笑っていない。
「だといいんだけどね」
「しかし、ウチの攻撃陣はリーグでも屈指の爆発力。……を持っていると思いたいですが。その攻撃陣を毎日相手にしていれば、自ずと守備もよくなる。……はずです」
完璧に対処するディフェンスをどう崩すか、攻撃陣は考える。これが相乗効果を生み、強いチームとして脱皮をする過程でもある。強いチームには素晴らしい選手がいることが、何よりもの前提だ。
「開幕の時期から比べると安定感は増しましたけれど、変わりに……」
真賀田の歯切れは悪く、俺も同様に感じてはいる。
「どうにも爆発力が乏しいな」
連勝中にはあるが、決して大差圧勝というわけでもない。毎試合、ホイッスルが鳴り響く最後の一秒までヒリヒリとさせられるゲーム展開ばかりだ。それでも勝ちきれるところは、彼女たちが技術的にも、何より精神的に急激に強くなっている証左でもある。
「やっぱり、〝10番〟の不調でしょうかね。10番を背負う素質はあるものの、まだ絶対的な存在というには早いでしょう」
〝10番〟という数字は重い。サッカー史を振り返っても、偉大なプレイヤーはこの番号を背負うことがもっぱらだ。甲子園においての〝1番〟。バスケやバレーにおいての〝4番〟。
サッカーでは10番だ。
エースとしての宿命。
今期、その背番号を抱えるに至った小さな魔法使いは、まだ脚光を浴びてはいなかった。得点はもちろん、牽引力として、10番を語る際、正直言って『イシュタルFCの10番は、他チームと比べれば一つ物足りない』と、言わざるを得ない。実際、サッカー紙でウチの10番に対する評価は辛辣な日々が続いている。
前節途中交代した時なんか、『おままごとの終わり。横断歩道は監督と一緒に歩こうね』なんて酷い言われようだった。ちなみに、記事を書いたライターは出禁にしてやった。
「ここから順位を上げるには、一つでも多く勝ち星を積み重ねなければなりません」
真賀田の言葉に俺は頷いた。
イシュタルFCは現在リーグ9位につけ、ゲーム差は……考えたくない。
しかし、まだ望みが絶たれたわけでもない。今の好調を維持すれば、届かない夢物語でもなかった。そのためにはなんとしてでも勝ち星が必要だ。もう一つも落とせないが、せめて勝ち越しでリーグ後半を迎えたい。
上位三チームはどこも得点率が高く、失点率が低く、単純に言って強いチームだった。毎年優勝争いをする、はっきり言って強敵。その中でも得意不得意は当然あろう。
上位チームとの三連戦の、まず初戦が、ヴィルトゥオーサ・川崎。
現在リーグ三位に付け、前年度の覇者。今期は海外遠征や、主力メンバーの代表離脱などがあり、三位に甘んじている。それでも二位とは僅差であることから、底力はトップスリーの中でも最上位だ。
ヴィルトゥオーサ――イタリア語で「達人」を意味する女性形。
スタメンの平均年齢が高く、つまり経験豊富な選手の多いチームだ。上位の中で最も失点率の少ない。ちなみに守備の硬さがウリである現在四位のTGAよりずっと少ない失点である。何よりもこのチームを語るには〝
同じく10番の、
理由は、『クラブの連覇に尽力したいから』とのこと。二部リーグ上がりの俺たちでさえも、手を抜くつもりはないことが伺える。付け入る隙があるとすれば、若さとガッツだろうか。
つまり精神論万歳。
「相性が良かったのもあるんでしょうね」
珍しく真賀田の視線は守備陣に対してではなく、真穂に向けられていた。
俺と同じことを考えていたらしい。
「紬は計算の立てやすい選手だったからな」
ボールを扱いやすい位置にパスすれば、ゴールに向かってドリブルしてくれる。だが、右ウイングに入っている萱島環は計算がしにくい。環は枠に当てはまらない選手だが、何かに当て嵌めるなら、シャドーストライカーといったところ。一・五列目からの飛び出しが巧く、フィニッシュに繋げる仕事を主にする選手。こういった選手をシステムで活かすにはセカンドトップを設ける場合が多い。
「一度だけあの二人が以心伝心した瞬間がありましたが……」
以来見ていない。
「環も波の大きい選手だし、紫苑以上に気難しいタイプだからな」
すると真賀田は苦笑を漏らした。
「何言ってるんですか。紫苑はわかりやすいキャラじゃないですか」
ん、と疑問符を浮かべた時、ちょうど紫苑がゴールを奪って、ベンチに視線をくれた。
遅れて視線がぶつかって、紫苑は不機嫌そうに俺を睨んでくる。
「……めちゃくちゃわわかりにくいんだけど?」
「絶妙なスルーパスをスルーする監督」
「ドライブスルー監督ですね!」
宮瀬が生き生きと口を挟んだ。
「……俺、なんか悪いことした?」
そのあと、紫苑は守備を全然しなくなった。
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