新シーズン開幕(4)

 硬直した試合展開とは裏腹に、俺や真穂が抱いた不安は増大する一方で、前半はスコアレスドローのまま終了する。


 引き上げてくる選手は皆、明らかに消耗していた。

 全員サッカーの痛いところを突かれていた。


 サッカーコートは、長さ一一〇メートルかける幅七五メートル。その中をゴールキーパーを除く十人同士の走り合い。サッカーは攻守の入れ替えが目まぐるしく変わるスポーツだ。一瞬足りとも目が離せないながらも、時には将棋やチェスのようなボードゲームの側面を持つ。如何に一人が担当するエリアを小さくし、如何にリスク少なくボールをゴールまで運ぶかという競技だ。そうしてシステム論は長年かけて進化してきた。


 イシュタルFCに俺が課せたシステムはDF二枚とDMFに負担を強いる攻撃的サッカーだ。FWが三枚というシステムは横幅を広く使った攻撃に重きを置いている。そんな変則的なポジションで走り通しで消耗しないわけがなかった。


 何より厄介なのはここまで新潟にはミスひとつないこと。

 さすが一部リーグで戦っているチームだけはある。


 いや、ミスよりも判断の速さが優れている。だからミスをしない。いくらプロ選手といえ、たくさんの情報を与えられながら次の一手を考えていれば、どこかでミスは起こるものだ。三葉はそのミスをいち早く拾う嗅覚と俊敏性の優れた選手だ。これにより、ウチは速いカウンターから得点する場面が多くあった。だが相手がミスしないとなれば、ウチの攻め手をひとつ消されているようなもの。


 こちらがボールをキープして攻撃に転じていればあまり気にはならないが、ボールを奪うためにはボールを取れる距離にまで詰め寄らなければならない。


 つまり走る。


 人の走る速度よりボールのスピードの方が絶対的に早いのだ。ミスせずボールを回せるということはほとんど走らずに相手を走らせる。しかも今日は相手チームの深い位置から中盤までの縦を何度も走らされ、したがってスタミナを削られた。


 こういうサッカーはボディブローのように後半効いてくる。

 これが一部リーグの洗礼とやらなのだろう。

 そして最大の問題はボールを奪えたとして、誰がFWまで繋ぐかだ。


「4番が上がって行く時は──」


 俺が指示を出そうとした時、心美に近づいた紫苑は平手打ちをかました。


 騒然とした。


 皆、何が起こったのかまったく理解するのにひどく時間を要した。ただ俺は、紫苑の言いたいことはなんとなく察していたが、そこまでするのかとは思う。


 心美は頬を押さえながら、驚きの様子で紫苑を向く。

 紫苑は銀髪をさらりと流しながら、冷酷な表情で、


「キャプテン辞めれば? あなたは何のために、中盤を任されているのよ」


 すると香苗が間に入って、同じく紫苑の頬に平手打ちを浴びせた。


 また騒然。いや唖然。


 紫苑もまた心美と同様に驚いて頬を押さえていた。


「はあ!? 何するのよ、この木偶の坊!!」


 掴みかかった紫苑を香苗が押し飛ばす。

 尻餅をついた紫苑はぐっと奥歯を噛み締め、見上げると香苗を睨みつける。


「やり方が気に食わないなら、出てけ!」


 香苗は興奮した様子で述べた。

 逡巡した紫苑は、大きく息を吐き、


「……わかったわ。監督、そういうわけらしいから、替えてちょうだい」


 俺もまた息をつく。


 紫苑は立ち上がるとさっと身を翻して、部屋を出て行った。

 混乱とわだかまりが絡まる中、俺は杏奈に交代するよう告げた。


「えっと、さっき言いかけたことだが」


 と俺は話題を戻す。


「4番が来た時は軽くプレスをかけるフリだけでいい。ボールが完全に入ってから詰める。相手は目一杯時間を使いたいだけだ」


 しかし選手達の耳にはまったく入っていなかった。

 俺の耳にも聞こえるくらいの悪口をあげている。


「何、あの態度」、「怖いね」、「何であんな子がうちに」と。


「はいはい、今はゲームに集中」


 と俺は手打ちして、ゲームに意識を戻そうとした。


「トップの一人が受けに下がった時は、守備的ポジションの三人の誰が対処するかはっきりさせろ。基本は三葉だ。三葉が近づけない時はサイドの琥珀と玲奈の近い方が対処してその穴を愛衣、芽衣が埋める」


 俺のプラン的には、後半の開始のキックオフから紫苑で一点取れるイメージがあった。だが、その計画はおじゃん。


 紫苑には絶対的なセンスがある。だが、他の選手はそれをまだ知らない。

 守備もしないし、あの性格だ。

 しかし手を出すとはさすがに予想外だった。


 いつかスカウトマンに言われたことをつくづく思わされるのであった。人や社会が変わろうとする時っていうのは、往々にして、痛みやぶつかり合いが伴うものなのである。


 良くも悪くも昨シーズンからイシュタルFCのメンバは変わっていない。ウチの選手は団結力が高い。それが裏目に出てしまった。


「何か言いたげですね」


 後半が開始される直前、真賀田がふとそんなことを言った。


「言いたいことあるのは真賀田さんだろう?」


「ええ。こうなることは何となく分かっていたはずです」


「俺の勘違いだったかも。紫苑はもちょっと思いやりのある子だと思ってたけど」


 逆に言って、紫苑があれほど感情をむき出しにしたのは、誰よりもチームの現状に危機意識を持っていたのだろうし、相当な負けず嫌いだ。


 俺は現状、前半のメンバーが最高パフォーマンスだと思っている。そのための準備を去年からしてきたつもりだ。結果として一部昇格を果たした。それは間違いじゃないだろう。だが俺達が今いるのは一部。一流の中でも選ばれた選手達だけが集まる場所。


 通用しなければ降格。そして俺はただ去るだけ。


 紫苑の加入は大きなプラス材料になると思っていた。だがそうはならなかったようだ。今日の試合で、俺の考えと選手達の理想像とが噛み合っているのかを確かめたかった。


 後半の立ち上がりの指揮を真賀田に任せ、俺は控え室を出て行った紫苑を探しに向かった。紫苑は階段の下で壁に寄りかかりながら膝を抱えていた。震えていた。怒りじゃない。血が出るほど、唇を噛み締めて、必死に声を押し殺しながら泣いていた。


 紫苑、と優しく声をかけると、彼女はそっぽを向いて「こないで」と言った。


 擦れて赤くなるほど目元を拭う紫苑に寄り添って「クールダウンはしっかりしとけな」と言う。


 震える声で紫苑は小さく、


「分かってない……。誰も分かってないのよ。点を取れなきゃ、勝てないじゃない。私だってあんな風に手を出すつもりはなかったの……」


「俺はわかってるさ。そのために俺は君を使う」


 首を振った紫苑は、


「月見以外は誰も分かってくれない……」


 と言った。


「前のチームに戻りたい……」


 ずきりと胸の奥をきりで抉られるような思いだった。ふと俺はチームメイトと殴り合った場面を思い出す。今の紫苑と昔の俺はひどく重なる気がした。あの時のオットン監督はもしかしたらこんな気持ちだったのだろうかと想像が巡る。

 俺を誰も助けてはくれなかった。


 俺は紫苑のむせび泣く声をただただ聞くことしかできなかった。

 果たして俺はこの子たちに何をしてやれるのだろう。何を残せるのだろう?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!