8章

大一番の秋(1)

 リーグ第二十六節は勝利を手にし、四勝の内の一勝を手にする。これでまた一歩昇格へ近づいた。


 じわりと汗が滲む気温の中、時々肌寒い風が舞い込む季節。

 秋といえば、当然スポーツの秋。


 サッカーファンはもちろんのこと、地元の人々もイシュタルFCのスタジアムに足を運んでくれ、いつの間にかスタンドは満員になっていた。

 やはり大勢の人から応援されるのは心強いものだ。


 今日の相手はリーグ十五位の相手。三部降格が掛かっている相手からすれば、最低でも勝ち点1をもぎ取りたいと思っていることだろう。

 攻撃的サッカー主体かつ、首位争いをしているウチに殴り合うことはしない。

 引いて九〇分を凌ぐつもりだ。


 本当はこの辺りでスタメンを一息入れさせたい思いは俺だって同じだ。特にいつも走り回る三葉と紬は休ませてやりたい。


 今日のホーム戦以降、ファルコンFCまでの試合はアウェイが続く。

 しかも長時間の移動。調整も難しいだろう。だがそれ以上に、苦しい場面での経験はどんな練習よりも勝る。それに真賀田が集めた選手達は事故や体調不良を除いてまだ怪我はしていない。


 まだもう少し持つはず。

 俺はそんなリスクの高い賭けに出た。


「先発に変更はない。杏奈の所には薫が先発だ。俺達のサッカーは点を取るサッカーだ。笛が鳴った時、一点でも多ければ俺達の勝ち。つまりいつも通りだ」


 選手達は臨戦態勢といった感じで引き締まった表情をしていた。

 皆にはイシュタルFCとの試合が大一番になることは伝えている。

 まだ優勝は目指せることも。

 ただし、四連勝の後に首位を諦めて来シーズンに備えることは伝えていない。


 当然と言えば当然だ。それを言ってしまえば、もう昇格は確実だと意識に刷り込まれ、ここまでかろうじて保てていた緊張の糸が切れてしまう。


「香苗、ちょっと」


 と俺はピッチに向かう手前、香苗を呼び寄せた。


「俺と賭けしないか?」

「賭け?」


「ああ。俺が出す条件をクリアしたら、シーズオフに好きなだけスイーツでも肉でも奢ってやる」


「……監督。餌で釣ろうってことですか? 狙いは──」


 もちろん俺の狙いは香苗の成長だ。


「今日のゲームは退屈になりそうなんでな。ちょっと遊ぼう」

「油断は禁物です」


「まあそういうな。誰かに漏らしたら無効な。香苗が全部条件クリアできたら選手全員を奢る」


 すると香苗は目の色を変えた。

 香苗はチームのためという言葉に弱いのだ。


「条件って?」

「そうだな。今日はとりあえず、ボレーシュートで一点」

「分かりました」


 香苗は決意を露わにして拳を握りしめた。


 試合開始の準備が始まって、


「やり方が姑息です」

 と真賀田が窘める。


 とはいえ、元々リーグ昇格した暁には全員を奢ってやろうとは考えていたことだ。


「来年のことを考えると、ファルコン戦での勝利はもちろん、賭けに勝ち続けないとな。ところで真賀田さんの今年の運気はどうなの?」


「年初めのおみくじは大凶でした。職場で災難訪れる。人間関係に苦労する。消化器系の病気に注意せよ。実は胃潰瘍です」


「……冗談だよね?」

「冗談です」


 その真顔が一番冗談に見えない。


「で、香苗に出した条件ってのはどう言う意図が?」


「どうにも技術や一対一の強さは付いてきたけど、香苗の持ち味が消えちゃってるんだよな」


「積極性ですね」


 俺は頷いた。今のシステムにした弊害もあったろう。今の香苗は自分で取るよりも全員で取るって意識を持ちすぎてる。


「我の強いFWは嫌いだったのでは?」

「嫌いだけど、チームが苦しい時には必要さ」


 特に攻め手が無くなった時にはそういう選手が不可欠だ。


「でもどうしてあんな条件を?」


「香苗なら余裕でできると思ったから。それに若い時俺も、奢ってくれるって言われたら気合が入ったもんだ」


「策士ですね」


「あと真賀田さん。今日は早い段階で三葉と紬を替えるから、恵美と雫を用意させておいて」


「了解です」


 そうして試合が始まる。


 予想通り、相手チームはガチガチのディフェンスで固めてきた。ウチの対策もしっかりとしていて、軸である香苗、心実、紬の三人へのプレスは厳しかった。


 でも、ウチはその三人だけじゃない。

 結月が下がり目に中に入ってきた。


 結月の裏を玲奈が駆け上がり、三葉が右サイドに長めのボールを出す。結月がスルーして、玲奈が受け取った。フェイントを交えて縦を抉る。ディフェンスがしがみ付こうとするも、玲奈は態勢を崩しながら高めのクロスを上げた。

 ディフェンスと競り合っていた香苗が足を伸ばした。


 が、ハイキックでファウル。

 ボレーシュートをしようと無理やり足を上げてしまった。


「あのバカ……」


 俺はため息をつく。


「香苗! 今のは頭に当てたら一点だったろ!」


 怒鳴り散らす俺に香苗はあっかんべーで返した。


「策士策に溺れる」


 隣で真賀田が失笑していた。


 今度は結月のアーリクロスに飛び込んだ香苗が足で合わせようとするが、惜しくもポストに阻まれた。香苗は地面を叩いて悔しさを露わにする。


「フラストレーションがいい具合に溜まってきてるな」


 それから香苗中心にボールを集めるが、どれも難しい体勢から無理に足で取ろうとしてゴールネットを揺らすことはできなかった。


 ただしこれも思惑の内だ。

 ボレーを狙えなんていうのはただのブラフ。


 香苗には貪欲さを身につけてもらいたい。香苗の足の長さと柔らかさなら多少強引でもボールに当てられると予想してのことだ。


 惜しい場面が何度かあったが0-0でハーフタイムを迎えた。


 後半から三葉と紬を交代。恵美と香雅雫こがみ しずくを投入。二人にはできるだけ中盤でキープして、コースがなければ後ろに戻せと指示。


 夏に入ってから出番の増えた雫は真穂と同じ中学出身の先輩らしい。昨年はスタメンだったが、今年のリーグ前半は年下の真穂にポジションを奪われて悔しい思いをしてきたはずだ。


 お姫様のように長い髪を一つに束ねて、まるで侍の居合のような一瞬の切れ味あるドリブルを見せる。


 紬と同じドリブラーだが、柔らかいタッチからスルスルと相手を抜き去る紬に対して、雫は鋭いターンで揺さぶって抜く。抜けなくとも、中盤で息の長いドリブルからタメを作れる。


 恵美は堅実なプレイヤー。どこか真賀田コーチと似たような冷たさを感じさせる。体力的にはまだまだ先発としては物足りないが、パスコースを嗅ぎつけるセンスの高さがある。この二人が中心となって、速攻がウリのイシュタルFCに遅い攻撃をもたらす。


 中盤でタメを作っていることで、香苗は早くボールを回せと苛立ち始めていた。


 それが俺の狙いだった。

 香苗にはとことんイラついてもらう。昨シーズンは香苗中心に回ってきた。ところが今シーズンになって、全員サッカーに嵌ろうとして、自分を抑えていた。


 香苗にはチームとして嵌りつつも苦しい場面では積極性で点をもぎ取る選手になってほしい。難しい要求だろうがここを越えてもらわなければならない。


 俺はベンチに下がった三葉と紬がストレッチしているところへ近づき、


「次の試合は二人を休ませる。練習も軽めの別メニューでいい。オフが必要だって思ったら自分の判断で休め」


 三葉と紬は目を丸くしていた。


「ファルコン戦までにできるだけ調子を戻してくれ。百とは言わない。八割……いや七割出せるようであれば、勝機が見えてくる」


 二人は俺の不安そうな顔を察して、危機意識を持ってくれたようだ。


「はい、監督」

「了解っす!」


 ベンチに戻ると真賀田が、


「本気で勝つ気なんですか? 今のファルコンFCは別人のように強いですよ」


「わかってるよ。あの外国人選手二人がリーグの得点王争いをしてる。でもね真賀田さん。チームの総得点はウチが勝ってる」


 今やイシュタルFCが群を抜いて、二部リーグでは得点を挙げている。


 しかもFWに偏るのではなく、前の選手が満遍なく取れている。コーナなどのセットプレーではCBの愛衣、芽衣の得点もそれなりだ。

 ウチは誰でも点が取れる。

 これほど相手にしたくないチームはない。


「外国人FW二人だけじゃありません。ディフェンスラインを支える2番はまことしやかに代表候補の噂がある選手です」


「ウチのおっとり双子コンビだって負けてないさ」


 愛依がロングボールを処理しようと前に出れば、必ず芽依がカバーに入る。そんなことはCBにとって当たり前のことかと思われるかもしれないが、二人の距離感が絶妙なのだ。しかもたった二人の最終ラインで支えているのだから。


 ロングボールだけじゃない。突破しにくるFWのカバーにしても、常にどちらかが抜かれても対処できるような距離感。いや、抜かれることも止められることも、お互いがまるで脳内電波を受信し合っているようにすべてを知っていて、その予測で相手をシャットアウトする。まさに双子でなければできない芸当だ。


 琥珀は要所要所で仕事をする職人だ。

 ウチでは希少種のレフティ。


 レフティのキープするリズムは右利きとは異なる。左利きというのはそれだけで武器だ。琥珀はいち早く反応して攻撃を遅らせる。スライディングはファウルを取られずにボールを奪取し、パスカット率も悪くない。タフネスさと根性で左サイドの攻撃と守備双方に貢献してくれている。


 攻撃時には長い距離を走りながら精度の高いショートパスにロングボールとユーティリティな選手だ。もしかしたらサッカーにおいての必要な要素という意味では一番適性力が高いかもしれない。


 真奈美もまた目立ちにくいGKだが、類い稀なる反射神経で幾度となくゴールを阻んできた守護神。


 結月は他の子に比べれば早さも技術も突出していないが、スペースを見つけ、いち早く駆け出す。頭の回転の速さがある。これは守備にも多大な貢献をしてくれている。流動的ポゼッションサッカーの本当の出発点は結月のデコイから始まる。そしてクロスは香苗の頭にドンピシャに当ててくる香苗の女房役。


 ここ数試合、杏奈の代わりに入っている松野薫はボールの有無に限らず鋭い切り返しとスタートダッシュが早い。正確なトラップコントロールを持つ、香苗とは違うタイプのストライカーだ。シュートスピードと枠内を捉える精度の高さはFW陣の中ではずば抜けて上手い。


 何より、得点を嗅ぎつける嗅覚は誰にもないセンスだ。

 ただ、サボりぐせがあるが。


 言わずもがな、心実はゲームキャプテンとしてチームをここぞという時に奮い立たせる。冷静な判断力でこのチームの舵取りをする。


 それから玲奈は安定感したプレイが持ち味。彼女から生まれる信頼感がリスクを冒した攻撃を芽生えさせるのである。


 ピースは嵌りつつある。

 いや、もうこのチームは完成していた。


 流れるようなポゼッションサッカーに目まぐるしく交換されるパスワーク。

 そしてワイドを使っての突破力。


 完璧と言ってもいい。今のチームでも十分に一部と渡り合える。まだ基礎体力とフィジカルは劣るが、得意分野で勝負すれば個々は負けない。


 新たな選手が入るたびに出来上がる絵は同じ花でも違う色合いを見せる。

 個々が花開いたとき、チームは一つとしてではなく一面の花畑と化すのだ。


 一人はみんなのため? バカいうな。


 一つの個性が爆発した時、美しいサッカーを実現する。そして、ここに真穂の想像力が加われば、思わぬ化学反応が生まれる。今のチームに真穂が加わった世界を俺は心の底から見てみたかった。


「ただし香苗。今のままじゃ、来年は後半の切り札としてしか使わないぞ」


 俺は祈るようにまだ蕾の開花を待っていた。俺だけじゃない。隣の真賀田だって、拳を固く握って香苗のプレーに熱視線を送っている。


 後半も半ばを過ぎ、未だスコアボードは動かなかった。


 ゴールキックを愛依がクリアして雫に繋いだ。

 雫が一瞬で一人を抜き去った。コースが開け、心実にボールが渡る。


 心実はボールを止めて中へと走った。雫がその場ワンツーから前を向いたまま、左サイドへと流れ、縦へのパスを出した。


 薫はシュート気味の早いパスを心実に戻し、さらにサイドチェンジ。

 こうなると相手はもう追えない。


 走り込んでいた結月がボールを受け、ペナルティーエリアにまで接近する。ディフェンスに詰め寄られながらもフェイントから切り返し、得意でない左足からふわりとフォアサイドへと放り込まれた。


 薫がダイレクトのボレーシュートを放つも、惜しくもポストを直撃。


 しかし、香苗が跳ね返ったボールを頭に合わせる。これもキーパーがファインセーブで弾いたが、香苗は体勢を崩しながらも足を懸命に伸ばして、押し込んでようやく一点。


 俺と真賀田は揃って息を吐いた。ため息がハモった気持ち悪さにお互い変な空気に狼狽する。


 その後、香苗は事あるごとにボレーシュートで点を取ろうと空振りが三連続続いたので交代。


 引き上げる香苗はふくれっ面で、


「途中交代とか卑怯です!」


 とまだ余裕いっぱいに怒っていた。


「あの一点はいい働きだった。課題は繰越って事で」


 香苗は納得していないながらもひとまず怒りを納めてくれたようだ。


 当然、引き分け狙いだった相手チームが点を取られたとなると点を取ろうとしてくる。色気を出して前に出てくるのだが、最初から点を取れるのなら守って引き分け狙いなどしない。


 カウンターから少ないパスで薫に渡り、あっさり追加点。

 後半終了間際、緊張感の緩みから失点を許すも勝利で試合終了。


「とりあえず、二連勝か」

「でも次は三葉と紬を外すんですよね?」

「まあ、大丈夫じゃない? 今日は収穫があった試合だ」


 本当にこのチームの成長は見ていて飽きない。

 嬉しい悩み事を増やしてくれる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます