孤独な天使たち(4)

 先ほどのコーナーキックの中、身体の大きな外国人選手の着地の際、全体重が真穂にのしかかっていた。相手選手はなんともなく、謝罪を込めて立ち上がらせようと手を伸ばしたのだが、真穂は蹲ったままだった。


「どこだ!?」


 真穂は足先を抱えていた。


「指……踏まれた……音が……ごきごきって、砕けて……痛い……痛いよぉぉ……」


 真穂は呼吸を荒げながらなんとか言葉を紡いだ。


 意識はあるし、膝や靭帯じゃないことに俺は些細なため息を漏らした。びっしょりと額に流れる汗を拭き取り、必死に痛みを和らげてあげようと頭を撫でた。


 大丈夫、大丈夫だ、と囁いた。

 俺は祈った。


 大丈夫であってくれと。

 大丈夫、大丈夫なはずだと祈りを込め続けた。


 こんな才能を──神様が、サッカーの女神が奪うはずもない。


 なんでも差し出すから、この子だけは助けてくれと。

 真穂からサッカーを奪うというのなら代わりに俺から奪えと。


 足でも命でも俺の代わりに持って行っていいからと。

 真穂からサッカーを奪わないでくれ。


 俺はそう願い続けた。


 ようやく担架が運ばれ、真穂が乗せられる。

 魔法の時間はまるで夢のように終わり、静まり返っていたスタジアムが騒然とする。


 そんな中、レイチェル選手が眉を顰めて、俺に「ソーリー……」と謝った。

 殴ってやりたかったが故意じゃないし、せっかく真穂が稼いだ五点とこの奇跡の四十五分を無効になんか出来るはずもなかった。


 俺は悔し涙を必死に押し殺し、

「お互い気をつけよう……」

 と言葉を残してベンチに引き上げる。


 選手達はロッカールームに集まっていた。心配そうに疑問の目を向ける。


「……たぶん骨折。選手生命に関わるような怪我じゃない。真穂は大丈夫だ。だから、俺達は真穂にちゃんと勝ちを報告しよう」


 俺は一度深呼吸をして、自分を落ち着けた。


「真穂の位置に紬が下がって、右ウイングに結月。試合前のプラン通り、センターに香苗が入る。他はそのまま。しんどくなったらすぐに告げてくれ。後半もやることは変わらない。紬と真穂を中心──あ、いや、紬と香苗中心で。何か質問は?」


 全員、口を閉ざした。

 俺は真賀田に病院へ行ってもらうよう指示をする。


「佐竹さんに連絡して、親御さんとか諸々のことを──」


「もうやりました。チームドクターにもすぐ説明の連絡を入れるよう頼んで頂きました。もしかしたら手術することになるかと」


「ああ、ありがとう」

「なんと言っていいのか……残念でなりません……」

「ああ……そうだな」


 早くても復帰に数ヶ月は掛かるだろう。若いから回復も早いかもしれない。

 ただ、今日の四十五分で見た真穂だけの世界がまた見えるかは神のみぞ知ること。


 俺がそうであったように──。


 それから残りの四十五分はあっという間に過ぎた。後半に入ってからウチの流動的サッカーはまるで決壊したダムのように慌ただしかった。


 誰も修正しようとはしなかった。

 むろん俺も。


 辛うじて真賀田が檄を飛ばしていたが、俺を含めて選手全員が集中力を欠いていた。


 前半とはまるで違う無様な後半だった。前半と後半ではまるで別チームがサッカーをしているようだった。


 俺は後半の試合内容をほとんど覚えていなかった。後半中、俺の脳裏には真穂の接触の場面がフラッシュバックし、その隙間には俺が昔怪我をした場面が灼きついた。


 それら二つがリンクして、視界がグラグラと揺れていた。

 吐き気がした。俺が怪我をしたわけではないのに、脂汗が滝のように流れていた。




 悲劇のファルコン戦から一夜明ける。俺はクラブハウスに戻るとビデオを二十回ほど──正確には数えていなかったが──見返して、ようやく5-4で勝ったことを知った。それでも何十回と前半を回し見るほどに魅了された。


 朝になり、佐竹に呼び出された俺はスーツに着替えて駐車場に足を運んだ。

 赤いコンパクトカーに乗せられ、真穂の入院先へと向かう。


 ダッシュボードに乗せられていたスポーツ紙に手をかけようとするが、佐竹は素早く拾い上げ、窓から捨てた。


 気遣ったのか、言葉が見つからなかったのか、無言が流れた。重苦しい雰囲気のまま病院に到着する。ナースセンターで病室を聞き、整形外科病棟に向かった。


 ノックして入室する。

 ベッドの側には真穂の両親が居て、俺と佐竹は会釈を向けた。


「監督。グ、モーニン」


 真穂はわざとらしい陽気さを振舞って俺を迎え入れた。


「わあ、監督のスーツ姿、なんか新鮮だよぉ」

「おはよう。調子は?」


「絶好調。今日は十点くらい取れる気がするよ。あ、でも、怪我してるから出場は無理だね」


「今日はオフだぞ」

「それもそだね。へへ」


 そんなやりとりをしていると真穂の父親が「監督さんですか?」と俺に疑問を投げ、病室の外へと連れ出した。

 あまりいい予感のしなかった俺は頭を下げるタイミングを伺っていた。


「手術は昨日のうちに終わりました」

「はあ……」


「詳しいことはよく分からないのですが、右足の親指が複雑骨折していたと」

「はあ……」


「金属を入れたそうです」


 その言葉に俺は凍りついた。

 言葉が出てこず、ただ頭を下げた。


「頭を上げてください。私も妻も誰も恨んじゃいません」


 母親の方はずっと顔を顰めて口を覆っていた。

 スポーツ選手に怪我はつきもの。一歩間違えれば、人生を棒に振るような事故もありえる。しかし、幸いなことにリハビリすれば復帰できるそうだ。


 ただ、と言った真穂の父親の声色は低く重苦しいものだった。

 俺は癌告知を宣告されるような気分だった。


「……私はあの子がやりたいと言い出したから、今まで好きにサッカーをやらせてきました。真穂も楽しんでいたので、口出しはしませんでした。ですが、私達夫婦は今日をもって娘を退団させることに決めました」


 父親の言っていることはほとんど頭に入ってこなかった。


 今ほど後悔した日はないとか。だけど運が良かったとか。もう昨日のような思いはしたくない。真穂だって同じはずだと。


 そんな風に父親は言っていたと思う。


「私達はただあの子に幸せに生きて欲しいんです」

「……本人はそれで納得しているんですか?」

「納得させます。時間がかかっても必ず」


 言い返せなかった。

 所詮俺は他人。家族の決めたことに口出しは出来るはずもない。まして成人もしていない真穂を俺が止めようとしたって意味のないことだ。

 それでもこれだけは言わずにはいられなかった。


「ご両親は昨日の試合をご覧になりましたか?」


「……見たくもありません。生で見て入れば、どれだけの悲鳴をあげたことでしょう」


 両親が去って行き、俺はもうしばらく真穂の側にいようと、ベッドへと戻った。


「お父さんと何話してたの?」

「昨日の試合内容のことでちょっとな」


 こういう時、嘘の言えない自分を恨めしく思う。


「そう言えば、昨日のMVPは誰だった?」

「当然真穂だ」


「ええ、でも前半途中交代だから、後半も活躍した選手じゃない?」

「後半はどっちもバテバテで小学校低学年の草サッカーみたいだったからな」


「嘘だぁ。じゃあ昨日のビデオ見せ」

 と言いかけて、真穂は暗い顔で俯いた。


「やっぱりいい。全部覚えてるし。どうなったかも覚えてるからいい」

「あの試合は俺が見てきた試合の中でもベスト4だった」


「そこはお世辞でも一番だっていうべきじゃない? ちなみに一番は?」

「俺のプレミアデビュー戦だ」


「ナルシスト?」

「誰から見てもあの試合はサッカー史に残る試合だった」


 真穂は窓の外に目を向け微笑を浮かべると、


「月見健吾の試合は週に一度は見てるんだ。でも真穂的にはビッグロンドン・ダービーが一番かな。あれは世界中のサッカーファンを虜にした試合だもん。二番目がプレミアデビューで、プロ初試合が三番目かな」


「真穂は月見健吾の筋金入りのファンだな」


「えへへ。嬉しい? こんな可愛い中学生にファンになられた感想は?」

「光栄さ」


「ひとつ聞いてい?」

「なんだ?」


「どうして月見健吾はピッチに戻らないの? もう戻れない……?」


 俺は逡巡して、真穂に本当のことを告げるべきか悩んだ。


「戻る気は無くもない。ただ今は怯えてる」

「怪我に?」


 俺は首を振った。



 真穂と俺は似たプレイヤー。

 だからその言葉がどういう意味を持つのか真穂は知っている。


 真穂も俺も少しの間、口を閉ざして無言を味わった。


 真穂は自分を落ち着けるように深呼吸し、

「……昨日ね」

 と口火を切る。


「私にも見えてたよ。多分、月見健吾と同じ世界が。すごく気持ちよかった。あんなの他じゃ味わえないよ。ゴールを決めた時、アドレナリンがどわぁって出る感じ。でもゴールよりも気持ちいいの。ずっと続いてた」


 間違いを正すのなら、アドレナリンではなくエンドルフィン。いわゆるランナーズハイはこの脳内物質が関わる。あの多幸感を味わえるのなら、他の何もかもが必要じゃないとすら思えるほどだ。


 ただ俺は悲しみが溢れてきて言葉が出なかった。


 目頭が熱かった。

 しかし真穂の前では泣かないと必死に目を細め、首を振る。


「俺とは違う真穂だけの世界だった。俺は君のプレーに魅了されていた」

「ほんと?」


 ああ、と頷いた俺は、


「俺からもひとつ聞かせて欲しい。真穂は今でもサッカーが好きか?」


「大好き。それは変わらない」

「怖いか?」


 真穂は正直に怖いと漏らした。


「だけどもう一度見て見たい。ううん。ずっと、何回も見てたい。ねえ監督。私のサッカー今日で終わりなの? まだやれるのに、怪我治ったらまた皆と監督とサッカーできるのに、終わっちゃうの?」


 心臓を手で握り潰されるような思いだった。

 真穂はサッカーの女神に厳しく突き放されようというのに、まだ愛していた。


 終わらせない。

 終わらせたくない。


 俺だって真穂の世界をまた見て見たい。


「俺にできることはなんでも言ってくれ。なんでもする。ご両親にだって頭下げる。真穂のためならなんでも協力する」


 すると真穂は微笑した。


「それって、僕にお嫁さんをくださいみたいなセリフだよ」


 かもな、と俺も苦し紛れの笑顔で返した。


「実はさ、俺、このチームに来るまで見えなくなってたんだ。でも真穂のプレーを見て少しずつ感覚が戻り始めてる」


「私のおかげ?」


「ああそうだな。真穂は天才プレイヤー月見健吾をどん底から救い出した天使だ」


「じゃあ、そのお礼をして欲しいな」

「なんだ?」


「その無理なお願いなんだけど……」

「なんでもするって言った。なんでも言え」


「明日の朝、起こしにきて欲しい。明日には退院だから」

「そんなことでいいのか?」


「でも病院の朝は結構早いよ?」

「朝四時くらいならラントレで起きてるから大丈夫だ」


「それは流石に早すぎ。七時くらいで」

「わかった。必ず起こしにくるよ」


「たぶん、真穂じゃないかもしれないけど、幻滅しないでね?」

「パジャマのセンスにはちょっと疑問を感じてるから問題ない」


「ム。この病人丸出しの薄汚れた白いパジャマはお母さんが勝手に──」

「じゃあ、パジャマも買ってきてやろう。何がいい? サイズは?」


「さりげなく女子中学生に対してのセクハラ発言」

「じゃあ、佐竹マネジャーに頼んどく」


 話題もなくなってきて、切り上げようかと立ち上がったが、真穂は俺の袖を掴んで引き止めた。


「……もう少しだけ」


 泣き出しそうな顔を見て、立ち去れるはずもなかった。

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