孤独な天使たち(2)

 そうしてやってきた週末。

 リーグ四戦目は長野に乗り込んでのアウェイ戦だ。


「ツムギ! ツムギ! ツムギ!!」


 紬コールに沸くイシュタルFCサポーター。

 アウェイだというのに、わざわざ遠征して熱心に応援してくれている。


 その声援に勇気付けられるかのように、紬は翼を広げた。


 イシュタルFCのアウェイカラーは漆黒の黒だ。相手チームからしてみれば、まるで悪魔のような羽ばたきだろう。


 積極果敢に突破する紬がディフェンダーをかき回す。


 敵を引きつけて、真穂に預けた。真帆はサイドに素早く展開。そしてチーム一のスプリンター杏奈があっという間に先制点をもぎ取った。


 前半終盤に香苗が結月からのアーリークロスを頭で流し込み、二点目。


 後半に入ってすぐ、真穂から目が醒めるようなスルーパスが決まる。紬がペナルティエリア内で三人を抜く芸当を見せ、最後にPKを誘って三点目。


 紬はあれでまだ本調子じゃないのだから本当にすごい選手だ。

 真賀田コーチが惚れ込むのも分かる。いや、俺ももう惚れていたが。


 終盤、個人技でディフェンスラインを突破され失点を許すも、3-1で快勝。


 試合が終わり、選手たちがバスに乗り込む中、加藤アナに俺は呼び止められる。


「二連勝おめでとうございます」

「……アウェイまで付いてきたの?」


 周りを見たが、加藤アナは一人のようだった。


「イシュタルFCのドキュメンタリー企画でもあげようかと思ってまして。個人的な追っかけですよ」


「ふーん、熱心だね」


「私、政治部希望だったんです。でもほら、おっぱい大きいでしょ?」


 加藤は自身の胸を自慢げに持ち上げた。


「それで、スポーツ部に回されて」


 と加藤は苦笑を浮かべた。


「学生時代は弓道やってましたが球技は苦手でしたね。サッカーのさの字も知らなかったんですが、先輩にある試合映像を見せられて、サッカーって面白いかもって感じました。だから今はこの仕事に真剣に取り組むつもりです」


「いい心がけだと思うよ」


「私に興味を持たせたのは、あなたですよ。月見選手」


 加藤アナにまっすぐな眼差しを向けられ、俺は少々面食らっていた。


「月見選手のベスト3とも言われるビッグロンドン・ダービー。あれはスポーツに興味のない人でも虜にしてしまう魔力を持っています」


「過大評価さ」


 昔のことを思い出しかける俺は不意に襲いかかる走馬灯を閉ざすべく、片目を手で覆った。


「実は昨日、番組で過去の名場面特集を放送して、反響が結構ありました。その中でも多かったのがゴールの方ではなく、あなたのパスだった」


 そう、と俺はそっけなく返した。

 すると加藤は寂しそうな顔をして、


「どうして突然辞めてしまわれたのですか? これはマスコミとしてではなく、個人的な質問です」


「……見えなくなってしまったから」


 俺はいつも通りの回答をした。


「どういう意味ですか?」

「でもさ、加藤さん」


 俺は暗い顔に笑顔を貼り付けて、


「俺が見えていた世界は受け継がれてる。今日の三点目、覚えてる?」

「鹿野選手の三人抜きですか」

「それもあるけど、その前のパスだよ。ディフェンダーの間を抜けるパス」


 僅かに回転がかかってて、相手の真後ろを横切った。中盤と最終ラインの間に落とされたボールを紬が拾って、三人抜きという場面だった。


「確かあのパスは22番の──」


「白井真穂。もしも加藤さんが俺の幻想を追っかけているというのなら、真穂を追っかけてみれば、見えるかもしれないよ」


「白井選手は月見選手と似ている、と?」

「それは自分の目で確かめてよ」


 確かに真穂は俺と似ているかもしれない。ただ俺とは違う、真穂のリズムがあるのではとも感じていた。


「じゃあ、この辺で」


 加藤との会話を切り上げ、バスに乗り込む。

 席に腰掛けすぐにバスは出発する。


 選手たちの様子を眺めると、出場した子たちは疲れてうとうとしていた。出場機会のなかった子たちは、あの場面自分が出ていればどんなプレイをしたか、とイメトレしながら話し込んでいた。


 通路を挟んだ隣の席から頬を綻ばせた真賀田が、


「波に乗り始めてますね。ムードも向上心も悪くないです」


 とはいえ、今回は三部上がりのチームで実力差はかなりあった。


「おそらく、試金石となるのは今から三つ目のファルコン戦です」


 真賀田は途端に厳しい表情に戻した。

 俺もその試合を少し想像して、難しい顔を浮かべた。


「対策は?」


 俺は曖昧に言葉を濁した。


 宮崎ファルコンFCも成長著しい。試合を重ねるごとに研磨されている。いつか佐竹が言っていた外国人選手が加わったファルコンFC。去年とはガラリと変わっていた。こういうチームは対策を立て辛い。ビデオを何度も見返したものの、隙がないばかりか、ウチが相手にするのはもっとも嫌なチームだ。


「今のファルコンFCの監督は、私が選手時代居たチームのキャプテンだった人なんです」


 真賀田は話の矛先を変えた。


「昨日の友は明日の敵みたいな?」

「しかもあの人は去年まで選手でした」

「じゃあまだ若い監督ってことか」


「まだプレイできるのに、急に監督をやり始めたみたいです。選手時代から考えの読めない人でした。そういう意味で月見監督と似ているところがあるかもしれません」


「俺って考えの読めない監督?」

「自覚ないんですか。2バックシステムを採用したあなたが」


 真賀田は嘲笑していた。



 そうしてやってきた五戦目。この日は杏奈のスピードが十二分に活き、最後には香苗がフィニッシュをきっちり決め、得点を積み重ねる。


 ハーフタイムが終わって、俺も真賀田もほぼ勝利を確信していた。ファルコン戦に向け、香苗といつも走り通しの玲奈を温存する意味で交代させる。


「ようやく香苗も目が覚め始めたかな」


 ええ、と真賀田が頷く。


「しかし私の目から見て、もう一つあるように思えます」


 そう、ウチが点を取れ始めているのには大きな理由があった。


「今まで心美が攻撃の起点だったのに、もう一つ真逆のリズムが加わっていると感じられます」


 相手チームはウチを対策していないのではない。むしろ、対策しているからこそ、ウチの起点である心美には厳しくプレスをかける。しかし今のイシュタルFCにリズムをもたらすのは心美だけではない。


 スピードと流動サッカーがウリのうちのリズムに微妙な変化を加えているのが真穂だ。ここまで、スーパープレイは前節のスルーパス一本だったものの、要所には必ず真穂が絡んだ場面からゴールまで結ばれる。


 前線に当て、落とされたボールを二列目の真穂が散らす。すると心美が得意とするロングボールやサイドチェンジを楽に送れるようにお膳立て。


 それに気づかれなければ、まず負けない。


「でも真穂にはもう一つ上のレベルがあると思うんだけどなあ」


 帰りのバスの中、俺は祈りを込めるように真穂に目を向けた。真穂は無邪気な寝顔を浮かべながら、「ボールちょうだい」と寝言を言っていた。




 続く次節。


 まだ中盤の深い位置で左サイドの琥珀がパスの出し手を探す。ビルドアップしようにも、相手チームはしっかりとFWの三人をマークしていた。


 その際、真穂がディフェンダーを引き連れながら下がってボールを要求。


 心美は、真穂が得意とするダイレクトパスから縦へのスルーパスを送ろうと、ボールを受けに上がっていく。その時、FW三人が前で準備をし、マークを振り切ろうと動き出していた。


 だが真穂は足裏でボールをたぐり寄せると、くるりとターン。

 DFと相対。すかさず詰め寄るディフェンダーをいなして、前方が開けた。


 その瞬間、俺はぞくりと全身が粟立つのを感じた。


 ゴールへの最短ルートが見えた──。まるで自分がプレーしているかのように俺の頭の中は閃いていた。


 それは俺だけの世界。

 しかし、その未来図は唯一無二ではなくなった。

 ベンチから無意識に立ち上がる俺は言葉を失っていた。


 CBが詰め寄る前に、真穂はハーフラインを少し超えた深い位置からボールを大きく蹴り出した。


 誰しもがパスミスだと思った。

 ゴール裏のスタンドにパスしたかと思う軌道だった。


 観客も相手ディフェンスやキーパーだってそう思っていた。しかし真穂が放ったのは無回転シュート。GKの頭を超え、ブレながら落ちるナックルボールはゴールネットに吸い込まれていた。


 スタジアムが一瞬にして凍りついていた。

 何が起こったのか誰にも理解できていなかった。


 相手チームのGKでさえ、二度三度、ゴールと真穂を振り返って状況を理解しようとしていた。シュートは決して速さがあったわけじゃない。まさかハーフライン付近からの超ロングシュートを狙うなんて誰にも予想できないことだった。

 ホームラン級のパスミスかと思わせるボールだ。


 それに一番驚いていたのは真穂自身だった。

 小さな天使は、現実か空想かをまだ掴みかねる様子で唖然とゴールを見つめていた。


「ねえ、真賀田さん」


 と声をかけたが、真賀田もまだ口をポカンと開いていた。


「──え? なんですか?」


「そういや、ウチの10番って欠番だったよな」


 すると真賀田は苦笑を浮かべ、


「今シーズン、結果を出せば誰も異論は唱えないですよ」


 俺には近い将来、10番を背負う天使の姿が狭間見えていた。

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