第五節 呪いの樹
その異変が起きたのは、夜も深けたころ、カナタがすっかり眠りこけている時間だった。
急に身体を包んでいた揺り籠が消えて、カナタの身体が石の地面に放り出される。
「いったぁ……!」
強く打った腰の辺りをさすりながら、カナタは抗議するためにイアを見る。
彼女の様子を一目見て、カナタはそれが只事ではないことを理解した。
頭を抱えて、何かに怯えるように振るえている。そして次の瞬間には、カナタの頭の中に強烈な声が送られてきた。
『コワイコワイ! コワイノガクル! タスケテ!』
「イア!」
すぐに彼女の元に駆け寄って、背中に手を当てて安心させる。
辺りからはがさがさと葉が揺れる音。何かがこちらに近付いてきているのは明白だった。
「おい、カナタ!」
その気配は聖域の建物の中にいたゲオルクにも伝わったのか、彼も少し遅れてカナタ達の元に駆けつけた。
怯えて縮こまるイアを見て事情を察したゲオルクも、イアを護るようにして臨戦態勢を取る。
「この音の正体が、そいつの言う怖いものってことか?」
「……多分」
今でも頭の中には、イアの声が響いている。うるさいぐらいだが、それに対する苛立ちよりも何よりも、彼女の怯えた様子が伝わって、早く何とかしてあげなくてはと言う気持ちで埋め尽くされる。
「敵ってことだよな? 戦うのはいいが、武器がないぞ」
「これを」
いざという時のために腰に下げてある剣を渡す。セレスティアルを使えるようになってからは殆ど抜くことがなかったので、新品同然の逸品だった。
「ほぉ。こいつはいい剣だ」
軽く振るって、ゲオルクがその感触を確かめる。
そんなことをしている間にも、音は次第に近くなって来ていた。
数は多いが、大型ではない。小さな、人間ぐらいの大きさのものが沢山いるような、そんな気配だった。
『クル!』
「来ます!」
「おう!」
暗闇の中から、無数に何かが伸びてくる。
それは植物の蔦だった。それらが意志を持って、カナタ達に襲い掛かって来ている。
カナタが反応するよりも早く、ゲオルクが前に立ってそれらを全て叩き落とす。
「ふぅ。久しぶりに身体を動かしたが、大分鈍ってるな」
正直なところ、王と言う肩書と持つゲオルクの戦いに、カナタはそれほど期待していなかった。
しかし、彼の動きは精錬されていて、その流れるような剣捌きは見事なものだった。
ヴェスターやラニーニャなど、カナタの知る強者には及ばないが、それでも一流と呼んで差し支えない。少なくともカナタよりは達者な腕前だった。
「まだ来るぞ!」
『イヤッ!』
迫りくる蔦の数も一本ではない。
それでだめなら数本、数十本と、圧倒的に数を増やしてカナタ達を狙っている。
「違う。これ、狙いはイアだ!」
その半数はカナタ達をその場から動かすために不可思議な軌道を描いて襲いくるが、もう半分は真っ直ぐにイアに向かって伸びている。
すぐさまイアと蔦の間に飛び込むと、カナタはセレスティアルを展開して剣の形へと変える。
極光の剣は瞬く間にイアに向かって襲いくる触手を叩き落とした。例え数が多くても、トゥラベカの変幻自在且つ鋭い槍の突きには遠く及ばない。
「埒が明かない。ボクが斬り込みます!」
無意識に力が入る。
闇の中にいる敵を倒せと、心の中で何かが囁いた。
いつの間にかセレスティアルは紅く変色し、カナタはその力を振るおうとしていた。
『ダメッ!』
「痛いってば!」
大音量の声が頭に響いて、カナタはその場で派手に転がった。
『ダメ、コワイ、ダメ、コワイ、ヤメテ!』
「いや、だって……!」
『コワイッ!』
「判った! 判ったから!」
割れるような頭痛には勝てず、カナタはセレスティアルを解く。
それを見ていたゲオルクが、大量の蔦を相手に立ち回りながら叫んだ。
「なに遊んでんだ! 来るぞ!」
カナタとイアのやり取りは、一瞬の隙を生んだがそれは功を奏したのかも知れない。
こちらの動きが鈍ったと判断したのか、暗闇の中に潜んでいた者達が、近くで仕留めようと包囲を狭めていた。
草木の影に隠れていたその姿が、聖域に踏み入って露わになる。
その姿を見て、カナタとゲオルクは一瞬、言葉を失った。
「これ、イアの仲間?」
立っていたのは、美しい女達だった。
木の葉や絡み合う枝を衣服のように纏って、その長く伸びた髪は大地へと接続されている。
死者のような白い肌、美しいが何処か生気のない顔。
紅く爛々と輝く眼だけが眩しいその女達は、どう見てもイアと同じ、ドライアドに見える。
「イア、これって」
『コワイノ、イヤナノ。ミンナカワッチャッタ、カワッタ。ヘンニナッタ』
女達はイアが同族であるかどうかなど関係ない。ただこちらに進軍し、イアの身体を奪おうとしている。
『ココロヲウシナッタ、ココロヲウバワレタ、ココロヲタベラレタ。アイツニ』
あいつと言うのは、あの巨人のことだ。
つまり目の前のドライアド達は、あの巨人によって凶暴化させられた魔物と言うことだろう。
何故かイアだけが、それを免れた。その理由は判らないが。
「聖域を侵す。聖域を冒す。聖域を犯す。本来そうあるべきもの、穢れより生まれし者である故に」
「……なに、喋っているけど……。意味判んない」
「古代樹を穢せ、その聖域を奪え。支配を確実なものとしろ。世界を覆う闇よ深まれ」
事情はどうあれ、イアを連れていかせるわけにはいかない。
この樹海を抜けるにはイアの案内が必要だし、何よりもイアは友達だ。
この世界で出会った、初めての異種族の友人。人と違うものでも絆を紡げると教えてくれた。
彼女をここで失ってたまるものか。
全身に力を込めて、ドライアドを睨みつける。
セレスティアルの強度を落として、最初と同じ透明に近い色の極光を剣へと変えて手に構える。
石畳を強く踏みしめて、一歩を踏み込む。
伸ばされた蔦を一息に斬り払い、まずは先頭に立つドライアドの目の前へ。
「ギッ」
軋むような唸りが耳を打つ。
目の前の彼女等も、本来ならばイアと同じ優しさを持っていたのかも知れない。
そんな考えが脳裏を過ぎって、カナタの一太刀目はその腕から生える枝を斬り落とすだけに留まった。
「ごめん」
すっと、光が舞う。
カナタの持つ極光の剣は、何の抵抗もなく目の前のドライアドの身体を横一文字に両断する。
ずるりとその身体がずれて、何が起こったのかも近くしないままの表情で、一匹のドライアドが絶命してその身体が崩れ落ちた。
返す刃でもう一匹。
飛び散った、彼女達の血液に相当する樹液のような生暖かい液体が、カナタの身体を汚す。
伸びてくる蔦を、セレスティアルの盾が防ぐ。
例え紅い光が使えなくても、既に彼女等はカナタの敵ではない。
ただ蹂躙されて、滅ぼされるのみ。
光が舞うたびに、一人また一人とドライアドが消えていく。
そうしていつの間にか、残ったのは最後の一人。
「ひっ」
喉の奥から漏れる悲鳴が耳に届いて、カナタは振りかぶった剣を止めた。
「ボクのことが怖い? だったら下がって、もうここには近づかないで!」
光の粒子を撒き散らしながら、カナタが叫ぶ。
恐怖に怯えたドライアドは、一歩また一歩と後退る。
「お前は、違う。お前はなんだ? お前は、この世界のものじゃない」
「そうだよ。だってエトランゼだもん」
「そうじゃない。お前は、お前は」
「……どういうこと?」
カナタの疑問に彼女が答えることはなかった。
その言葉に惑わされ、怯えた気配が既に戦いの終わりだと判断したその一瞬の隙。
それを突いて、彼女は行動を起こしていた。
「馬鹿め!」
ぞぞぞと、嫌な音がする。
足元に夥しく散ったドライアドの血液が集まる。
そしてそれは蛇のようにのたうって、カナタへと襲い掛かった。
「そんなの!」
一刀のものとにそれを斬り伏せる。
例え不意を突かれたとしても、今のカナタをそれで止めることはできはしない。
「掛かった、掛かった! 呪いは届いた!」
「なに……! イア!」
悲鳴が聞こえる。
頭の中を内部から金づちで叩くような痛みが襲って来る。
血の蛇が向かった場所は、カナタだけではない。
すぐ傍で身を護っていたゲオルクを擦り抜けるようにして避けて、上空で飛散したその液体はイアに降り注いでいた。
「さあ殺せ! 呪いを振りまけ、殺戮の御使い、我等を狩る者、人の意のままに命を奪う殺戮機構。心の壊れた哀れな人形!」
「……ごめん」
その声に、カナタを嘲るような言葉に、何故か芽生えた感情は憐憫だった。
彼女の言っている意味は全く理解できない。ただ、イアを護るために放っては置けないという理由で、それを両断する。
「……これでいい。これで」
何処か穏やかな顔で、彼女は倒れる。
カナタはすぐに踵を返し、頭痛に耐えながらイアの元へと駆け寄って行く。
「イア、大丈夫! イア!」
「おい、まだ油断するな、何処に連中が潜んでるか……!」
ゲオルクの声を無視して、カナタは頭を振るイアの肩を掴み、その顔を振り向かせる。
「イア……!」
覗き込んだその顔を見て、カナタは絶句する。
イアの美しかった瞳は赤黒く濁り、血のような涙が滴っている。
地面に落ちたそれは明らかにその量を越えて広がり、カナタやゲオルクの足元すらも飲み込んでいく。
『カナタ』
苦しげなイアの声がする。
しかし、その言葉とは裏腹に彼女から表情は消え、ぽっかりと開いた穴のような目がカナタを覗いていた。
『カナタ』
これまで以上の頭痛が来る。
それはイアが発したものとは違う、もっと重々しく、頭の外側から何かを叩きつけられているような痛み。
感じたのはカナタだけではないようで、離れたところでゲオルクが呻き声と共に沼のように広がった血の中に倒れ込む音が聞こえてきた。
『カナタ。ワタシト、イッショニ』
「い、あ」
無意識に声が出た。
その声が果たして自分のものなのかも判らない。
いつの間にか身体の自由は奪われ、全身が鉛になったかのように重くなっていく。
身体が揺れて、イアから手が離れ、カナタは膝を付いた。
イアを助けなければならないのに身体が動かない。
『カナタ。イッショニ、ネムル。サメナイ、シアワセナ、ユメ。エイエンノ、ユメ』
まるで子守唄のようにその声が、頭の中に心地よく響く。
外側からの痛みと、内部から響く甘いイアの声。
その鬩ぎあいに耐えることができずに、カナタは意識を手放して血の沼へと落ち込んでいった。
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