第27話 平穏な午後の終わりに

 左手首の捻挫には湿布。右肩の打撲にはサポーター。足に無数あるかすり傷は消毒してからパッドを貼った。走っては屈み、狭い車に押し込められ、抱えられ、運ばれたり、また走ったり。たった半日で俺は1年分疲れた。満身創痍だ。


「運動不足ですよ。普段から走りましょう」


 俺より20個くらい歳上のイーライさんは、鼻が折れたらしく顔に包帯を巻いていたが、それ以外はおおむね元気そうだった。休みの日も鍛えているだけはある。


 23時00分。あと1時間で日付が変わり、進藤紗里との約束の時間がやってくる。


「それで、ここはどこなんですか?」

「安全な場所としか言えませんね。いや、安全かどうかも分かりませんが」


 俺とイーライさんがいたのは、窓の無い、打ちっ放しのコンクリートに囲まれた部屋だった。照明は天井からぶら下がった電球1つのみ。部屋の中も、バネの飛び出たベッドと逆さに積まれた木の椅子がいくつか、中央に机という簡素ぷりだった。広さはグリーンボックスと大して変わらない。


「襲ってきた奴らは誰なんです?」

「それもいまいち分からない。まあ、国を特定されれば報復される可能性が上がりますから、そんなバカな真似はしないでしょうね。怪しい国はいくつか思い浮かびますけど。まあ言わない方がいいでしょう」


 グリーンボックスから出た直後、俺は襲撃を受けた。もちろん、その可能性は出る前から考えていたが、イーライさんが「万全の態勢を整える」と電話で約束してくれたのでそれを信じていた。そしたら全然万全じゃなかった。


「恥ずかしながら、身内から情報が漏れてるようですね。何せ急造の組織ですから、ネズミが入り込む穴は無数にあいてます。でも結果的に逃げ切れたんだから良かったじゃないですか、ははは」


 今更イーライさんに怒ったってどうしようもない事は分かっている。でも愚痴の1つでも言わずにはいられない。


「俺を殺したってグリーンボックスが無くなる訳じゃない。中にはまだ進藤さんが残っている。暗殺命令を出した国は一体何を考えてるんですか」

「国と言ったって一枚岩じゃない。色々な人がそれぞれの考えで動きますからね。あなたが滅ぼした国が、滅んだままでいてくれる方が都合の良い人もいるし、あなたを殺す事で対処をした気になりたい人もいるんでしょう。中にもう1人いるなんて知らなかったり」


 俺は1度、アップした動画の中で世界に向けて宣戦布告している。今となっては馬鹿馬鹿しい発言でもあるが、あの時の俺の感情に一切の嘘はない。敵だった。何もかも。

 都合よくそれらを忘れたつもりは無かったが、考えは甘かったようだ。


 だがまあ確かに、今もこうして俺は生きている。イーライさん程に楽観しきれていないが、どうにか逃げきれたのは俺を守ろうとしてくれた人も沢山いたからだ。


「あの、イーライさんの前々任者の沼田さん、自殺は嘘で本当はまだ生きてるって言ってましたよね?」

「ええ。実際に会った訳じゃありませんが、そう聞いてますね」

「ひょっとしてなんですけど、俺の両親も……」


 両親の自殺はネットのニュースで知っただけだ。実際に死体を見た訳じゃない。死因を調べる警察が嘘つきなら、その可能性もあるのではないかと思った。


 イーライさんは少し困ったように包帯の上から鼻をかいた。


「残念ながら、あなたの両親の自殺は本当のようです。捜査記録に遺体の写真もありました。見ますか?」

 そう問われ、俺は少し考える。

「いや……いいです。イーライさんを信じます」


 死者はそう簡単に蘇ったりはしない。


 今更涙も出ないし、怒りも湧かない。正確には何かこんがらがった感情が内にあるのは気づいているが、言葉も得ないしそれをどうにかしたいとも思わない。


「……電話でも言いましたが、自分を責めないで下さいね」

 イーライさんが俺の隣に座って軽く肩を叩いた。俺は答える。

「もう誰も責めてませんよ。前はマスコミとか腹が立ったけど、もし逆の立場なら、俺も似たような記事を書いただろうし」


 両親の死後、衝動的に滅ぼした3つの国を思い出した。悪い事をしたな、とは思うが、あの部屋の中で生きる事を選ぶなら、どの道どこかの国を犠牲にしなければならなかった。自分で言えば言い訳くさいが、そう取ってもらっても構わないとも思ってる。


「進藤紗里さんの様子はどうですか?」

 イーライさんの質問の意図が汲めずに、質問を返す。

「どう、というと?」

「怖がってたり、楽しんでたり。あなたの作戦に乗って成功する自信はありそうですか?」


「うーん」俺はグリーンボックスから出る直前の進藤紗里の顔を思い浮かべる。「正直言って、進藤さんの考えてる事がさっぱり分からないんですよね」

「ははは。そうですか」

「でも信じるしかないですね。俺がイーライさんを信じているのと同じように」

「そうですね」


 それから、俺とイーライさんは2人で話し合った。グリーンボックス以前と以降。世界は大きく形を変えつつある。武力、金、国交、そして命。少し前まで絶対だった物が、今では砂上の楼閣と化し、確実な物など何もない。不安定で原始的な社会。


 だがこの状況を求めていた者もいる。持たざる者は持つ者の凋落を心底嬉しそうに語り合う。グリーンボックスは、限界まで太った資本主義への特効薬だと解釈する学者もいる。いつ死ぬか分からないからこそ今日を大切に出来る。限られているからこそ大事だと思える。


 告白しよう。俺は世界がどうなろうと知ったこっちゃない。ただ、銃を持っていても俺は進藤紗里を殺せなかった。その事実だけが、俺が今ここにいる理由だ。知らない人なら何億人も殺せるのに、少しでも知っている人は1人さえ殺せない。その感情の不気味さが、今はたまらなく愛しくもある。


「もし全てが上手くいって、世界も元通り、これ以上殺す必要もなく、グリーンボックスの中で欲しい物がいくらでも手に入るとなったら、あなたはそれからどうします?」


 イーライさんのとことんオプティミストな質問に、俺は少し考え、込み上げてくる自嘲に堪えながら言った。

「世界を混乱に貶めた魔王は、愛する人と末長く幸せに暮らしました。……まあ、許されないですよね」


 イーライさんは、

「私は祝福しますよ」

 と笑わずに言った。


 約束の時間まであと5分を切った。どうにか無事に死ねそうだ。


 イーライさんがスーツの胸ポケットから黒いケースを取り出す。開けると、中には注射器が入っていた。


「これは塩化カリウムとサクシニルコリンの混合液です。静脈へ注射してから約1分で心臓発作を引き起こし、比較的安全に死ぬ事が出来ます。もちろん、グリーンボックスの中に転送後、心臓マッサージを的確に行えば蘇生可能なように調合してあります。部下で試しました」


 気の毒な人もいたものだ。だがそのおかげで、リスクの大きな首吊りをせずに済む。


「……ですが、こうする事にしました」


 イーライさんは立ち上がると、部屋の中にあった椅子を移動し、ドアノブに背もたれを引っ掛け、つっかえさせた。更に机も移動し、バリケードを作る。


「一体何を……」

 戸惑う俺に、イーライさんはにっこりと笑うと、注射器を手に持ち、それを地面に叩きつけた。中から出た液体が床を汚す。


「瀬名さん。あなたは本当に私を信じていますか?」

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