第26話 脱出

「別に疑っている訳じゃないんだけど、根拠みたいなのがあれば聞かせて欲しい」


 信頼すると言った手前、こう尋ねるのはかなり恥ずかしかったが、確認の意味も込めて聞いておきたかった。進藤紗里は答える。


「根拠は2つね。1つは、私は自己犠牲の果て世界中から褒められる存在になりたかった。2000年前に彼がそうしたように。もう1つは、単純に人口が1番少ない国だから。あなたが最初に選ぶ可能性が高かった」


「俺が最初に選ぶ可能性が高かったって事は、いきなり脱出する確率も高かったって事だろ? そうすると、進藤さんの本来の目的が果たせないんじゃないか? 矛盾してる」


 俺の指摘に、進藤紗里は少し不満げな表情を浮かべる。

「『選ぶ可能性』と『押す可能性』は別よ。グリーンボックスの仕組みを理解したら誰でもこう考える。『被害者は少ない方が良い』だけどそれは、能動的に被害者を選ぶ事の裏返しでもある。トロッコ問題って奴ね」


 何か聞いた事がある。走るトロッコの先に5人の作業員がいて、レールを切り替えれば、被害者は替えた先の1人で済むが、放っておけば5人が死ぬ。1人を選んで殺す事を選択出来るかっていう話だ。


「あなたは選んだ国を押せないと思った。でも、結局時間が経てばどれかを押さざるを得なくなるとも思った。そして最初に選んだこの国は、心理的な死角となって選択肢から外れる。1度助けた相手からの頼みは断りづらくなって、また助けてしまう。心理学で言う所のトライポッド効果ね」


 こっちは聞いた事の無い単語だったが、意味は理解出来た。確かに、俺は最初人口809人のバチカン市国を押そうと思って押せなかった。その次の日、結局押す時はなるべく人口の少ない国を選んだが、その時バチカン市国はなんとなくやめておいた。昨日押せなかった印象が強くて、無意識に避けたのかもしれない。


「あなたの思っていた以上に、私はあなたの事を見ていたのよ」


 真面目な顔をしてそう言うので、俺は耐えられずに目線を逸らす。

「……分かった。進藤さんの事、信じるよ。バチカン市国の人の避難も済んでる。準備は出来た」

「ええ、そうね」

 ちょっとまだ不機嫌な気がする。


「昼の12時まであと1分」

 進藤紗里からの宣告。グリーンボックスから外に出るにあたって、スマホは置いていく事にした。計画に変更が出た時に連絡が取れないと困るし、俺が死んだとしても、外の情報を得られる。もし小林から電話がきたら適当にあしらっておいてくれとも伝えてある。


「夢の方は大丈夫か?」

 今更確認する事でもないが、最後になるかもしれないと思うとなるべく言葉を交わしておきたかった。

「五分五分って所ね。一昨日は見れて、昨日は見れなかった」

 50%も確率があるなら上等だ。外に出た俺が殺されずにここに戻って来れる確率は多分それよりもっと低い。


「そろそろよ。20秒前」

「ああ。何か他に言っておく事はある?」


 尋ねつつ、言って欲しい言葉を俺は分かっていた。「愛してる」とか、何でもいいからそんな風に、綺麗な別れが良かった。


「そうね」

 進藤紗里は少し考えて、

「宇宙人って信じてる?」


 ファットな質問をぶつけてきた。その悪戯っぽい微笑みから分かったのは、俺が言って欲しい言葉を彼女が知っているという事。そしてそれを言ってくれる気も無いという事。ついでに、さっきから妙に不機嫌なのは、俺が進藤紗里の事を相変わらず苗字にさん付けで呼んでいるからだという事。


「帰ったら答えるよ。じゃあ」

「いってらっしゃい」


 小さな小さなバチカン市国のボタンを俺は押した。欲しい物は、特に何も思い浮かばなかった。


 唐突な浮遊感。まるで石に躓いて転んで、その先が崖だったかのように、俺の身体は前のめりに倒れこんだ。ぐるんと回る景色を見ながら落ちる。咄嗟に頭を防御しようとしたが、それも間に合わず、俺は何やら柔らかい場所に全身を預けた。


 次の瞬間には、人間の波が俺に向かって押し寄せた。テレビで見た事のある、警察官とはちょっと違うが似ている制服。ヘルメット。あと透明の盾。機動隊だ。10、いや20はいるか。屈強な男達が俺を囲んで、まるで押しくら饅頭のように密着してきた。


「確保! 確保!」「ただちに移動開始!」「報告!」

 なんだなんだ、と混乱している間に、俺は機動隊の人に身体を押さえつけられ、そしてそのまま運ばれている。ありがたい事に危害を加える気はないらしく、乱暴ではあるが俺に暴力はふるってこない。


 その時、銃声がした。撃たれた!? と思って身体のどこかに痛みが無いか確認するが、とりあえずは大丈夫のようだ。でも致命傷って受けた時は意外と痛くないとも聞いた事があるし、不安は増大していく。続けざまに遠くで爆発音。何なんだ。でも俺の身体は爆散していない。人の波の中から僅かに空が見えた。戦闘機が高速で空を横切った。


 よく分からない内に俺は運ばれ、車の中にいた。窓のない、バンのような車だ。中には先ほど俺を確保した機動隊の方々と、スーツの外国人が1人いる。


「電話では話しましたが、こうして会うのは初めてですね。イーライです」

 身体をベタベタと触られながら、流暢な日本語で挨拶をされる。

「怪我はしていないみたいですね。良かった。でもまだ攻撃は受けているので、安心は出来ませんよ」

 ニコニコしながらそう言うと、次の瞬間、爆発音と共に俺とイーライさんの乗る車がひっくり返った。

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