第18話 戻る

 0時。


 俺はいつものようにボタンを押して、1つの国を終わらせる。


 そこで暮らしていた人々が死ぬ。覚悟をしていた人も、そうでない人も、良い人も悪い人も、孤独な人も恵まれた人も、何かを残せた人も、何も持たなかった人も、死は平等に、確実にもたらされる。命が消える。


 普段ならこれだけで終わりで、俺はまた次に滅ぼす国の事を考え始めたり、何か食べたりするのだが、今日は違う。むしろここからが本番、正念場と言える。


 進藤紗里に指示され、俺が願った物。それは「進藤紗里の死体」だ。


 振り返る。そこには俺の願った物が置いてある。この仕組みは普段と変わらない。


 初めて人の死体を見た。死んでいないように見えた。いや、変な事を言っているのは分かっているが、部屋の中に現れた進藤紗里はまるで眠っているようだった。死んですぐなのだから当たり前かもしれない。だが確実に心臓は止まっている。

 

 どうやら進藤紗里は学校の制服を着たまま死んだようで、その顔は俺がグリーンボックスに入る前よりも綺麗に見えたが、今はそれをじっくりと鑑賞している場合ではない。


 結局俺は進藤紗里からの手紙による指示に100%従う事にした。それはただ単にセックスがしたかったからという訳ではない。断言するとちょっと嘘っぽいかもしれないが、とにかく何でも手に入るこの場所では、手に入らない物の方が価値がある。例えば、命だ。


 まずは顎を少し上げ、気道を確保。鼻をつまんで口を開け、そこから息を送り込む。これを2回した後、制服の胸を開けて心臓マッサージを始める。肋骨を押し込むように正確に、5cmは沈むくらい力を込める。生き返るように念じながら、何度も何度も繰り返す。


 もちろん異性と唇を交わしたのも初めてだったし、生の胸を見るのも初めての事だったが、照れている余裕はなかった。必死だった。1人を助ける為に、もう何億も人を殺している俺が必死になっていた。


 進藤紗里からの指示。それは、自殺した自分の死体をグリーンボックス内に転送し、俺が蘇生しろという物だった。


 もちろんそれを最初に見た時は正気を疑った。蘇生なんて素人に出来るのか? 失敗したら無駄死にだ。たかだかクラスメイトの俺へ、そんな簡単に命を預けるのか? そこまでして何故ここに来たがる? 疑問はいくらでもあるというのに、これまでに聞いたどんな提案よりも魅力的だった。


 同時に、グリーンボックスの中に入るにはそれしか手段が無いという事も事実だ。


 生物は願っても手に入らないが、死体は物だから問題ない。現に食べ物のほとんどは何かの死体だ。そして死んでから2分以内なら、心臓マッサージと人工呼吸による蘇生率は90%以上ある。心臓を無理やり動かして血液と酸素を回せば、再び脳は活動を始める。


 もう50回くらいは繰り返しただろうか。まだ進藤紗里の身体に変化は見られない。というよりむしろ、先ほどよりも青くなってきている気がする。焦りと疲れからか、俺の汗は額から鼻を伝って落ち、手も痺れ始めてきたその時、


 バクン。


 と、進藤紗里の心臓が波打った。


 正反対に、俺は目の前で起きた奇跡に身体を硬直させる。進藤紗里の胸に置いた俺の手を、進藤紗里がそっと掴む。


「せ……瀬名……君?」

 か細く、少し掠れたような声。

「あ、ああ。大丈夫か?」


「上手く……いった?」

 尋ねる進藤紗里は目を瞑ったままだ。

「そう、だな。お前が生きてるならだけど」

「……うん、生きてるみたいね」

 深い呼吸をすると、何も言わなくなった。


「目、開くか?」

「開く、と思う。けど……」

「けど?」

「すごく……眠い」


 その時、俺の肩から一気に力が抜けた。いくつか言葉を交わして、やっと蘇生に成功した事を確認出来たからか、それとも意外と普通な感じの進藤紗里の態度に気が緩んだのか。半笑いで頭を掻く。


「悪いけど、ちょっと寝るね」

「ああ、分かった。おやすみ」

「おやすみ。服だけ戻しておいて」


 俺は言われた通り、服を元に戻す。そういえばブラジャーをしていないし、制服のブレザーもシャツも前のボタンは留めていなかった。蘇生する時に邪魔になるからという配慮だろうが、これはちゃんと整えておこう。


 しかしその前に、もう1度だけ確認しておきたかった。


 瞼を閉じたままの進藤紗里に気づかれぬように、俺はそっと耳を胸に近づける。ちゃんと心臓は動いているのか? さっきまで死体だった人がちゃんと息をしているのか確かめたかった。


「……後でするから。ね」


 うわ、バレた。

 しかも勘違いされた。

 がっついてると思われている。


 起こすのが悪くて反論出来ないまま、1つ1つボタンを留めた。急に恥ずかしくなった俺は立ち上がり、寝ている進藤紗里の周りをうろうろと歩き出した。誤解は後でちゃんと説明して解くとして、そこから先の事をちゃんと考えなくては。もう恥をかくのは嫌だ。


 初体験に必要なのは何だ。何かで聞いた事がある。ムードだ。でもこの全面緑の部屋で、そんな雰囲気などどうやって作れるというのか。


 あ、そうか。


 俺にはこのグリーンボックスがあるじゃないか。

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