第11話 進藤紗里 その2

 トルコの滅亡を受け、複数の国が非常事態宣言を発令した。これにより、他国でも瀬名君を逮捕する事が可能になり、FBIを始めとする各国の警察機関が日本入りした。内政干渉を非難する声もあるが、政府の対応が遅すぎるのが原因と断言され、日本の立場は更に弱くなった。

 その上警視庁は、事前に瀬名君との交渉を行っていたにも関わらず今回の凶行を止められなかった責任を問われている。担当官だった沼田という人物が自殺し、その情報も容易くリークされる管理状態。しかし今や1人の死は瑣末事で、恐怖の波紋は瀬名君を中心に世界へと広がっていた。


「7、8、9……今日は10人も休みか」

 人口密度の減った教室を見て、先生が呟いた。瀬名君の入ったグリーンボックスが、ここから50kmも離れていない所にある事が報道され、この街から逃げ出す人が続出しているからだ。しかしこれは正確には瀬名君のせいではない。国連が多国籍軍を編成してこの街に核攻撃を行うという噂のせいだ。


「ねえ紗里、あんたは逃げないの?」

 友人からの質問に私は答える。

「逃げるってどこに?」


 グリーンボックスは無敵だ。中からも外からも物理的に開ける事は不可能だし、ボタンを押された国が生き残る事も不可能だ。


 世界もその事実に気づきつつある。

 テレビでは各局情報特番が組まれ、グリーンボックスを外から生中継していた。警察が幕を張って厳戒態勢を敷いてからは、瀬名君のアップロードした動画とか、何も知らない専門家の意見や、的外れな警察批判を放送している。しかもこれらは日本に限った話ではなく、海外のテレビ番組でも似たような事になっているらしい。


 それだけトルコの件が与えた衝撃は大きいようだ。明日は自分の国が理不尽に滅ぼされるかもしれないという不安は、核ミサイル程度しか無かった以前の世界よりも明確化している。


 グリーンボックスが現実化してから、私の頭の中はすっかり広くなった。代わりに日常がその幅を大きく取り、逆にその日常をグリーンボックスの影が侵食し始めた。


 唐突な事を言おう。これは全くの想像ではあるが、おそらくあれを作ったのは宇宙人だと思う。アイデアは私の頭の中に元々あった物を使ったが、技術レベルは人間を遥かに超えている。ただ、直接その宇宙人とコンタクトを取った記憶はない。覚えていないか、記憶を消されたか、はたまた最初から宇宙人なんていないのか。事実は蜃気楼の如く漠然としているし、究極的にはどうでもいい。ただ、設計図をオカルト雑誌に投稿したのはそういう理由だ。


 宇宙人が何を目的としているのかは分からないが、こうなった以上私にも責任はある。そして責任の果たし方はたった1つで、それは初期衝動のままに行動する事だ。


 子供の頃の私は、ヒロインではなくヒーローに憧れるタイプだった。生半可なヒーローでは無く、自分の命と引き換えに世界を救うような、究極の自己犠牲。その姿に憧れ、自分もそうなりたいと願った。でもヒーローになるには必要不可欠な物が1つある。力じゃない。覚悟でもない。そんな物は後からどうとでもなる。本当に必要なのは、絶対的な悪だ。


 退屈な善悪論をだらだらと語るつもりはないが、誰かを助けるには困っている誰かが必要であり、相対的な悪は相対的な善でもある。世界を救うヒーロー。その裏には世界を破滅させるヴィランがいなければならない。世界を救ってくたばる為には、世界を破滅させられずにくたばる奴がいなければならない。


 グリーンボックスは私から世界への贈り物であり、宇宙人から私への贈り物でもある。そして瀬名君が中に入ったのは、決着をつけろというメッセージと私は受け取った。一時のくだらない恋愛感情と、かけがえのない初期衝動のどちらを選ぶのか。答えは既に出ている。


 しかしまだ準備は整っていない。オカルト雑誌の編集者を通して瀬名君と連絡を取る手段はあるし、中に入って瀬名君を殺す算段もある。あと必要なのは瀬名君と仲良くなる事と、瀬名君が悪に肩まで浸かる事だ。絶対的な悪が完成するまではもう少しだけ時間がかかる。


 今日も世界はざわついている。トルコ、7000万人の死。それぞれの人にそれぞれの人生があっただろうに、ただニュースを信じず、常識を疑えなかった。あるいはもっと単純に航空機のチケットが入手出来ず国外にアテも無かった。そんな下らない理由でその人にとって1つしかない命が失われてしまった。


 私のアイデア、宇宙人のテクノロジー、瀬名君が押したボタン。しかし世界が知っているのは、その内の1つだけ。動画の中の瀬名君は良い物が食べられなくて元気が無い。かわいそうだ。でももっと追い詰められる必要がある。それでこそ生まれ持った悪が染み出す。誰でも持っている、普段はパックして奥底に隠して自分でも気づかないフリをしている黒い液体が、ぎゅっと押し潰されて指を動かす。世界を破滅させるべく、自分が生き残るべく、解放という希望に縋る。


 瀬名君が新しい動画を上げた。世界中の人が殺到して重くなった動画サイト。小さな窓の中で、瀬名君はこう語る。


「昨日、俺の両親が2人とも自殺した」


 その目からは正気が失われつつある。


「今回は3つの国のボタンを押す。まずは俺の行動に対してネットで強烈に批判的な記事を書いた記者がいるフランス。『瀬名という男の両親の教育が間違っていた。もし自分が瀬名の立場なら迷わず名誉ある死を選んだ』だそうだ。じゃあ死ね」


「それと、あろう事か国家元首が日本とグリーンボックスへの核による攻撃を宣言した北朝鮮。元々きな臭い国だし滅んだ方がすっきりするよな? 死ぬ前にその無慈悲な1発を撃ってみろよ豚」


「それと父はビートルズが好きだった。だからイギリスだ。歴史上最高の音楽も絶望する父の助けには全然ならなかったって事だ。責任を取れ」


「これら3つの国もトルコの時と同じく3日後に押す。避難したい奴は避難しろ」


 私はアニメの続きをわくわくしながら待つ子供のような気持ちになった。


「お前らまだ分かっていないらしいからはっきり言ってやる。俺がこの部屋に閉じ込められてるんじゃない。お前ら全員がこの部屋以外に閉じ込められてるんだからな」

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