第8話 場所

 俺がグリーンボックスに閉じ込められてから、1週間が経った。


 世間では、謎の大量死にまつわる世界の異変に対して未だ憶測と妄想が飛び交っているが、瀬名こと俺がその犯人であり、グリーンボックスは実在すると信じている者も日ごとに増えている。動画の検証を行うサイトには顔写真も含む俺の個人情報が何の配慮もなしに書き連ね、ご丁寧に警察への通報リンクまで貼ってある。


 しかし世界レベルで言えば、俺の知名度はまだまだのようだ。そもそも荒唐無稽なこの部屋の存在もそうだし、大量死の件よりも、俺がボタンを押した地域で死んだ著名人の死、つまり個人の死が取り沙汰され、終末論と陰謀論がない交ぜになって混沌を極めている。


 俺はというと、その様子をまるで他人事のようにこの部屋から眺めながら、両親、友達、編集者の遠山さんと電話で色々とやり取りをしている。その内容を要約すると、何とか部屋から出す方法を考えるから、これ以上ボタンを押すなという説得に尽きる。しかしそのおかげもあってか、この3日間。新たに滅びた国はない。


 しかし限界は来ていた。


 国1つと引き換えに得た非常食は、半分ほど減った。俺の感覚としては、「もう」半分も減った、じゃない。「まだ」半分もあるのか、だ。


 正直に言おう。人の命を余りにも軽視した発言になるので、両親以外には言ってないが……飽きた。最初の絶食を除いて、丸々5日間。毎日、毎日。同じ時間を乾パンと水だけで生活してみれば分かるはずだ。もっと味のある物が食べたい。味のある飲み物が飲みたい。ステーキ、寿司、青椒肉絲、天丼、焼き鮭、バナナ、コーラ、チョコレート、今ならとんこつラーメンにカルボナーラがかかっててもぺろりと食べてしまいそうだ。


 だがそれらを頼むのに、一体いくつの国を犠牲にすればいいのか。一体何人が死ねばいいのか。一体何人が悲しめばいいのか。俺には想像もつかない。


 欲望は日増しに強くなっている。脱出する目処もつかないこの状況では、その内アメリカ合衆国が鳥の唐揚げになる日も近いと感じる。


 そんな俺を諌めるように着信。びくっと身体を震わせたが、小林からだった。

「もしもし?」


「こんにちは。君が瀬名君で間違いないかな?」

 小林ではない。丁寧な男の声だ。滑舌が良く、聞き取りやすい。声の感じからすると、30代から40代くらいだろうか。

「私は警視庁特別捜査本部の沼田という者です。この携帯は君の友人である小林君から借りています。ちょっとお話聞かせて欲しいんだけど、大丈夫かな?」


 警視庁。さっきまで食欲に負けて人を殺そうとしてた俺としてはあまり話したくはない相手だが、しかし今までこのスマホに電話をかけてきた人の中では1番信用出来る相手だ。遠山さんには申し訳ないが。


「一応小林君には警察手帳も見せたけど、小林君に連絡を取って証明してもらうかい?」

「あ、いや、大丈夫です」

 何が大丈夫なのかは分からないが、俺が緊張している事は分かった。

「それじゃあ早速なんだけど……」


「あ、あの」俺はたまらず声を出す。「俺ってここを出たら逮捕されるんですか?」

 それは切実な質問だった。無事にこの部屋から出られたとしても、次に入るのが牢屋の中じゃ元も子もない。


 俺の必死な問いかけを、沼田さんは爽やかに笑った。

「はは、そんな心配はありませんよ。閉じ込められて仕方なくした行動であれば、刑法上の緊急避難が適応されますし、そもそもその部屋と集団死事件との因果関係立証が難しい。一体何の罪で逮捕されると思ったんですか。心配はいりません」


 何という安心感。やはり人間、肩書きというのは大事だ。光明も差してきた気がする。

「ですが、社会を悪戯に混乱させる事はあまり良いとは言えませんので、インターネットにアップロードした動画は削除して、今後も撮影はしないと約束して頂けますか?」


 至極もっともだ。俺は味方が欲しくて動画を上げ始めた。それが見つかった今となっては、動画を撮影する必要性はない。沼田さんのお願いを快諾する。


「じゃあそろそろ本題に」

「はい。お願いします」


 ほんの数分間話しただけで、俺はすっかりこの沼田という人物を信用しきっていた。余裕のある口ぶりと言い、丁寧かつ気さくな言葉遣いといい、きっとエリートなのだろう。この人になら任せてもいいと思える。

 ただ同時に、心のどこかで、警察にはネゴシエーターという役割があるという事も思い出していた。人質を取って立て籠もる犯人相手に交渉する人物だ。この場合の犯人は……。


「単刀直入に言いますと、既に我々は瀬名さんが入っていると思われる箱の前に来ています」

「え!?」

 驚きのあまり声が裏返ってしまった。


「携帯電話には電波を中継する基地局という物があるんですよ。よくテレビドラマなんかでもあるしょ。逆探知という奴です」

 やはり必要なのは国家権力だ。つくづくそう思いながら、俺はいつの間にか正座して沼田さんの声を聞いていた。

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