第6話 進藤紗里 その1

 誰しもが生まれて初めて抱いた疑問を覚えていないように、何故私がそんな事を思ったのかは今となっては分からない。記憶は灰に、言葉は他人に、私の身体から離れると同時にそれらは役割を終える。


 しかしそれが私のアイデアだった事はどうやら間違いない。1行で示される程シンプルな、ひとつまみの発想。作ったのは多分6歳くらいの頃で、何故か私はそれを捨てずに端っこに置いておいた。


「紗里、昨日のニュース見た!? やっぱテロなのかな? 日本は大丈夫だよね?」


 通学中のバス車内。挨拶もなくそう話しかけて来たのは、同級生の千佳。世界の行く末を私に聞かれても困るが、分からない訳ではなかった。


「テロの可能性は低いんじゃない? それぞれの国が離れてるし、武器とか使わずにほとんど同時に皆殺しにするなんて出来ないでしょ」


 私が「私の範囲内」でそう答えると、千佳は「そうだけどさ……」と煮え切らない様子だった。


「じゃああれは見た? ネットで今炎上してる動画。しかも撮ってるのが何と……」

「瀬名君でしょ」

「何だ、やっぱ知ってたんだ。うちのクラスの瀬名君。ほとんど喋った事ないけどさ。テレビとかじゃやってないけど、なんか妙にリアルっていうか、一瞬本当なのかもって思っちゃうよね」


 そう言って、千佳は笑っていた。今この瞬間に、日本のボタンが押されるかもしれないという恐怖は微塵も無いようだ。


「君たち」

 その時、私達の前に座った禿頭の男が、神妙な顔で声をかけてきた。

「今たまたま聞こえたんだが、君たちはあの瀬名っていう奴と同じ学校なのか?」


 もちろん、知らない人の質問には警戒する。しかし千佳が私の顔を見て戸惑っていたので、私が代表して答えた。

「ええ、そうです」

「それなら」一瞬間を置き、男の人が自分を落ち付けようと頑張っているのが分かった。「それなら、その瀬名という男にボツワナにいる人間がどうなったか聞いてみてくれないか? 私の息子がボランティアでボツワナに行っているんだが、昨日から連絡が取れていないんだ。無事が確認出来ればそれでいい。頼めないか?」


 思ってもみなかった頼み事に、私も困った。事情を知っているだけに、答え辛い。千佳が代わりに答えた。


「同じクラスですけど、連絡先とか知らないんですよ。というかおじさん、あの動画信じてるんですか?」


 男の人は答えない。ただ黙って、私と千佳の顔を交互に見ている。 まるで手術の終わった医者に結果を尋ねるように、私達から好ましい答えを待っている。


「とにかく知らないんで教えられないです」

 その時、バスが学校の前から1つ前のバス停についた。


「紗里、降りよ」

 千佳が私の手を引っ張る。まだ高校前バス停にはついていないが、ここから歩いても遅刻にはならない。

「ま、待ってくれ」

 男の人が私達を呼び止め、メモのような物にアドレスを走り書きした。

「私の連絡先だ。何か分かったらでいい。息子の安否を、瀬名という人に聞いてくれ」

 それを受け取り、私達はバスを降りた。


「びっくりしたね。結構広まってるんだ、あの動画」

「そうみたいだね」


 千佳と話しながら歩いてる最中も、私はポケットに入れたメモの重さに何度も立ち止まってしまいそうになった。


 千佳とは違い、私には身に覚えがある。あの動画、そしてあの動画の中に出てくる緑の部屋と、瀬名君があそこにいる理由、それら全ての理由を私は知っている。


 これが単なる妄想で、思春期の女子特有の大いなる勘違いであるのなら、「グリーンボックス」は途端に喜劇名詞として扱われ、私の肩の荷も降り、ポケットに入ったメモも今すぐに捨てられる。


 教室。

 席に着く。取り巻く話題はもちろん、今世界で進行する謎の大量死についてだ。ある友人はそれを心底不安そうに涙目で、ある友人は現実に起きているかどうかをまず疑わしげに、ある友人はグレートリセットがついにやってきたのだと楽しげに語った。


 それぞれに死は遠く、あるはずの無い物だと若さが錯覚させている。


「ほら皆席つけ。はい日直」

 担任は普段よりやや疲れているように見えた。

「先生、瀬名からの連絡は無いんですか?」

 きっと昨日から同様の問い合わせを校内外を問わず浴びせられて来たのだろう。表情に見えた苛立ちがそれを雄弁に語った。


「連絡はない。対応は協議中。お前らが気にするような事じゃない。日直」


 塵のように軽んじられる、遥か海の向こうの国々を私は想った。


「起立、気をつけ、礼。着席」


 私のアイデアを利用したのが誰なのか、それは分からない。しかし、今も私の頭の半分以上が、誰かに「使われている」という漠然とした感覚がある。


 脳を机に例えよう。

 私の目の前には、勉強や、友人との日常会話、楽しみな映画なんかのタイトルが書かれたメモが整列してあるが、その机の端、6歳の私がなんとなく捨てないで置いておいたアイデアの場所に、気づくと誰かが座っていた。そして、私の机をたっぷりと使って、何か作業をしている。それが誰かは分からないが何かは分かる。手元を覗き込めばいい。


 だから私は、その何者かがしている作業を密告する事にした。理由はただ1つ。


 ある日突然に私は瀬名君に恋をしたのだ。よって、瀬名君の事を考えるスペースが必要になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます