ワルシャワよ永遠なれ、その壊滅と鏖殺さえも

作者 島野とって

78

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★★★ Excellent!!!

短いながらも印象深い作品で、コメントをしようかレビューをしようと迷った末に、コメントをしたところ、作者さまからワルシャワについて、次のようなコメントを頂きました。

>ワルシャワは市街の歴史的な価値ではなく、「戦前の街並みを寸分たがわず復元した」という点が評価され登録が決まった例外的な世界遺産だそうです。

もちろん、それは本編で重要な要素として出てくるのですが、私がこの話から受けた衝撃は、やはりこの部分にある、と思いました。

この話は1944年と2018年の前後編から成る短編です。
全編でドイツ軍による攻撃で破壊し尽くされるワルシャワ、そして、後編で「寸分たがわず」蘇るワルシャワ。
そして、これからも、繰り返される歴史の中で蘇り続けるであろうワルシャワ。

そこで浮かび上がるのが、「蘇らないもの」です。
1944年、兄を亡くした少女と主人公の、奇妙とも言えるやりとりです。
これについては、私が語るのではなく、読んで頂きたいので、引用しませんが、少女との気の狂いそうな会話のあたりで、主人公はこのように語っています。

>おそらく、私の瞳は異様な熱を帯びている。家族も友人も皆殺しにされ、愛しい故郷を廃墟にされて、自身も深手を負い命からがら逃げだしたというのに、こんな少女に死とは何かを諭されているのだ。

私も正直目眩のするようなやりとりでした。
ここで用いられている論理は帰納法なのですが、冷静で、科学的で、狂気じみて、信仰深い、奇妙な色彩を帯びています。
そしてまた、2018年に帰納的な結論が導き出されているのですが、これがまた、どこか黙示録的なのです。

キャッチコピーの「科学的に正しいって、神様が証明してくれるもん」というのと相まって、
キリスト教徒の私も頭の中がぐ~るぐ~るとなってきました。

神学的にじっくりつめて考えてもいいのかもしれませんが、ここは敢えて、この… 続きを読む

★★★ Excellent!!!

兄の死を理論で諭す少女の物語です。

人は死ねば、生き返ることがないのは当たり前ですが、少女は兄が生き返ることを望み、自分なりの論理を主張します。

一件筋が通っているように見えるのですが、もちろん論理は破綻しています。ですが、ですが、彼女の悲痛な叫びを想像すると、それもまた否定する気にもなれませんでした。

あなたの心臓はいつ止まるでしょうか?

そして、いつまた動き始めるのかを、主張することはできるでしょうか?

★★★ Excellent!!!

とにかく読んで、受け止めて自問してもらいたい作品。


都市と兄の、粛然とした死を前に少女はあくまでも冷静に彼に語る。純粋なる信仰と思考のもとに科学のツールで彼を論破する。
狂気を孕んだ理論はしかし、数十年を経て進化した科学の結晶へと繋がっている。予言か結論か。神は全てを見ているという。ならば永遠とは、神の積み木遊びに他ならないのかもしれない。

★★★ Excellent!!!

少女はその短い人生で永遠を語っている。あるいは騙っている。街は廃墟と化し、兄は息絶え、自らの明日をもしれないのに、彼らは「永遠」について語っているのだ。この状況下で、これほど無意味で、かつ相応しい主題があるだろうか!
破壊のただ中、男と少女が向き合う姿は、まるで夢のように美しいけれど、真実味があり(現実味ではなく)、その先を暗示させる。少女が導く未来を、ぜひ一読してほしい。


余談:アプリオリ、アポステリオリ――学生の頃、ちんぷんかんぷんだった用語が時経て脳裏に甦るとは思いませんでした。懐かしい。誤りがあったらすみません。

★★★ Excellent!!!

もう他の方のレビューに全てをお任せして、何も語らずにこの作品の余韻に浸りたいところですが、凄すぎて何か爪あとを残さずにはいられない。

冷たくなった兄と街の復活を、神の存在の下に帰納的に導き出した少女。
そして、過去の歴史と観測のデータから、街の破滅を帰納的に導き出すスパコン。

未だに復活せぬ少女の兄に、神という観測者の不在が証明されたのか。
あるいは、神へといたる途上のスパコンに、少女の兄の復活が観測できぬだけなのか。

科学と宗教が別れた瞬間に私たちは立ち会っているのか、それとも、科学が宗教がお互いに歩み寄ったのか。

分からない。
今の人間の知性――すくなくとも私には、この物語により提示されたテーマに対する解を導きだすことができない。

すごいです。すばらしいです。おすすめです。

★★★ Excellent!!!

自然哲学から演繹、自然科学、スコラ学、帰納、悟性、揚棄。西洋哲学は段階を経て形を整えてきました。
科学と哲学と宗教に絶大な影響を与えたベーコンの帰納はドイツ神秘主義を産みます。ロックが経験論として整えるまで神の実存は証明されてしまっていたのです。少女の主張はまるで神秘主義のそれです。
ヘーゲルが揚棄を経て絶対知に至る事で神の実存を人間の精神の中に押し込めましたが、この物語の中では、少女の主張は現実となり、言葉は予言となりました。
人一人が管理できない膨大なの情報をスーパーコンピューターが分析し、戦争を予測する様に、人智を超えた帰納と揚棄が可能な存在であれば、少女の兄が蘇る日を予測できるのかもしれません。
ヘーゲルが提唱した揚棄は厳密に言えば終わりがありません。螺旋状に登り続けるのです。
登っている途上であり、頂に至る事のない我々は、少女が神秘主義であると、思考停止であり、妄言であると確実に断定し切り捨てる事は出来ないのではないか。
そんな風に今自分の立っている場所に一抹の不安を覚える切掛となる作品です。
情報の海の中で私たち個の人間はなんと小さな単位なのでしょう。