第四三話 男女間の争いは武力介入の対象か?

「はぁ? ……――ぐげっ!」

 ソウヤは柱が人間の足だと気づいた時、顔面をまたしても踏み躙られていた。

「随分とまあ元気そうね~安心したわ~」

 ソウヤの顔面を踏み躙るのは、あろうことか治療用カプセルにいるはずのサクラ。

 幽霊でないことはソウヤの痛覚が証明していた。

「なっ、なんななな、ぬあんでお前が、ここにいるんだよ!」

 ソウヤは顔を踏み躙られたまま絶句する。

 本来ならばサクラは治療用カプセルの中で睡眠と安静を強いられているはずだ。

「あたしが寝ているの現実! あんたがいるの仮想! OK?」

 ソウヤは口端を歪めたサクラから人差し指と事実を突きつけられる。

 患者の肉体は治療用カプセル内にあり、睡眠状態であろうと意識が完全に眠っているとは限らない。肉体は休眠を強いられていようと意識は別。恐らくは治療用カプセルとこの白き部屋に通信回線を引き、意識をアクセスしたのだ。

「カグヤの仕業か!」

 ソウヤは数分前のカグヤとの通話を思い出す。


 ――……今から腹を切る覚悟をしといてくださいね。


 あの発言はサクラ強襲を示唆していた。

「あの時はよくもぶん殴ってくれたわね! ざまあみろだと? 死ぬかと思ったわ!」

「あぁ? お前だって今の今でおれが〈模倣体〉だって隠しては都合よく利用して騙していただろう!」

 ソウヤの感情が一瞬で猛りあがる。

 いつまで男の顔面を踏み躙っているこの暴力女。

 女の尻の下にいるのはお断りだが、女の足の下にいるのはなおお断りだ。

 太古の時代には『ご褒美です!』などと喜び叫ぶ剛毅な紳士もいたそうだが、その感覚をソウヤは理解できない――いやしたくもない。

 故にソウヤは力づくで足裏を跳ね除ければ、我が身を素早く反転させてサクラに強かな足払いをかける。

「甘いのよ!」

 ソウヤが先手を取ろうとサクラの身体は一足先に跳び上がっており、胸部に落下速度と体重を加えた強かな肘打ちを叩き込まれた。

「ぐほげ、ほ、げほっ!」

 カウンターを受けたソウヤは喉奥から込み上げてくる吐き気と胸部を穿つような激痛により喘ぎ、床上を転がっていた。

「はぁん! DT操縦と対人格闘術は違うのよ! 悔しかったら、ムーンCQC(無重力軍隊格闘術)を学んで出直して来なさい! まあ、あんた程度に使うものじゃないけどね!」

 サクラが立ち上がるなり力量差を鼻先で笑い飛ばす。

 吐瀉物が出なかったのは〈模倣体〉だからとソウヤは結論付けるも、戦闘経験の差があろうとたった一発の肘打ち程度で力量差を計られるのは我慢ならない。

「きゃっ!」

 ソウヤは壁を蹴って立ち上がれば、勝利と優位性にて慢心の先に立っていたサクラの背後にドロップキックを叩き込む。

 派手な音を立てて横転するサクラに好機と言わんばかりソウヤは飛びかかった。

「何が、きゃっ、だ! かまととぶんな!」

 ソウヤは飛びかかる中、無邪気らしく振る舞うな、外見と中身が見事に乖離しているだろうと悪たれる。

「かまととって古代語でしょう!」

 ソウヤは太古のデータが保存されたライブラリで見た記憶があった。

 互いに出所は知っていようと、飛びかかったソウヤはサクラにひらりと横へと転げられたことで壁面に顔面を強打。転移した激痛に喘ぎ、床上を右往左往する羽目となった。

「……バカ?」

 サクラの失笑と憐憫が飛び、パスされたサッカーボールを受け取る要領で右往左往して転がるソウヤは足裏で受け止められた。

「だ、誰がバカだ! この……うげっ!」

 ソウヤは果敢に立ち向かおうとするも顔面への踏み付けを再々許してしまい、立ち向かうどころか、立ち上がることさえままならない。

 悔しいが戦闘訓練を受けてきたサクラ相手では素人であるソウヤに勝ち目はなかった。

「ざけんなよっ!」

 ソウヤは正直言って、何故サクラに対して苛立っているのか、分からなくなった。

 今胸中に渦巻く感情は、気に喰わないという不快感――つまりは、むかつく! 感情に従うままソウヤは足首を掴んで引き倒せば、サクラの身体をうつ伏せとする。

 突発的な反撃に半歩出遅れたサクラが身を反転させて仰向けに起き上がろうとする前にソウヤはボディプレスを叩き込む。

「お、重いわよ、どきなさい!」

「誰がどくか!」

 ソウヤとサクラは互いに叫び、唾が飛ぼうとお構いなし。力量差があるのならば体重差も当然ある。ただあまりないのは互いの顔の距離だけ。裸体を目撃した経験からサクラの体重は軽いと予測していた。逆にソウヤは仮想の存在であろうとオリジナルの体重をしっかり模倣されている。

 故にからのしかかれば質量兵器と化した。

「こ、こいつっ!」

 ソウヤはサクラの上に乗ろうと抵抗を受ける。

 膝が脇腹に幾度となく蹴り込まれる。爪が素肌を傷つける。口からは〈ドーム〉ならば規制対象である罵詈雑言の悪辣卑劣な言葉と唾が飛ぶ。

 残念なことにソウヤがサクラの手首を掴んでいるため、拳は飛ばずに済んでいた。

「どきさいよっ!」

 ただし顔同士の近さからサクラのヘッドバッドがソウヤに飛ぶ。

 ものの見事に鼻先への直撃を許したソウヤはこの一撃で意識を一瞬だけ白化。隙を見逃さないサクラが力の限り横へとソウヤごと反転、互いの位置が逆転された。

「くっ~この石頭な石頭~」

 額を赤く腫らしたサクラが涙目で眼下のソウヤを睨みつけている。

 睨み付けるだけで終わらず、ソウヤの腕をサクラが掴み、床に押さえ込んでいた。

「……はぁはぁはぁ」

 ソウヤとサクラ互いの呼吸が乱れる。

 バカ正直に現実の発汗現象を再現したシステムが肌に汗を流す。

 汗は滴となり、重力に従い、ソウヤの頬に落ちる。

 一滴だけではなく、二滴、三滴と落ちる。

「お、おい、人の顔に……」

 ソウヤは、汗を落とすな――そう抗議しようとした。

 しようとするも次なる言葉をソウヤは呑みこんだ。

 ソウヤの頬に落ちる滴は汗ではなくサクラの涙だったからだ。

 何故、泣く。何故、涙を流す。悲しいから? 虚しいから? 痛いから? 否――

「か、帰って来てくれた……」

 嬉しいから涙を流す。

 サクラの表情は先ほどの怒りとは打って変わり、謝罪と歓喜が入り混じっていた。

「お、おい……」

 ソウヤはただただ困惑する。

 彼の困惑を他所にサクラはソウヤの胸に泣き顔をうずめて微かに身体を震えさせていた。

「ご、ごめんなさい、あ、あたし、……あんたを騙して、利用して……」

「……もういいよ」

 ソウヤは何が原因で怒りを抱いていたのか、正直どうでもよくなった。

 そもそも何故、喧嘩していたのか、その理由さえ定かではない。

 というか、男女で絡み合っているうちに理由が忘却の彼方に飛んでしまった。

「え、えっと……」

 ソウヤは次なる言葉が脳内で構築されているはずも言語化できない。

 何分か、何時間か、体感時間が引き伸ばされる感覚を経てようやく、内なるものが言語化される一歩手前まで来る。

「手、握って……」

 内なる心を先に言葉としたのはサクラ。

 ソウヤは解放された手でそっとだが強く握りしめた。

 温かい、柔らかい、この感覚を知っている。覚えている。

 あの時、偽りの箱庭〈ドーム〉でソウヤを助けるために伸ばしてくれた手と同じ柔らかさ。

 この柔らかさにより人と人との温もりを感じる。

 生きているのだと……実感できる。

 気づけば、サクラの震える肩を抱き寄せ、抱きしめていた。

「おかえりなさい、ソウヤ」

「た、ただいま……サクラ」

 ソウヤは出会って初めて裏表のないサクラの笑顔を見た気がした。

 そして、女の汗は甘いのだと生まれて初めて知った。


「ところで〈フィンブル〉、男女間の争いは武力介入の対象なのでしょうか?」

 ――男女間の争いは我の〈指令〉に入力されていない。よって対象外だ。

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