第三一話 四一一二年一二月二一日
燃えていた。
サクラの視界を炎が覆い尽くしていた。
ここは倒壊したコールドスリープ施設。
密閉空間に満ちるは人の焼ける臭い、炎はガスを充満させ、換気システムは折れた鉄柱により機能せず、消火システムはウィルスにより喰らい尽くされた。
「い、嫌、父様、母様!」
七歳にも満たない幼きサクラは救助用メカの中で叫ぶ。
たまたま早く外に出た。たまたま助かった。だから火災から免れた。
『いけません。サクラ、危険です!』
優しくも厳しい母の声がサクラを制止する。
「離してマザー! 助けないと、父様と母様を、家族を、みんなを!」
まだ生きている。
目の前で生きている。
ただ倒壊した鉄骨に身体を挟まれているだけだ。
この救助用メカの握力ならば救助できる。
『マザー大変です! 室内温度急上昇。有毒ガスの発生を確認しました!』
別スピーカーから幼子の緊迫した声が飛ぶ。
「なら急いでよ! 助けてよ! マザーもカグヤもAIでしょう! 月のみんなを守るAIでしょう!」
カプセルを叩く。
幼子の手が幾度となく叩く。
だが割れるはずがなく、幾度となく打ちつけた手のひらに血が滲み出した。
『……』
『マザー急いでください! このままでは救助メカでも耐えきれません!』
マザーからの返答はない。
石化したように沈黙を保っている。
その間にも炎は広がり、ガレキの下にいる者たちを無慈悲に焼いていく。
『……サクラ、無事、なのね』
救助用メカに設置された集音センサーが母親の声を拾う。
「母様、今行くから! すぐ助けるから!」
幼子は泣き叫び、カプセルをこじ開けようとする。
スピーカーより安堵の声が漏れ、最後の叫びが放たれた。
『マザーお願い! 私の子を――最後の希望を守って!』
母の叫びは、姿は、倒壊したガレキと炎に呑み込まれた。
『……了解しました』
救助用メカは反転して緊急避難路へと飛び込んだ。
「戻って、マザー戻ってよ!」
『怨んでくれても構いません。私はAIとして最適な選択肢を選びます。今なすべきことはあなたを生かすこと……この事態を引き起こしたのが〈わたし〉である以上、私は私がなすべき事をなすだけです……そして私は〈わたし〉を絶対に許しません』
サクラは絶叫するしかできなかった。
幼き故に、生きていた故に、助けられる立場故に、幼子は悲憤の涙を流し、家族を失った憎悪を滾らせ、そして、何よりも己だけが生き残ったという事実に無力さを憤らせた。
四一一二年一二月二一日、月よりただ一人の幼子を残して月の住人は全滅した。
強制アクセスにより発生した火災で――
その日からサクラは誓った。
強くなると今度こそ何も失わせない力を得ると。
怨みもある。憎しみもある。だが、何よりも強く残ったのは生き残った後悔。
ただ一人生き残ろうと、自ら死へと逃げ込もうとしなかった。
絶望を見ようと前を見た。月に残された希望を見た。
月の民はサクラを除いて滅んだ。
既に地球上より人類は滅び、サクラは正真正銘、最後の人類となった。
女の身一つでは子を成しえずとも月には人類最後の希望が残されている。
人工子宮。
種の滅亡に備えて冷凍保存されていた受精卵。
種の箱舟として残されていた希望。
人間として誕生してない故に、あの地獄から免れた。
人工子宮を稼動させれば人類は復活する。人なる生命が再誕する。
だが、あの火災により人工子宮を完全稼動させる重要なパーツが損壊していた。
予備さえも損失していた。
人類再誕に必要不可欠なパーツ、〈CIU2315134〉。
〈月のマザー〉により、そのパーツが地球に一つだけ存在しているのが判明する。
それは家族を奪った憎き〈地球のマザー〉本体に部品として組み込まれていると。
恨みや憎しみは簡単には捨てられない。機械のように都合よく改竄などできない。
ただやるべきことを、なすべきことをなす。
人類を再誕へと繋ぐ希望となる。
その役割すら果たせぬようでは誰も救われない。
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