第三〇話 AIの無意識――アラヤ領域
ぐるぐる。ぐるぐる。ぐるぐる。ぐるぐる。ぐるぐる。ぐるぐる。ぐるぐる。
頭の中で回る擬音に混じり、幼子の呼び声がソウヤの意識を揺さぶり続ける。
「――ヤさん……ソウ――さん!」
「うっ、ううっ……カグヤ……か?」
朦朧とする意識を振り絞り整える中、ソウヤは身体が三半規管の知らせで倒れていると気づく。
「お、おれ、確か……」
未だ霞む記憶の中、意識を振り絞って思い返す。
〈ロボ〉への搭乗途中に何者かによる強制ハッキングを受けた。
受け、以後の記憶がない。
「って――ここどこだよ!」
眼前に広がる景色に記憶の霞みは吹き飛んだ。
砂浜に寄せては返す波ではなく、水面に寄せては返す砂の波。空は白く、地平線か水平線か、判別つかない垂直な直線が彼方に引かれている。
〈シートン〉の現在地はユーラシア大陸の山岳部であり、沿岸部ではない。
「ここ、どこだよ……?」
ソウヤは愕然としたままもう一度呟いてしまった。
「間違いありません。恐らくここは……〈アラヤ領域〉です」
振り返ればカグヤとサクラの姿を確認できた。
カグヤは緊迫した瞳で彼方の平行線を睨み、サクラは未だ目覚めていないのか、うつ伏せに倒れたままだ。
「あらやりょういき?」
「ソウヤさんは集合的無意識というのをご存知でしょうか?」
「ん~どこかで耳にしたことがあるけど……」
「ユングという心理学者が唱えた分析心理学における中心概念です。全ての人間は意識の最下層で無意識に繋がっているという集合的無意識。類似する概念に、仏教において人間存在の根底をなす意識の流れを阿頼耶識と呼ぶものがあります」
「ならここは誰かの無意識の底なのか?」
「誰か、ではありません。我々の集合無意識の底と言えば正しいかもしれません」
「は、はい?」
「いくら技術が進歩し人間の意識を仮想空間にフルダイブ可能にしたとしても、その思想を明確にビジュアル化できていません」
「え、え~っと人じゃないことだけは分かったが、なら我々って誰のことなんだ?」
「……ここはAIが生み出した無意識の最下層――〈アラヤ領域〉です」
意味が分からなかった。
正確にはソウヤはカグヤの言葉の意味が分からなくなった。
「元々AIは人の役に経つために開発、誕生しました。それが軍事であれ生活であれ、状況に応じて最適な解答を得るためには人間という個と群を理解する必要がありました。AIが行き着いた解答はまず個を、次いで互いにリンクし合うことで群を形成し人間を観測することでした。観測を続ける中、人間に近似した擬似的な思考をAIが得るに当たって観測した人々の観念によりAIもまた無意識領域なるこのアラヤ領域を構成するようになったのです。〈千年戦争〉によりAIのほとんどが消失しようと一度構成された<アラヤ領域>はネットワークの水底で存在し続けているのです――このように」
つまりはデジタルで構成された無意識領域なのはどうにか理解できた。
「なら、誰がこんな領域に送り込んだんだ?」
尋ねながらソウヤはおもむろに寄せては引く砂の波に触れようとした。
「それに触れてはいけません!」
カグヤの危機を孕んだ叫びにソウヤは伸ばした腕を反射的に引っ込めた。
「砂粒の一粒一粒、いえ微粒子一つが凝縮されたデータの塊です。下手に触れれば意思を持つ以上、感応作用を起して呼び覚まされた膨大な情報が脳内に流れ込みます」
「な、流れ込むとどうなる?」
「許容量をはるかに越えたデータの奔流に耐え切れず、意識は崩壊します」
「要は廃人確定か……」
引っ込めた腕を動かしながらソウヤは顔を青くする。
触れていた場合の、もしもを想像して身震いした。
「それで、誰がこんな領域に……」
再度尋ねようとしたソウヤであったが「ううっ」との呻き声に疑問を中断する。
「ここ、どこよ……?」
目覚めたサクラは焦点の定まらぬ視界でソウヤと同じ言葉を口にした。
「サクラ、目覚めましたか!」
カグヤがぱっと破顔する。
「確か、データベースのロック解除のために……――っ!」
サクラの瞳孔の揺らぎは異常だと強く語っている。
まるでこうして三人対面している現状が異常であると。
「どうして仮想空間にログインしているの? それにここ……」
かぶりを振るいながらサクラは立ち上がる。
「まさかアラヤ領域?」
「知っているのか?」
「……カグヤから話に聞いた程度よ」
「わたしのミスです。トラップにかかったサクラのことを笑えません」
沈痛な趣の中、カグヤは語りだした。
「データベースの管理AIは表面上の顔でした。わたしたちを欺くために、本当の管理者である〈地球のマザー〉がこの領域に強制的に放り込んだようです」
「ち、〈地球のマザー〉がなら、あの声は……」
ソウヤは意識を喪失する直前の記憶を思い出す。
〈ドーム〉の住人である以上、管理AI〈マザー〉の存在を知らぬ者はいない。
ただ管理はするも直接、人の営みに干渉しないため声など聞いたことがなかった。
記憶にないはずなのに、どこか記憶にある声。
底冷えさせる声。
何かの欠落を与えてくる声。
――修復。
今まさに底冷えさせる声がソウヤの脳内で響いたと同時に頭を抑えて両膝をつく。
「ソウヤさん!」
「ぐっ、ぐああああああああああっ!」
前触れもなく脳内で別なる思考が喚く。内より食い破らんと中で暴れまわる。
「や、止めろ! 入るな! 来るな!」
何かがソウヤの中に侵入してくる。何かがソウヤの中を書き換えようとしている。
抗えない。止められない。止めるという行為すら思い浮かばない。
「カグヤ、どういうこと!」
「わ、分かりません! ソウヤさん! どうしたの……――まさか!」
合点が行った顔でカグヤは白き空を見上げた。
「〈地球のマザー〉です。ソウヤさんに〈地球のマザー〉が強制アクセスしています」
「そんなバカな! リンクは完全に断ち切ったはずよ!」
「ですが現にリンクを確認しました! まさか〈地球のマザー〉の狙いは初期化じゃ!」
サクラとカグヤが何を話しているのかソウヤには理解できない。
何かが内側より新たに誕生しそうな不快感。
何かが上書きされるような喪失感。
「や、や、やめろ……」
ソウヤは抗うことすらできず、身体を左右に大きく揺らしながら、見えない何かに引き寄せられるかのように砂の海へと後退して行く。
「危ない!」
「サクラ!」
ソウヤの身体が大きく傾いたのとサクラが叫んだのは同時であり、視界に白き空が大きく映りこんだ。
「サクラ、ソウヤさん!」
砂の波がソウヤの視界を覆い、認識できない奔流が意識さえ押し流した。
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