第一三話 涙は嘘を覆い隠す膜
ソウヤが目を覚ました瞬間、網膜に焼きついたのは黒の布地であった。
その布地から伸びるすらりとした二本の肌色の柱。
柱が人間の足だと気づいた時には、ソウヤの顔面は踏み躙られていた。
「ぐあああああっ! 顔が! 顔が!」
「そのままスケベに顔を歪めていろ!」
前触れも無く忽然とサクラが現れるとは思わなかった。
不条理すぎた。一体自分がどのような大罪を犯したというのかソウヤは自問する。
とどめに顔を蹴り飛ばされたことが理不尽に対する疑問を爆発させる。
「くっ~あ、あんたが月から来た……」
爆発させようと、怒りを爆発させればただの子供。
理不尽なる怒りを理性で鎮め、痛みに堪えるソウヤが涙目で問えば、顔を不機嫌色に染めながらもサクラなる少女は答えてくれた。
「……そうよ」
聞きたいことは沢山ある。ひとまず頭の中で質問を整理したソウヤは第一の質問をした。
「歴史じゃ月面都市の住人は〈千年戦争〉で全滅したって習ったぞ?」
「何度か地球と小競り合いはあったけど全滅していないわ。〈千年戦争〉時、戦争を繰り返す地球に危機感を抱いた百万の民は地下深くに冷凍睡眠施設を建造。地球圏から戦争が終わるまでコールドスリープに入っていたの」
「なら、月に他の住人はいるのか?」
「いないわ。あたしが唯一の……――そして最後の生き残りよ」
空気が変わった。
張り詰めた空気がソウヤの素肌を切りつけるように伝わってくる。
「やっぱり戦争で?」
「違うわ。コールドスリープ中は無人DTを配置して防衛に当たらせていたけど地球からの襲撃はなかったわ。月にまた攻め込む余裕がなかったってのが理由みたいだけど。戦争が終わるまで眠りについて……そして戦争が終わり、目覚めようとした時に事件は起こったわ」
奥歯を噛み締めながらもサクラは言った。
「地球の〈マザー〉が月の〈マザー〉をハッキングして、コールドスリープ中だった九十九万九九九九人の人間を虐殺したの!」
月にも〈マザー〉が存在する事実よりも、虐殺された事実にソウヤは言葉を失った。
ソウヤの知る〈地球のマザー〉は管理するだけで直接、人の営みに干渉しない。
虐殺など嘘だと思った。
だが、サクラの頬に流れる涙が真実であると訴えてくる。
「奇跡的に助かったあたしは〈月のマザー〉から事の顛末を聞かされたわ。同族同種が故にハッキングを許してしまった。AIは人間と違って敵という概念を持っていなかったからその隙を突かれたの……」
ソウヤはこれ以上新たに質問を重ねることはできなくなった。
「あたしの目的はこの地球上のどこかにある〈マザー〉本体にたどり着くこと! だからお願い力を貸して欲しいの!」
サクラは頭を下げてきた。全身を震えさせながら、床に涙を零しながら。
「復讐なのか?」
「違う! あたしにはどうしても〈地球のマザー〉本体にたどり着かなければならない理由があるの! 復讐なんかしたって殺された家族は戻らない! 今は理由を言えないけどどうしても入手しないといけないものがあるの!」
ソウヤはサクラの涙に黙した。
サクラにより質問しきれない問題が山積した。
そして、ソウヤの中にある言語化出来ぬ「 (なにか)」が訴えてきた。
「カグヤいる?」
「はい。呼びましたか?」
出入り口の無い部屋に忽然とカグヤが現れる。その謎はひとまず放置した。
「……外の景色って見られる?」
カグヤの目線がちらりとサクラに向けられる。
その目線は「見せてもいいのか?」と寡黙に語っているようにソウヤは感じられた。
「カグヤ、見せてあげて」
ソウヤの記憶が正しければ、サクラが裸体で湯に浸かる中、その窓枠より木々が茂っていたのを確かに目撃した。
「わかりました」
カグヤの応答と共に壁面の一部がクリアとなり、外の景色が露となる。
肉視窓ではなく、外部カメラがデジタル処理した映像であるが、ソウヤが教えられてきた世界とはまったく逆の世界が広がっていた。
鬱蒼と生い茂る木々。茂みの影より警戒心を抱いた獣が、湯気立つ温泉が見える。
違う。何もかも違う。ソウヤは愕然とした。
ソウヤが肉視窓越しに見てきた外の世界は、防護服着用であろうと出歩けず、動植物は死滅、夜空に月が煌くことはない赤茶けた世界のはずだ。
生身で出歩ける優しい世界ではない。天罰というべき厳しい世界のはずだ。
「どっちが正しいんだ……?」
一瞬、この女たちは自分を騙していると疑念を抱いた。
何しろ本物のような偽物など古今東西、容易く製作できる。
だが、サクラの涙がその疑念を洗い流した。
「だったら自分の目で真実を確かめればいいと思います」
カグヤだった。ソウヤに微笑みかけながら続けた。
「何故〈地球のマザー〉は自然溢れる外の世界を隠してきたのか? 何故、あなたはそのことに疑問を抱かなかったのか? それだけでもあなたが真実を求める充分な動機となるはずです」
ぐるぐるぐる。
何かがソウヤの頭の中で回っている気がした。
知らない真実。隠された真実。
脳内の一部が空洞化したような、胸の内に穴が開いたような感覚。
開いた隙間を埋めようと欲が真実を求めだした。
「真実を求めた結果、残酷な答えがあるかもしれません。それでもあなたは真実を求めますか?」
外世界を冒険できる高鳴りもある。
同時に自分にしか行えないことがあると自覚にも似た錯覚が芽生える。
「……求めるさ。あんたらにも理由があるように、おれにも理由が出来てしまった。真実を見つけて〈ドーム〉のみんなに伝えてやらないと」
「第二の〈千年戦争〉を起すことになりますよ?」
「今〈ドーム〉内では改革派と保守派が争っているんだ。皆の知る外の世界が偽りで、本当は自然溢れる綺麗な世界だと伝えれば、それだけでも状況は変わると思うんだ」
飛び抜けた能力など持たぬソウヤだが、真実を伝えることは可能だと考え至っていた。
事実を求め、重ねて真実へと為す。
そのためには何故〈地球のマザー〉が真実を隠すのか理由を知る必要がある。
「だから、おれも協力する。そっちもおれに協力してくれ」
ソウヤは右手をサクラに差し出した。
協力の証に握手を求めた。
最初は黙っていたサクラであったが返答としてその手を握り返してくれた。
「よろしく。ソウヤ」
サクラの瞳には決意が宿っている一方、嘘のような色彩を感じた。
涙は嘘を覆い隠す膜なのか、ソウヤには確信が持てなかった。
ただ、女の子の手は、温かくて、すべすべで、柔らかいのだと生まれて初めての体験だった。
初めてサクラの手を握ったはずなのに――この感触に既知を覚えた。
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