11 ぬくもりの場所1-2

     1-2


「好きなように食って下さい」

 鍋の蓋を開け、遠慮するなと田所に伝える。

「華、おいで。食おう」

 鍋の蓋を台所に置き、オレを待っていてくれた華と連れ立って居間へと戻り食卓へついた。華の分をよそって渡してから、お客さんだし最初は取ってやった方が良いのかなと考え、嫌いな物はないか確認してから田所の器にも適当に具を取り分けて渡す。どうやら田所は好き嫌いがないらしい。

「秋くんは面倒見が良いんですね」

 オレが差し出した器を受け取りながら田所が妙に感心した様子で言うもんだから、何だか照れてしまったオレはわざと仏頂面を作り「普通ですよ」と答えておいた。冷酷銀縁眼鏡田所はどこへ消えたのか。優しい温かな瞳をオレに向けて来るの、やめて欲しい。冷たい無表情も腹立たしかったけど、これはこれで居心地が悪いんだ。

 オレが台所と居間を行き来している間に母親が脱がせたのだろう田所のジャケットとネクタイは壁際に掛けられ、二つの装備を失ってラフな感じになっている田所は、一緒に親子丼を食べたあの時よりもリラックスしているように見える。鉄人が人間になった気がする。鍋の熱気で眼鏡を曇らせ、母親がどんどん注ぎ足すワインを喉へと流し込んでいる田所はどことなく楽しそうだ。

「秋、秋。イチゴ食べたい」

 最初によそってやった分を完食した華が主張を始める。目ざとい。スケッチブックから視線を外していないように見えたのに、玄関でのやり取りをちゃんと聞いていたらしい。

「まだダメ。後で。もう少し鍋、食えるだろ」

 華は不満顔も可愛い。だけどオレは負けない。にっこり笑って、菜箸で取った肉団子を華の器へ放り込む。

「ほら、肉団子好きだろ? あと何がいい?」

「…………しいたけ」

 肉団子二個と椎茸を入れた器を華の前に置いた。

「秋きっびしー」

 ほろ酔いで機嫌が良くなっている母親。だけどオレは見逃してなんてやらないんだ。顔を顰め、左手を差し出す。

「お前も酒だけじゃなくてちゃんと食え。どれ食うんだよ?」

「んーっとねぇ、肉団子と野菜かな! あ、ネギたくさん入れて!」

 食より酒が進んでいた母親にも具を取って渡した。

「田所さんは食ってます? 遠慮しないで下さいね」

「大丈夫です。頂いてます。この鍋も秋くんが作ったんですか?」

 確かに田所はちゃんと食いつつ酒も飲んでるみたいだ。既に赤い顔して上機嫌の母親と違って顔色があまり変わっていないから、酒に強いんだろうな。

「いえ。これは母親が作りました」

「秋くんの料理上手はお母様譲りなんですね。とても美味しいです」

「それは良かった!」

 よっぽど土産のワインがうまいのか、ハイペースで減ってるワインを見ると心配になる。もう少しで赤ワインの瓶が空になりそうだ。

「秋、食べた。イチゴ」

 オレが田所と母親と会話している間にも黙々と肉団子と椎茸を片付けていた華が完食して、再度イチゴをねだってきた。

「もうお腹いっぱい?」

「いっぱい。でもイチゴは大丈夫」

 特に考える素振りも見せず、即答だった。

「仕方ないなぁ」

 相当イチゴが好きなんだな。思わず笑みを零しつつ、立ち上がったオレは台所へ向かう。

 今の時期のイチゴは高いから、我が家で買えるようになるのはまだまだ先だ。どんだけイチゴが食いたいのか、華は自分の食べ終わった食器を持ってついて来た。食器をシンクで水に浸けてから、イチゴを冷蔵庫から出したオレの背中に張り付いてくる。背中にいるから見えないけど、きっと瞳をキラキラさせてるんだろうな。

 洗ったイチゴは三つの皿に分け、華の皿にはオレの分も一緒に入れた。まだ食べないだろうから二皿は冷蔵庫に戻して、待ちきれないって顔した華にはその場で一粒口へ運んでやる。

「美味しい?」

 浮かべている表情を見たら聞かなくてもわかったけど、聞いてみた。大きな動作で何度も首を縦に振った華が皿から一粒取って差し出してくれて、オレも高級なイチゴを味わう。

「甘くて美味しいね」

 華がこんなにも喜ぶのなら、時期が来たら毎日でもイチゴを買ってやろうって、思った。


 鍋はオレと田所で綺麗に食いきった。

 うまいうまいと繰り返しながら食っていた田所は、いつもは仕事が終わるのが遅いからコンビニ弁当とか、華の家に置かれていたような弁当ばかりで家庭の味に飢えてるんだって。独身男の一人暮らしはそんなもんだって言って、笑っていた。

「――お嬢様は、救われたのですね」

 空になった鍋を片付け、いつの間にか赤ワインが白に替わって、冷蔵庫からイチゴを出して机に置いた所で田所の呟きが耳に届いた。眼鏡の奥にある瞳は優しくて、イチゴを腹いっぱい食って満足して絵を描き始めた華を見つめている。

「……田所さん、知ってます? オレに会う前、華が顔を見分けていた他人は父親と田所さんだけだったんですよ」

 華を映していた瞳がオレへと向けられ、見開かれた。

「そう、なんですか?」

「反応しなくても、華は聞いてるし見てます。何が本気か、見分けています」

 眼鏡の奥の瞳が潤んでるのは酒の所為じゃないと思う。田所もちゃんと人間で、大人のしがらみの中で華を本気で心配していたのかもしれない。じゃなきゃ、他人に興味ない華は顔を覚えなかったんじゃないかなって思う。でも、もっと助けて欲しかったって思うのはオレがまだガキだからなのかな。

「秋くんは、良い男ですね」

 穏やかな笑みを浮かべた田所にしみじみと言われ、オレは僅かに首を傾ける。

「田所さんは良い男じゃないんですか?」

「私は、そうですね。良い男ではないです」

「なら悪い男?」

「悪くはないつもりですが、どうなのでしょう」

「それは勝ち目ないですね。オレの親父、すっげぇ良い男だったみたいですから」

 片方の口角を上げて意地悪い笑みを浮かべて言ったら、田所は苦笑した。

「それは、頑張って良い男にならなくてはいけませんね。――千夏さん、日曜日が休みなら私とデートしませんか?」

 イチゴをつまみに白ワインを飲んでいる母親に向き直った田所の目は、笑ってるけどマジだ。いつの間にか名前も聞き出したらしい。

「日曜は華ちゃんと遊ぶからダメね」

「どちらに行かれるんですか? 宜しければ車を出すのでお供させて下さい」

「北海道展に行くから車はどうかしら? 道混みそうよね」

「では荷物持ちをします。デパートに知り合いがいるので、限定品を優先的に手に入れる事も可能です」

 おー、ぐいぐい行き始めた。どこまで田所が本気かはわかんないけど、悪い人じゃなさそうだし放っておくかな。オレが変に反応すれば、母親がその気になるなんて事があった時素直になりづらくなるだろうし。

「秋」

 洗い物を片付ける為台所へ立ったオレに、華もついて来た。

「んー? どうした?」

「大好き」

「オレも華が大好き。むしろこれは――愛してる、かも」

 抱き付き見上げてきた華を抱き返して、オレは微笑む。腕の中の華はオレの言葉を聞くと耳まで真っ赤に染まった。

「可愛い。華、愛してる」

 頬を甘く綻ばせた華に、キスをする。

「イチゴの味。美味しい」

 深く繋がるキスで華の中の甘さを堪能しつつ目だけ動かし居間を見たら、ギョッとした表情の田所と視線がかち合った。でもやめない。苦笑した母親が田所に何か話し掛けているのを視界の隅に捉えながらオレは、イチゴ味のキスで脳みそ痺れさせた。


「秋くんは危険人物です」

 帰る田所を玄関で見送ろうとしたら危険人物認定された。だからオレは鼻で笑ってやる。

「それはお互い様ですね。母親を口説いてる人に言われたくない」

「それは……そうですね。ですが君はまだ学生です。節度ある付き合いをすべきだと思います」

「田所さんは高二の時、節度あるお付き合いとやらをしていたんですか?」

「それは何とも言えませんが」

 言葉を濁した田所に、オレは笑みを見せる。

「大丈夫です。すっげぇ大切にしてますから」

「……そうですね。そう、見えます」

 話しながら靴を履き、田所を玄関の外へと誘導した。背広の背中を叩いて体を寄せて、内緒話。

「うちの母親、死んだ親父の事を今でも愛してるんです。だから母親の気持ち無視するような事、しないで下さいね」

 念の為、釘を刺しておく。

「それは、君にも言いたい」

 真剣な表情の奥に、穏やかさが見えた。

「そっすね。お互い気を付けましょうって事で」

 オレが笑みを浮かべると、田所の顔にも微笑が浮かぶ。

「もし家庭の味が恋しくなったら、オレが家にいる時なら食いに来ても良いですよ」

「良いんですか? 本当にお邪魔しますよ?」

「どーぞ。でも母親が一人の時に来たら出禁にします」

「わかりました。秋くんに連絡してから伺うようにします」

 ご馳走様でしたって頭を下げ、田所は帰って行った。スーツ姿の背中に手を振り見送りながら、オレは母親の幸せについてしばらく悩む。

 あの人には幸せでいてもらいたい。幸せにしてあげたい。辛かったら泣いたって良い。ずっと笑顔でいてくれる必要なんてない。だけど……母親は、滅多にオレの前では泣かないから。いつだって頑張って、笑っていようとしちゃうから。だから、オレでは与えられない安心を、泣ける場所を、寄り掛かれる存在を、誰か彼女に与えてあげて欲しい。

 鼻の奥が少しだけ熱くなって、深く息を吸い込んでみたら冷たい外気が冷ましてくれた。

「こんな時は、会いたくなる」

 親父がいてくれたらなんて誰にもどうしようもない事が頭に浮かんで、いつもするようにオレは、それを無理矢理飲み下す。

 家の中へ戻ると酔ってご機嫌になった母親が、華を抱き締め楽しそうに笑っていた。

「華ちゃんと秋と、いつかお酒が飲めたら楽しそうよねー」

「イチゴ味、ある?」

「あるわよー。成人したら、飲んでみる?」

「美味しい?」

「どうかしらー。人によるわね」

「美味しくないのは、いや」

「そうよねぇ。美味しくないのは嫌ねぇ」

 軽やかな笑い声が室内を満たし、オレはその中へと足を踏み入れる。

「成人したら付き合ってやるよ。大丈夫か?」

「大丈夫よ。ちょっと、幸せなだけ」

 とろんとした笑みを浮かべた母親の片手が伸びて来て、オレは素直に捕まってやった。そのまま華がいる腕の中へと引き寄せられ、オレと華を腕に抱いた母親が声を立てて笑う。

「あー……幸せで眠い」

「そうかよ」

 母親の腕の中、目が合った華もなんだか眠そうにしてる。

 無理な姿勢だった所為でオレが身動ぎすると、腕の力が緩んで解放された。

「風呂入って歯、磨かないと」

「お化粧も落とさないとだわ」

「イチゴ、美味しかった」

 母親の酔いはその後すぐに醒めたらしく、風呂に入ってからいつもより少しだけ遅い時間にそれぞれ布団へ潜り込んだ。




 ※次回更新は8日です※

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