4 ぬくもりの場所

10 ぬくもりの場所1-1

     1-1


 決戦の木曜日。飯を食いに来るだけだけど、母親を狙ってる野郎がうちに来るなんて初めての経験だからちょっと緊張する。オレが守るべき? それとも本人達に任せるべき?

 考えてもよくわからないから、流れに身を任せるしかないかなって思う。

 華と一緒に学校から帰ると、母親はうっすら化粧をしていた。服も、いつも着てる毛玉だらけのオレからのお下がりスウェットじゃなくて、ジーンズ履いてロンTの上にパーカーを羽織ってる。「何気合入れてんだよ」って突っ込んだオレに対して母親が言った事によると、他人様にスウェット姿は晒せないんだってさ。

 オレはスウェットズボンに上はロンTとパーカーっていういつもの部屋着に着替え、華は母親によってパーカーワンピに着替えさせられたみたいだ。

「夕飯、鍋にすんの?」

 着替えた後、台所に出てる土鍋と冷蔵庫の中身を見て母親に聞いた。冬の我が家の夕飯はほとんど鍋になる。準備が楽で野菜をたっぷり食べられるからだ。

「もう寒くなって来たし、鍋なら好きに食べられるでしょう」

「酒は? 飲む?」

 冷蔵庫には発泡酒。田所、こんな安い酒なんて普段飲まないんじゃねぇかな。

「車かもしれないし、どうかしら? それは私が飲みたくて買ったの」

「あんまり飲みすぎるなよ」

 まだ夕飯の支度をするには早いし、オレは漫画を自室から持って来て居間で絵を描いてる華の隣に座った。母親が観ているテレビからは、デパートでやってる北海道展の特集が流れている。

「フロマージュ美味しそう」

 ぽつり落とされた母親の声に反応してテレビ画面へ目を向けてみたら、リポーターがチーズケーキを食べている所だった。

「日曜、華と行ってきたら? そんな遠くないじゃん」

「行こうかしら。華ちゃん、日曜ここ行かない?」

 スケッチブックから顔を上げた華がテレビ画面を確認して、頷く。

「行く」

「やったぁ! 日曜は美味しい物食べましょうね!」

「オレにも何か買って来て」

 本当はオレも行きたいけどバイトだから仕方ない。それに、出掛けた後の華がどこで何したって話を楽しそうにしてくれるのを聞くのも好きだ。

「秋には何が良いかしら? このカニ弁当とか?」

「でもこれ、限定品だからかなり並ぶだろ。日曜は無理じゃねぇか?」

「そうね。並ぶのは嫌だわ」

 だろうな、なんて言いながら笑って、オレは漫画へ視線を戻す。視界の端に映った華が絵を描かずにテレビを観ていたから、ゴロンと華の膝に寝転がった。見上げた先の華は、オレを見下ろし微笑んでる。いつもとは逆で華に頭を撫でられたのが幸せで心地よくて、オレは漫画を読むのはやめて華のお腹に抱き付き甘えてみた。

「秋、可愛い」

 ほっこり胸が温かくなって、グリグリ華のお腹に顔を擦り付ける。華はくすくす声を立てて笑っている。

「華の方が可愛い」

 とろけた顔で見上げたオレのおでこに、華がキスをくれた。

「もっと欲しい」

 離れて行こうとした華の後頭部を片手でおさえ、止める。横目で確認してみると、苦笑を浮かべた母親が立ち上がりそのまま台所へと消えた。

「ねぇ華。もっと、欲しい」

 ちょっと苦しい姿勢でオレに止められている華は、迷ってから唇にキスして、すぐ離れる。それをオレはまた止める。困った顔の華が愛しくて、オレはとろけた顔で笑った。

「足りないよ」

 甘えてねだってみたオレのほっぺに掌当てて、上半身折り曲げた姿勢での長いキス。催促するように舌先で唇を撫でたら、華は舌を出して絡めてくれた。でも、二人きりじゃないからそこまで。満足したオレは笑みを浮かべ、華のお腹へ顔を埋めて目を閉じた。


 六時半過ぎに玄関のベルが鳴った。

 鍋は母親が用意して、くつくつ音を立てながら煮込まれている。

「待って。オレが出る」

 居間でテレビを観ていた母親が玄関のベルに反応して立とうとしたのを止めて、オレが玄関へ向かいドアスコープから来客の確認をした。そこにいたのは待ち人で、ドアを開けたオレと玄関先に立つ田所は笑みのない挨拶を交わす。

「こんばんは」

「こんばんは。迷わなかったですか?」

「大丈夫です。近所に住んでいますから」

 衝撃の事実発覚。土日の二回とはまた違ったスーツを着ている田所は、仕事帰りだけど全くヨレヨレしていない。もしかしたらこの人は鉄人かロボットなのかも。

「あら、ご近所さんなの?」

 母親も居間から顔を出し、田所の「家が近所」発言に驚いている。母親への返答で田所が告げた場所は、うちから十分くらいで着くマンションだった。

「お嬢様のマンションから近い場所に住んでいるので、私が選ばれたのですよ」

 なるほどな。そうじゃなかったら五年も通っていられないか。しかし、母親の危険度が増した気がするのは気のせいか……

「宜しければどうぞ」

 田所が母親に差し出したのは、近所のスーパーじゃ見掛けないような赤と白のワイン。それと生のイチゴ。

「華の好きな物、知ってるんですね」

 会話がままならなかったって聞いてたから、意外に思った。

「お嬢様は果物しか召し上がらなかったので、色々お持ちしてみた中でイチゴの減りが一番早かった為お好きなのかと」

 よく見てる人なんだな。やっぱり、冷酷人間は取り下げても良いかもしれない。

 ワインとイチゴをオレに渡した母親が田所を居間へ招き入れた。

 受け取ったイチゴを冷蔵庫に仕舞ってから、ワインを冷やすべきなのかがかわからず悩む。母親が飲むのは発泡酒かチューハイだからワインの扱い方なんてオレは知らない。

「ねぇ、ワインって冷やすの?」

「白ワインは冷蔵庫で、赤ワインは常温が良いです」

 オレの疑問に答えたのは田所だった。

「了解でーす。家が近所なら歩きですよね? 田所さんも飲みますか?」

 田所の意思を確認しているオレの横では、あっても使われる事のないワイングラスを二つ母親が取り出していた。どうやら母親の中では一緒に飲む事が決定しているらしい。田所の方にも異論はないらしく、遠慮する素振りは見せなかった。

「鍋が肉団子だから赤か良いわ」

 嬉しそうに声を弾ませた母親の指示に従い、白ワインを冷蔵庫に入れてから赤ワインを居間へと運ぶ。田所が開けてくれるっていうから、母親がどこかから出して来たコルク抜きと赤ワインのボトルは田所へと託された。母親は、飲む気満々うきうきした様子でワインが開くのを待っている。

 手持無沙汰になったオレは、食卓の準備を整えようと台所へ引き返した所で背後から突然抱き付かれた。

「どうした、華」

 きゅうっと力を込めて腰に腕を巻き付けてくる華が可愛くて、緩んだ顔で見下ろす。

「秋、ご飯?」

「ご飯だよ。お腹空いた?」

「空いた」

 おでこへのキスで「すぐに用意するね」の返事をしたら、満足そうな笑みを浮かべた華はいつもの場所へ腰を下ろした。オレが飯の支度をしている間、膝を抱えて観察しているのが華は好きみたいだ。華に見守られながらオレは、鍋の様子を確認してから食器や箸の用意をする。

 にこにこ笑顔の華に見られながら台所と居間を行ったり来たりしていたオレをもう一人、観察している奴がいた。田所だ。

「なんすか」

 妙に優しい瞳で見られていたもんだから居心地悪くて、オレは仏頂面を田所へと向けた。

「いえ。本当にここは『温もりの場所』なのだなと思いまして」

 冷たい無表情の下から現れた柔らかな笑みに面食らいつつ、オレは首を傾げる。母親も興味をそそられたらしく、不思議そうな顔して田所を見ていた。

「あら。何ですか、それ?」

 母親の言葉とオレの視線に応えるようにして優しい笑みを深めた田所が、答えをくれる。

「お嬢様が描いた絵です。『温もりの場所』というタイトルで、こちらの台所が描かれていました」

「あぁ、なんだ。あれの事か」

 華が描いたあの絵を思い出し、納得したオレは台所へ鍋を取りに行った。



 ※分割した為、本日もう一話更新します※

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