26 四週目 日曜日

   日


 長かった。やる気の出ないバイトをなんとか終わらせて、オレは華の家へ急ぐ。

 どうして拒否されたのかは考えてもわからなかったけど今日は会ってくれるって言ってたし、会ってから聞いてみよう。華のマンションに着いて、自動ドア横のインターホンを押す。ちょっと待つと無言で開錠されて、エレベーターで七階まで上がる。

 早く会いたい。会いたくて堪んない。エレベーターの中での短い時間すらとてつもなく長く感じる。

 玄関のインターホンを押して、出て来た華を見たらすげぇほっとした。

「秋」

 パパの服着て絵の具だらけ。髪もボサボサ。いつも通りの華。オレを見た華はふんわり嬉しそうに笑ってくれた。

「華。会いたかった」

 笑ってくれたから嫌われた訳じゃないってわかって、きゅうっと玄関先で抱き締める。絵の具と華の匂い。安心する。

「ねぇ華? ちゃんと飯食ってた? サンドイッチ作って来たけど、食う?」

 イチゴジャムサンドとツナたまごサンド、それとレタスとハムとチーズのサンドイッチ。一緒に食おうと思って多めに作った。飲み物はコンビニに寄って一リットルのコーヒー牛乳を買って来たんだ。華が頷いて、靴を脱いで玄関上がる。そしたら華から手を繋いできて、一緒に絵の部屋に入った。

「華、これ、ずっと描いてたの?」

 この前来た時には電車の窓からの風景の絵があった。だけど今日は違う絵がイーゼルに立て掛けられている。まだ絵の具が乾ききっていないその絵は、ほんわか暖かな色使い。今すぐ誰かがそこで動き出して音が聞こえてきそう。描かれてないのに、フレーム外に人の気配がする。そこが好きなんだって華の気持ちが伝わってきた。体育座りしてる華の目線から見た、うちの台所。

「嬉しい。この絵、母親にも見せたい」

 絵から外した視線を向けた先で、華がはにかみ笑いを浮かべていた。黄色い絵の具が付いた華のほっぺを撫でてオレも微笑む。なんだかすごく、優しい気持ちになる絵だ。

「いいよ」

 恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑った華が許可をくれたから、「見せたい物があるから華の家に来い」っていうメッセージを母親に送った。

「秋、お腹空いた」

 華に飯をねだられ、絵の具の付いた手を洗わせた後で並んで床に座ってサンドイッチを食う。二切れ華が食った所で母親から返信があった。

「母親、すぐ来るって」

 こくんて頷いた華に、コーヒー牛乳のパックに長いストローを刺して差し出す。でかいパックだから自分で持たせるとひっくり返しそうな気がして、オレが持ったままで飲ませた。

 持って来たサンドイッチを全部食いきって、オレの定位置で脚の上に華を座らせて後ろから抱き締める。華の頭に顎を乗せて、二人で黙って絵を眺めていたらインターホンが鳴った。立ち上がった華がインターホンの画面を確認して無言開錠。ちゃんと相手を確認してから開けていたんだとわかって安心した。

 戻って来て元通りに座った華の顎を掴んで振り向かせ、オレは可愛い唇を舌先で舐める。舐めて、長いキスして、唇合わせたまま舌で華の唇の間を探る。鼻摘まんで口開けさせようとした所で玄関から来客の知らせ。暴走する直前。ナイスタイミング。

 赤い顔の華のおでこにキスしてから立ち上がって、一人で玄関へ行く。最近オレは暴走気味だから、止めてくれる誰かがいないと怖いんだ。華を傷付けたくない。

「よ!」

 玄関開けて片手を上げる。ドア開けた先に立っていた母親にじぃっと顔を見られ、直後にデコピンされた。

「あんた顔でバレバレよ。まったく」

 マジかって呟き両手で顔をこすっておいた。

 玄関で靴を脱いだら目を閉じるよう頼み、後ろから母親の両肩を掴んで押して歩く。良いって言うまで開けんなよって念押ししてから絵の部屋に入った。

「いいよ」

 絵の正面に立たせてから許可を出す。目を開けた母親はしばらく黙って絵を見つめて、ゆっくりと華の方へ振り返った。

「すごく、素敵な絵ね」

 優しい顔で笑って、母親は華を抱き締める。華が寂しいって泣いてる絵を母親もネットで見たはずだから、この絵を見せてやりたかったんだ。

 華は母親の腕の中で、安心しきった様子で微笑んでる。

「他の二枚も見せていい?」

 華が頷いたから壁に立て掛けてある電車の絵と夜景の絵も見せる。

「優しい絵ね」

 華の頭を撫でながら母親は、穏やかな笑顔を浮かべながら三枚の絵を眺めていた。

「華、絵の具落としてこいよ」

 日が落ちて暗くなり始めた部屋の電気を付けてから、気持ち良さそうに母親に髪を撫でられていた華を風呂に入るよう促す。母親から離れて立ち上がった華に着替えを持たせ、風呂場へ連れて行った。

「華」

 脱衣所で名前を呼んで振り向かせる。両手を腰に回してぴたりと体をくっつけた。

「大好き、華」

 右手を腰から離して、華の小さい鼻摘まんで唇合わせる。開いた隙間に舌を滑り込ませ、逃げる舌を追って絡ませた。華が苦しくなる前に開放して、親指で唇を拭ってやる。

「ゆっくり入っておいで。今日は一緒にうちへ帰ろう」

 蕩けた顔で笑うオレを、同じく蕩けた顔した華が見返してくる。両手が暴走しないよう握り込み、廊下に出てドアを閉めた。

 鼓動が速くて苦しい。どれだけキスしても足りないんだ。もっともっとって際限なく求めて、華を壊しそうな自分が怖い。大切に大切にしたいのに――ぐちゃぐちゃにしたくなる。

 デコピンされて落ち着くかって考えて、母親の所へ戻った。絵を眺めていた母親が振り返り、オレの顔見て笑う。

「おバカねぇ」

 笑ってる母親の前に正座したオレの額に、デコピン連続二発。痛みで涙が滲んだ。

「あんたってほんと、章人あきひとさんの子よね」

 額おさえて蹲ってるオレを見て、母親が呆れた声で呟いた。

「どうしてここで親父なの?」

 オレに親父の記憶はあんまりない。でも、母親が愛しそうな顔しながらよく話してくれていたから親父の事は結構知ってる。

「付き合ったばかりの頃、今のあんたとおんなじ顔してたわ」

「どんな顔だよ」

 オレの言葉に、母親はそんな顔よって言って笑う。きっと親父もオレと同じ煩悩と戦っていたのかもなって、納得した。

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