21 四週目 火曜日
火
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東華 (あずまはな)
日本人。十七歳。母は画家の東百合。
五歳で発表した「白百合」がデビュー作。風景画を得意とする。寂寥感漂う色使いが特徴。本人は顔を出すのは好まないようだが、出回っている写真からは母の百合によく似た美しい顔立ちであると有名。
東百合 (あずまゆり)
日本人。享年三十五歳。
日本で開いた個展で知り合った画商と結婚。娘、東華を出産時に死亡。美しい日本人画家としてテレビに多数出演。代表作は――
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寝る前、布団の中。スマホで検索したら華の情報がたくさん出てきた。受賞歴。作品。写真。出てきた絵はどれもこれも、寂しい寂しいって泣いている。デビュー作だっていう白い百合の絵だけが、暖かい色使いで幸せそうだった。
写真の華は綺麗なドレスや着物姿で化粧もされていて、まるで人形みたい。笑ってる写真は一枚もない。最初の頃に学校で見たあの表情。何にも興味がない、瞳に何も映ってない、あの華だった。
父親の情報は海外飛び回って絵を売ったりしてるって事くらいしかよくわからなかった。いつかもし会えたら、どうして華を独りにしてるのか聞いてみたい。そんなのを調べて寝たからか、起きたらオレは泣いていた。今日も布団に潜り込んでいたらしい華が、オレをじっと見つめてる。
「秋」
涙で濡れたオレの目尻に指先で触れて、華はオレを呼ぶ。
「華、オレは華が大好きだよ」
頬に置かれた掌に擦り寄って、華をまっすぐ見返して、オレは笑う。側にいたい。笑っていて欲しい。寂しいって一人で泣かないで。たくさんの気持ちを込めて、笑う。オレを見て華は嬉しそうに、可愛い花が開くみたいに笑うんだ。
「華、可愛い。大好き。華が笑うと嬉しい」
おでこに、瞼に、頬に、キスの雨を降らせる。華がくすぐったそうに笑うから、最後に唇へ優しくキスをした。
布団から出て居間に行くと、笑顔の母親が台所から顔を出した。
「おはよ! 華ちゃんにはココアにしたの。ココアは好き?」
母親がマグカップを二つ持って来てくれた。華にはココア。オレにはコーヒー。
「おはよ。ありがと」
「おはよう、秋ママ」
華の中では、母親は秋ママで定着したみたいだ。
朝食は、華が昨日くれた食パンにイチゴジャムを塗って三人で食った。今日も華の髪は母親がやって、スウェット姿の母親に見送られて家を出る。手を繋いで登校して、昨日と同じようにテスト直前の勉強。教師がもう驚かないのがちょい残念。
「秋、今日は絵を描く」
今日のテストも終わって、鞄持って華の所に行ったらそう言われた。
「なら、今日はオレが華の家に行ってもいい? 邪魔しないから」
悩む素振りを見せずに華が頷いてくれたから、オレは笑顔で華の手を取り歩き出す。昼飯は前みたいにコンビニで買って、華の家に行った。
家に着いたら華は寝室でパパの服に着替えて、ご飯はいらないと言って描きかけだった絵に向かう。オレはいつもの定位置で飯食って、勉強しようかなって教科書を出した。でも、やめた。魔法使いみたいな華。華の手で形作られていく何かから目が離せなくなった。
オレは、絵の具だらけになりながら真剣に絵と向き合う華を飽きずに眺め続ける。
いつの間にか外は暗くて、華がそれに気付いたみたいに手を止めた。多分電気を付けるんだろうなと思って、オレは立ち上がってスイッチを押す。電気が付くと華が振り返ってオレを見て、柔らかな笑みを浮かべた。その笑顔だけで幸せな気分になって、オレも微笑み返してから再び腰を下ろし、華の後ろ姿をじっと見つめる。
絵は、それからしばらくして完成した。夜空と夜景。この景色は、体育座りする華の側でオレがここのベランダから見た景色と同じだ。夜景も夜空も、濃くて暗い色なのにぼんやり温かい。
動きを止めて絵を点検するように眺めていた華は満足したのか頷いて、絵の端に何かを書いた。筆とパレットを置いた華が振り向き、側に来てぺたんと座る。
「秋」
まっすぐ視線が向けられ、呼ばれた名前。オレはその視線を受け止めて続く言葉を待つ。
「秋……あのね」
珍しく華が言い淀んでる。何かを言おうと頑張ってるから、オレは何も言わないでおく。だけどどうしてだろう? 華が真っ赤になって瞳をうるうるさせ始めた。口も、何か言おうとして開けては閉じてを繰り返してる。
「秋、わたしね」
助け舟を出そうか悩み始めたオレの前で、華はふるふると子猫のように震えている。
「――秋が、すき」
真っ赤になって震えた華が口にした言葉は、オレの心臓を撃ち抜いた。
「本当に?」
信じられない。奇跡だ。でも、そうなってくれていたら嬉しいなって、思ってた。
「それってちゃんと、男としてって事?」
父親とか家族としての可能性が捨てきれなくて、はっきりと知りたくて確認してみる。緊張しながら答えを待つオレの視線の先では、華の首が微かに傾げられた。
「秋は男の人だよ?」
「そうだけど……パパとは違う?」
「秋はパパじゃない」
オレが抱いている不安が伝わっていないのを感じ取り、言い方を変えてみる。
「オレとキスするの、いやじゃない?」
「いやじゃない」
「恋人としての、好き?」
赤みが引いていたはずの華の顔が、再び赤みを増していく。恥ずかしそうに瞳を揺らし、でも視線はまっすぐ、オレに向けられている。
「……うん。好き」
現実なんだって実感が湧いて来て、目頭が熱くなって、体が震えてくる。
「もっと、言って?」
オレはそっと身を寄せる。華は、逸らさずオレを瞳に映してくれている。
「秋が好き」
「嬉しすぎて、どうにかなっちゃいそうだ」
心臓が壊れたみたいにバクバクして、体中の血が沸騰したような気がした。
華の唇に、吸い寄せられる。可愛らしい音を立てて短く二回。三回目は、ゆっくり長く、重ね合う。真っ赤なくせにキスする間もオレをじっと見てる華からは、嗅ぎ慣れた絵の具の匂いがした。
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