18 三週目 土曜日

   土


 朝目が覚めると華がいた。寝起きと驚きで混乱しながら周りを見回してみて、ここは自分の部屋で自分の布団に寝ているんだって事を確認。一瞬夢かと思った。

 何故だかオレの部屋にいる華は、布団の横に体育座りした状態でじっとオレを見下ろしている。

「おはよ、華」

 朝一で会えた事が嬉しくて、オレは緩んだ顔で華に声を掛けた。

「おはよう、秋」

 ふわっと笑っての返事。あまりの可愛さに堪らず抱き寄せようとしたら、少し開いた襖の向こう側にニヤニヤ笑った母親が立ってるのが見えた。

「見てんじゃねぇよ」

「あら! ここは敢えて邪魔した母を褒めてもらいたいわぁ」

 母親の言う事にも一理ある。頭、沸騰しかけてた。華の体をきゅぅっと軽く抱き締めてデコチューで我慢したオレは偉いと思う。

「華、お腹空いた?」

「ウサギがいい」

 そんなにウサギが気に入ったか。笑いながら立ち上がり、オレは台所へ向かう。

「華ってコーヒーは飲めるの?」

 ふるふる小刻みに首が横に振られた。苦いのダメだもんな。それならホットミルクにしようと決めて、牛乳を温めた。

「熱いから気を付けろよ?」

 マグカップを渡しながら注意する。頷きつつも慎重に受け取った華は台所と居間の敷居の上にちょこんと座り、オレと母親が飯の支度をしている所を眺める事にしたみたいだ。

「もー、華ちゃん可愛い! いっそ今日も明日も泊まってそのまま学校行ったら? 二人でがっつりテスト勉強頑張れば良いじゃない! ラストスパートよ!」

 オレと自分用の食パンをトースターにセットした母親が、熱したフライパンに卵を割り入れながら華の方へ首だけで振り向く。

「おい、勝手な事言うなよ」

 オレはリンゴをウサギの形に剥きながら朝からテンションが高い母親に呆れ顔を向けた。だけどその直後、華が発した言葉に喜んだ母親のテンションは更に上がる事になる。フライ返し片手に軽く踊っていたくらいだ。

「泊まりたい」

「まぁ! じゃあ決定ね! 今日もおばさんとお風呂入りましょ!」

 こくんと頷いた華の顔は嬉しそうに綻んでいる。やっぱりあの家に一人は寂しいんだろうな。そりゃそうだ。

「華、可愛い」

 剥いたリンゴを入れた皿を左手に持ち、オレは華の三つ編み頭を撫でた。昨日から、華はずっとにこにこ笑ってる。

「ほら、ウサギ。剥いたから机で食べよう」

 華の手から飲みかけのマグカップを受け取り、台所から三歩で着く居間へ一緒に行く。マグカップとリンゴの皿を机に置いてからオレと母親の分の朝飯も取りに行き、三人揃っていただきます。華は楽しそうにウサギリンゴを頬張った。

「華ちゃんが可愛すぎてツライ。仕事行くのツライ。一緒に遊びたい」

 着替えた母親が華を抱き締めて駄々を捏ね始めた。

「バカ言ってねぇでさっさと仕事行け」

「秋冷たーい。華ちゃんアイスは好き? 帰りに買って来てあげる!」

 母親の腕の中で華が嬉しそうなのは良いけど、オレは少し面白くない。

「イチゴが好き」

「イチゴね! じゃあイチゴのアイス買って来るから勉強頑張るのよ! いってきまーす」

「いってらっしゃい。頑張れよ」

「……いってらっしゃい」

 はにかむ華に母親がまた反応しようとしたもんだから、騒ぐ母親を玄関から締め出してやった。キリがなくなる。

「華、おいで」

 ずっと母親に華を取られてたから、ぎゅーって抱き締めて華の補充。

「秋の匂いがたくさん」

 それは、どういう意味だろう? 臭いって事? オレが悩んでる事には気付いていない華が、柔らかい表情でオレを見上げた。

「お家。全部、秋がいる」

「……それは、嫌?」

「安心する」

「華可愛すぎっ」

 ぎゅーって力一杯抱き締める。なんて殺し文句を言うんだ華は! これ以上好きにさせてどうするんだよ!

「華、好き、大好き!」

 チュッチュッチュッと、でこ、鼻、ほっぺにキスをした。唇は、緊張したから止まる。でも華が嬉しそうに笑ってくれたから、やっぱり止まんない。

「大好き」

 軽く触れた華の唇は柔らかくて、ミルクの香りがした。オレはまるでファーストキスみたいに心臓がバクバクして壊れそうになってる。ファーストキスの時だってこんな風にはならなかったのに。

「嫌、だった?」

 きょとんとしてる華に確認した。

「嫌じゃない」

「そっか」

 笑ってまた、きゅうって抱き締める。

「華、可愛い、可愛い可愛い可愛い」

 何度も可愛いを繰り返したら華がくすくす笑うもんだからオレは堪らない気持ちになって、しばらく玄関先でハグしてた。


 華の三つ編みを結い直してからテスト勉強をしようと思って勉強道具を出したけど、華は色鉛筆で絵を描き始めた。ちょっと悩んだけどそのままにしておく。昨日まで一緒に勉強した感じだと、オレが想像していたより全然平気そうだったから。教師が放っておくにはそれなりの理由があったんだってわかった。

 しばらくして完成した絵は暖かい色で、やけにリアルな昨夜の夕飯とウサギリンゴだった。

「たっだいまー」

 テンションの高い母親が帰って来て、一気に家の中が騒々しくなる。

「お疲れ」

「……おかえりなさい」

 また華がはにかんでる。言い慣れてないからだろうな。

「ただいまただいまー! 良い子に勉強してたかしら?」

 母親が飛び付くように華を抱き締めた。オレは母親の手から袋を受け取って、アイスを冷凍庫へ仕舞う。そのまま夕飯を仕上げる為コンロに向かった。今日の夕飯は子供舌の華の為にオムライスとコンソメスープ。昼もウサギリンゴだけだったから、きっと華も腹減ってるはずだ。

「着替えて手洗ってうがいしろよ。すぐ出来るからな」

「はーい」

 母親は華を解放して、着替える為に部屋へ引っ込んだ。華はまたにこにこして体育座りでオレを見てる。可愛すぎてツライ。

 オムライスを三つ机に運び、スープも運んだ。華のオムライスに猫を描いてみたら嬉しそうに笑って、華はオレの手からケチャップを奪う。オレと母親のオムライスには華がウサギを描いてくれた。リアルじゃなくて可愛いウサギ。

「華ちゃん上手! ウサギ可愛いー! 食べるのもったいない! でも食べる! いただきまーす」

「いただきます」

「……いただきます」

 華は口の周りにケチャップ付けて、幸せそうにオムライスを食っていた。オレと母親は笑顔で華を眺める。

「あー可愛すぎてツライ。華ちゃん、秋のお嫁さんにならなくても良いからうちの子にしたい」

「何変な事言ってんだよ。でも華が可愛すぎるのには同意」

 華はくすくす楽しそうに笑いながら、オムライスとスープを完食した。食後にアイスも食って、満腹で動けなくなってる。

「だから残しても良いって言ったのに」

 呆れて言うオレを見て、華は笑う。

「美味しかった」

「華ちゃん可愛い!」

「華、可愛い!」

 うちは親子で華にメロメロだ。似た者親子なんだろうな。

 華がまた絵を描き始めたから、オレは洗い物をする為に台所へ行った。

「華ちゃんって本当に絵が上手いのね。うちに飾りたいくらいだわ」

「ダメ」

「あら、恥ずかしいの?」

 会話が聞こえて振り返った先、見えた華は、無表情に戻ってる。

「怒られる」

「……誰に、怒られるんだ?」

 夕飯の片付けを終え、オレも会話に参加する。なんだか良い話じゃない気がした。

「パパと、持って行く人」

 笑みをおさめた母親が、チラリとオレに視線を向けてくる。

「どうして怒られるの?」

 優しい声音で母親が聞いたけど、華は何も言わない。

「華? どうして怒られるんだ?」

「怒られる」

「そうなの」

 母親はにっこり笑って、俯いた華の頭を撫でた。不安そうな顔で華がオレと母親を見るから、オレも笑みを作る。

「そろそろ風呂入ってくれば? 腹もこなれただろ」

「そうね! また一緒に入りましょ!」

 風呂場へ向かう華と母親を見送りながら、考える。華が描いた絵を持って行く人はパパの会社の人で、華が人に絵をあげると二人は怒る。知りたいけど怖い気がして、スマホを握ったままオレは、躊躇っていた。

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