61 赤沼琴音
鬱蒼と草木の茂る山の中を歩くのは非常に困難なことであった。羽黒祐介もくたばりかけたが、根来はもう体力的に限界を迎えて息を切らしていた。
「まずいな、このままでは日が暮れてしまうぞ。そしたら、捜索はえらく大事になる……」
「弱りましたね……」
懐中電灯は各自持っているものの、暗闇の中では、捜索は困難を極めることになるだろう。
その時、後ろについて歩いていた村上隼人が、突然何かにはっとして、「ごめんなさい!」と叫ぶと急にひとりで山の中を駆け出した。
「まさか……」
村上隼人が走り出したことに驚いて、根来は慌てて走って追いかけようとしたが、年齢の違いか、とても追いつかない。
「やつは山伏か忍者か……」
小さくなる村上隼人の背中を見ながら、根来は息を切らしながら呟いた。彼は容疑者ではないから良いものの、それにしたって勝手な行動を取られては困る。
「しかし、一体どうしたと言うんだ……ごめんなさいじゃないだろ、謝れば勝手なことして良いのか」
「彼は琴音さんの居場所に心当たりがあったのでは……」
と祐介が言うと、
「なんだって、それであいつ、ひとりで走っていったのか……だとしたら、真っ先に我々に言わないといけないところを……」
と憎々しげに根来は呟いた。
「やつを手分けして探そう。あいつまで行方不明になられちゃかなわん……」
このように根来が言ったので、羽黒祐介は根来と別れて、山の奥へ奥へと入っていった。
*
どれほど歩いただろうか、ここまで深く山の中に入り込んでしまって戻ることが果たしてできるのだろうか、とやたら不安になりながら、祐介は足を進めていた。
この辺りは警官隊もあまりおらず、ひどく静かでもの寂しかった。
(こんなところには、琴音さんはいないだろう……)
そう思って、祐介がふと横を見ると、ごつんと巨石が突き出たその影にひとりの女性が座っていた。
祐介は、驚きのあまり、思わずその女性を食い入るように見つめた。女性も動ずることもなく祐介をじっと見つめていた。祐介は、赤沼琴音の写真を見たことがある。少し暗い影のさした美少女という程度のものであった。しかし、そこにいた女性はその写真とは大分印象が違っていた。
祐介は、その女性が夢か幻のように美しく思えた。この世のものとは思えないほどに美しい女性なのであった。肩までかかった清潔な黒髪と、整った気品のある優しい顔つきは、はっと胸をときめかせるほどに印象的であった。時に活発な麗華とは違い、本当に大人しく、哀しみの中に咲いた愛らしい一輪の花のような
「琴音さんですね……?」
琴音はうなづいた。
「もう鬼ごっこも終わりですね……」
静けさの中で、琴音の優しくて繊細そうな小声がぽつりと哀しげに響いた。
「僕はあなたを捕まえるために来たのではありません。警察の人間ではありませんし……」
「そうなんですか……? それでは、あなたはどなたなのですか……?」
「探偵の羽黒祐介と申します……」
「探偵さん……」
琴音は何かを考えているようにぽつりと繰り返した。
「警察はあなたのことを疑っていますが、わたしはあなたは犯人ではないと思っています」
「ええ……」
「村上隼人君が、あなたを犯人と勘違いして、罪を被ろうと自首したのを知っていますね」
「ええ……、でもそんなことはありえません。隼人さんが殺人なんて……」
琴音は哀しげに首を横に振った。
「彼にはアリバイがあるので、疑いは免れたのですが、その村上隼人君が今、この山の中であなたを探しているんです……」
「隼人さんが……この山の中に……」
琴音はそれを聞いてはっと憑かれたように立ち上がった。
「探偵さん……」
「はい」
「わたしはもう逃げません……これから事情聴取も受けます……でもその前に、隼人さんにどうしても会いたいです……会ってきてもよろしいでしょうか……」
「彼がどこにいるかご存知なのですか」
「あそこに決まっています……思い出の場所があるんです……だから……信じていただけますか」
「わかりました……」
琴音は、丁寧にお辞儀すると、心を奪われたように、山の中へと消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます