25 吟二はショパンを聴いていた

 次に応接間に呼ばれた吟二にも、アリバイらしいアリバイはなかった。やはり、彼も食堂で行われていた年越しパーティーにずっと止まっていたわけではなかった。つまり、吟二にも重五郎の殺害は可能だったのである。ところが、結局のところ食堂にいた彼らがことごとく、のちになってアリバイが成立することになってしまうとはこの時、根来にはまったく予想もできなかった。

「それで、早苗夫人の悲鳴がした時、あなたはどこにいらっしゃったのです?」

 と根来は、じろりと睨みを効かせて尋ねた。

「わたしはその頃、ちょうど自室にいたと思います。パーティーがつまらなかったから、自室に戻って、ヘッドホンをして、音楽を聴いていたんですよ」

「ほお、それでは悲鳴は聞こえなかったわけですね」

「そうなりますね」

「ちなみに何の音楽ですか?」

「そんなことまで聞くんですか、警察は」

「ええ、ちょっと気になりましてね」

 これは根来のよく使う手だった。彼が嘘をついているのであれば、どんどん掘り下げて聞いていけば、必ずぼろが出るというものである。

「ショパンのノクターンですよ」

「それは名曲ですな。クラシックですか。しかし……」

 根来は少し引っかかって、眉をひそめて、

「静かな曲だという印象があるのですが」

「何が言いたいのですか」

「ショパンのノクターンを聴いていたから、早苗夫人の悲鳴が聞こえなかったのですか、本当に」

「私のヘッドホンは防音がしっかりしているし、私の部屋は二階の、それも玄関からもっとも遠い部屋ですよ。例え聞こえたとしても、聞き間違いだと思うでしょう」

 吟二はそう言った後、いかにも腹立たしそうに、

「失礼ですね」

 と付け加えた。

「ええ、警察の仕事は失礼なことばかりですよ。何しろ、全ての人間を疑ってかかるのですからね」

「そうでしょうね」

 吟二はひどく苦々しい顔をして笑った。それがかえって心底腹が立っているのを我慢していることを感じさせた。

「琴音さんのことを聞いても?」

「琴音が今回の事件と関係あるのですか?」

「それはまだ何とも言えませんな」

「では、言いたくありませんね」

「困りますな。あまり協力的でないとあなたがかえって不利になりますよ」

「ふん。そうですか。でも、私が知っていることは、他の人間が語ったことと変わらないでしょう。そして、一年前に語ったこととも同じ。琴音は母の子供ではない。そして、その出生は赤沼家のスキャンダルだった。そして、村上隼人という青年との結婚を父や兄に拒まれ、失意の内に自殺した可哀想な妹、それが琴音だ……」

「村上隼人という青年と別れたことが、彼女の自殺の動機だったというのは、あなたが最初に言いだしたことですね?」

「そうかもしれません。でも、考えれば分かるでしょう? 父や兄は罰が悪いから自ら言い出さなかっただけですよ」

「そうなんですかね。私にはそこまで断定できませんが……」

「そうなんですよ。あいつらはね、人殺しなんだ……」

 吟二が苦々しく呟いたその一言には、根来を思わずギョッとさせるほど、深い憎悪に満ちた凄みが感じられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る