第105話 姉と弟

 魔物使いの里へと帰郷したライズ達の前に現れたのは、ライズ達の姉と呼ばれる魔物だった


「おかえりライズゥー、寂しくなかったかい? 帰りたかったかい? お姉ちゃんが恋しかったかい?」


 スキュラと呼ばれた魔物の女性は、ライズの体にタコの触腕を絡みつかせて全霊で彼を抱きしめる。


「ね、姉さん、お客さんも居るんだから……」


 ライズはかろうじて自由な手首だけを動かしてレティを指さした。


「客?」


 ライズの指さした方向を見たスキュラの視線がレティに向く。


「あ、初めまして、私ライズの元同僚でレティと申し……ま……」


 振り返ったスキュラに対し、朗らかに挨拶をしようとしたレティだったが、当のスキュラの目はとても友好的なものではなかった。

 控えめに言って殺意の込められた眼差し。

 控えめに言わない場合は『死ね』と語っていた。


「っ⁉」


 殺気、そう呼ぶにはあまりにも生易しい殺意を受けてレティが震える。

 いや、震える事すら出来なかった。

 動けば死ぬ。

 戦場で戦ってきたレティの感覚が、絶対に動くなと激しく警告してくる。


「姉さん! 俺の元同僚なんだから、威嚇するのはなし!」


「……」


 ライズに止められたスキュラが、ゆっくりと彼の方向に振り返る。


「やーねー、いくらお姉ちゃんでも威嚇なんて怖い事しないわよー」


 だが、彼に見せたのは、見るもの全てを射殺すような冷たい眼差しではなく、先程までの甘々で緩々な姿だった。


「彼女はレティ、軍時代の俺の同僚で、今は俺の仕事のトラブルが発生した時に色々と力を貸してくれてるんだ」


「あらー、そうなのー。レティさん? 弟がいつもお世話になっています」


 にこやかな挨拶。淑やかな動作。

 ただしそれは声だけだ。

 声だけは蕩ける様な美女の声。

 所作だけは完璧なレディの振る舞い。

 だが再びレティに向けられたその目は、害虫を前にした狩人の眼差しだった。


(こ、殺される……)


 うかつな事を言えば殺される、逃げようと背中を見せても殺される。

 何をしても殺される。


(完全に詰んだ)


 スキュラの殺気にレティの頭が真っ白になる。

 実戦を経験したからこそ、レティはスキュラの殺意を敏感に察知してしまったのだ。


「だから脅すの禁止だって! いい加減にしないと嫌いになるよ!」


 明らかに姉がレティを威嚇していると判断したライズは、彼女に対して最終勧告お姉ちゃん嫌いを出す。


 それが功を奏したのか、スキュラはニコリとライズに微笑みかける。


「……お姉ちゃん、レティちゃんとはとっても仲良しになれると思うのよー」


 そう言ってレティの元へと向かってゆき、彼女を抱き寄せて肩を組む。


「レティちゃんもそう思うわよね」


 朗らかにスキュラが問う。


「……は、はひっ」


 スキュラの問いに、レティは即座に返答を発する。

 それは彼女のフレンドリーな態度が故ではない。

 ライズから死角の位置に突き付けられたスキュラの8本の足先の一つがレティの脇腹の斜め後ろに突き立てられていたからだ。

 軟体の足なのになぜか硬い。レティは自分の胴体がタコの足に貫かれて大穴が開く光景を想像してしまう。


「……なら良いんだけど」


 勿論状況は察している。だがそれを指摘して叱るのは得策ではないなと思い至り、見せかけの和解を受け入れるライズ。


「悪いなレティ、姉さんはちょっと過保護なんだ」


 とはいえ、とりあえずはレティの身の安全が確保できた事に安心して謝罪をするライズ。


「……か、家族なんだもの。ちょっとくらい心配しても普通じゃないかしら?」


 だがレティのその目は明らかに全然普通じゃないわよ! と叫んでいる。

 が、あえてライズはそれを無視した。

 ここでそれを指摘しても、面倒な事になるだけだからだ。


「そうよぉー、お姉ちゃんライズを狙って村に悪い人達が襲ってきて心配で心配でしょうがなかったんだから」


(絶対この人が襲撃者をやっつけたに違いない)


 本能的に村への襲撃者を撃退したのは彼女だと確信するレティ。


「まぁそれについては、長老に詳しい話を聞く事にするよ」


(さっさと用事を終わらせて帰ろう。このままだとどんどん面倒な事になる)


 ◆


「おおライズよ! よくぞ戻って来た! 都会での生活はどうじゃ? 上手くやっとるか?」


 村の奥にある屋敷へやってきたライズを迎えたのは、真っ白な髪を獅子の鬣の様に伸ばした大柄な老人であった。


「お久しぶりです長老」


 ライズは長老と呼んだ老人に頭を下げる。

 次いでラミアが頭を下げ、レティも釣られるように頭を下げる。


「ふむ? 見慣れぬ娘さんがおるのう。アレか? お前さんのコレか? 嫁っ娘か?」


 などと長老がニヤけながら小指を立てる。


「よ、よよよ嫁っ⁉」


 あまりにもストレートな物言いに、レティが顔を赤くして動揺する。


「あらぁ~ん長老、いくら何でも早とちりしすぎよぉ~」


 ライズの後ろからスキュラが前に出て、長老の頭を両手で抱える。


「お、おごっ!? や、やめっ、やめっ!」


 ミシリ、ミシリと長老の頭が音を立ててゆく。


「ねぇ、そうよねぇレティちゃん?」


「あ、ははははいっ!!」


 突如自分に投げかけられた言葉を必死で拾いとるレティ。


「二人共、冗談はその辺で。ソレよりも長老、呼び出した用件を教えてくれませんか?」


(冗談!? あれが!?)


 明らかに長老を殺しにかかっているスキュラと、苦しみのあまり白目をむきそうになっている長老を見たレティが驚いた様子でライズを見る。


「お、おう……そ、そうじゃな」


 ライズの横やりを受けた事で気が済んだのか、スキュラが長老の頭から手を離す。

長老は自分の両側頭部をさすりながらライズを呼び戻した理由を話し始めた。


「いやのう、実は少し前に里が襲撃されてのう」


「それは手紙で読みましたけど」


「うむ、そん時はスキュラが先頭に立っての、お前さんを狙ってやって来た悪党は生かしてはおけんとむしろ皆殺しにしかねん勢いじゃったわい」


(やっぱり)


 レティはやはり自分の直感は正しかったのだと内心で頷く。


「そんでまぁ生き残った犯人達から詳しい話を聞こうと思ったんじゃがな、まともに会話の出来そうなのがおらんかったんでの、そんならお前さんから直接話を聞こうと思った訳んじゃ」


「そんな事で呼んだのか」


 ライズはくだらない事で呼ばれたと溜息を吐く。


「ちょっとライズ、貴方を心配したから手紙を送って来たのよ。そんな言い方は無いじゃないの!」


「そーよー、貴女もそう思うわよね!」


 ライズのそっけない態度に思わず怒ったレティに、ラミアがニュルリと抱き着いて同意してくる。


「この子ってば、昔から私の愛情に対して冷たいのよ」


「えっ? あ、はい、そうですね」


 あっという間に後ろを取られ瞬ビクリと震えたレティだったが、気を取り直してスキュラに同意の意を示す。

 先程までの殺気を思い出して下手な反論は危険だと感じたからだ。


「そんな事言ったって、里の人間を狙ってくる連中なんて珍しくないじゃないか」


 そうなの? とレティがラミアを見ると、ラミアは無言で頷く。


「まぁそれはアレじゃ。これを幸いとライズを呼び戻す理由が欲しかっただけじゃよ」


 長老の言葉に誰が欲しがったのか聞かずとも、レティは誰かを理解した。


「ほんとーに、お姉ちゃん心配したのよぉ~!」


「はいはい。ウチにはドラゴンが居るから心配ないって」


「それでも心配なのよぉ~!」


 スキュラはライズをギュウッっと抱きしめて全身全霊で愛情を表現する。


「姉さん苦しいって」


「まぁそういう事なんでの、詳細を教えてくれると儂も助かるんじゃが……」


 長老が脱線しかけた会話を元に戻そうとライズに説明を求めて来る。


「つっても、俺も犯人の正体までは分かんないですよ。悪魔関係で逆恨みしてる連中か、俺の商売が上手くいってるのが気に入らない奴等のどっちかでしょ」


 別にどうでもよいと、スキュラに抱きしめられながらライズは投げやりに答えた。


「ふむ、まぁ犯人が分からんのでは仕方がないのう。こっちにきた襲撃者もまともにモノを答えれる状態ではなくなってしまったからのう」


「一体何をしたんだか……」


 と言いつつも、ライズは詳細を聞こうとはしなかった。


「じゃあ用件も終わったんで、俺達は帰りますね」


 そう言って立ち上がろうとしたライズだったが、彼を抱きしめるスキュラの圧倒的な力に阻まれて立ち上げる事が出来なかった。


「姉さん、放して」


「いーやーよー」


 スキュラが子供の様にイヤイヤをしながらライズに頬ずりをする。


「仕事があるんだって。町に残してきた魔物達も居るしさ」


「せっかく帰って来たのにー、もう帰るなんて薄情じゃないーい!」


 スキュラは梃でもライズを話すつもりはないとライズにしがみつく。


「……姉さん」


 ライズの声が冷たく沈む。

 それを見たラミアが突然あわあわと慌て始める。


「どうしたのラミア?」


「いえその、このままだと……」


 ラミアはなおもあわあわとして要領を得ない。


(兄弟喧嘩でもするのかしら? っていうかそうなった場合、ライズって勝てるの?)


生身の人間、それも戦いが得意ではないライズでは、とてもスキュラには勝てないのではないかと心配になるレティ。

 だがそんなレティの心配を解決する声が響く。



「ライズや、せっかく里に帰って来たのじゃ。一晩位泊っていけ」


 それは長老の言葉だった。


「けど仕事がありますんで……」


 それを聞いたライズも、さすがに長老の言葉では切って捨てる事も出来ないらしく言葉を濁らせる。


「良いではないか。里の皆もお前の話を聞きたいだろうて。なにも今すぐ戻らないとやっていけない様な仕事でもないのだろう?」


「そりゃまぁ……」


(長老上手いですねぇ)


 ラミアは内心で長老の言葉に感心する。


(ライズ様が急いで戻らないといけない程仕事が大変だと聞いたら、そんなに忙しいのなら里に戻って来た方がいいんじゃないか? と言ってスキュラ姉様に利する発言をされるかもしれない、というライズ様がとっても困る事になる道筋を予想させたんですね。ライズ様にとって、スキュラ姉様に呼び戻される可能性は極力減らしたいでしょうから) 


「そーそー! 長老ってば偶には良い事言うじゃない!」


「それ酷くないかの!?」


 偶に呼ばわりされて長老が傷付いた顔になるが、スキュラは知らん顔だ。


「という訳だからー、仕事が順調なら一晩くらいは泊っていきなさいよー!」


「……はぁ」


 そう長老とスキュラに言われた事で、ライズは溜息を吐いてレティを見た。


「すまんがそういう訳だから、里で一泊する事になりそうだ」


「あー、まぁそういう事なら仕方がないんじゃな……い?」


 ライズの言葉に同意するレティだったが、その真横で自分を真顔で凝視するスキュラの姿に体をこわばらせた。

 その目は、なんでお前がライズに許可を求められているんだ? と問いかけているのは明白であった。


「お、おおぅ……」


(しまった、私だけ理由をつけて先に帰られてもらえばよかった)


 引き攣った笑みを浮かべるレティに、ラミアがポンと肩を叩く。


「頑張ってやり過ごしてください」


 その慰みともいえない慰みに、レティは大きく肩を落とすのであった。

 その夜、少年と少女は人生で最もスリリングな一晩を過ごす事となるのだった。

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