第52話 魔を狩る龍の爪
夜、超高速でテンド王国の上空を飛翔する影があった。
それはドラゴンの姿。
無論野生のドラゴンがこんな所を飛ぶ訳が無い。
最強の存在にして空を支配する天災、ドラゴンが人里に現れたら大パニックに陥るからだ。
故に行動は夜に行われた。
「おお……ドラゴン様の背に乗せてもらえる日が来るとは……」
リザードマンの若き長ゼルドは感涙にむせび泣いていた。
「ゼルドさん、飽きもせずに喜んでますわねぇ」
同行してきたドライアドが呆れた様子でゼルドをみている。
というのもこのゼルド、ドラゴンの背に乗れると分かって感動し、ドラゴンの背に乗って感動し、ドラゴンの座席に乗って感動し、ドラゴンが飛び立って感動し、ドラゴンが高速で飛翔を開始して感動していたのだ。
まさに感動のオンパレードであった。
「まぁリザードマンにとってドラゴンは特別な存在らしいからなぁ」
聞くところによれば、鱗を持った知性ある種族にとってドラゴンとは頂点に位置する存在らしい。
王たる者、神たる者、絶対者、始祖、様々な呼び方をされているのも全ての鱗あるものはドラゴンから生まれたとされるからだそうだ。
そのあたりどこまで本当なのか怪しいところだが、少なくともリザードマンはそう信じているらしい。
「おお、これがドラゴン様が浴びる空の風なのか……」
だから、ゼルドは心行くまで感激し続けていた。
「正直あそこまで感激できるのは凄いと思いますわ」
◇
「ではジュジキの沼に到着する前に確認をさせていただきます」
ライズは感動し続けていたゼルドを正気に戻した後、今後の方針についてのレクチャーを始める。
「うむ」
「まず今回の依頼内容は軍や教会といった他勢力によってジュジキの沼を制圧した悪魔が倒される前に、リザードマンの手によって悪魔を倒す事です」
「その通りだ」
「そしてその為のもろもろの手段は、我がモンスターズデリバリーの主導で用意させていただきます」
「ああ、期待しているぞライズ殿!」
「そして報酬は、ジュジキの沼のリザードマンの集落にある宝石を全てと言う事で宜しいのですよね」
「うむ、宝石など我々にとっては無価値だからな。人間にとって価値があるなら全てくれてやろう! 我々にとっては戦士の誇りと故郷を奪い返す事こそ最も重要なのだからな!」
「承知致しました」
勤めて平静に装うライズであったが、その内心はお祭り騒ぎであった。
(いよっしゃぁぁぁぁぁ! 宝石祭りじゃぁぁぁぁぁぁ! 前の子守報酬よりも大量の宝石を確約、しかも全てって事はそれ以上の備蓄があるって事! 事務所の借金を余裕で返し終えてクラーケン達の暮らす新しい土地を買う事も出来るんじゃないですかぁぁぁぁぁあ!?)
そんな内心大フィーバーのライズをドライアドが冷静に見つめている。
(ああ、ご主人様の引き締まったお顔、素敵ですわ。ドラゴンが居れば悪魔など恐るるに足らず。にもかかわらず気を引き締めて万が一の事態が起きないように油断をしない。さすがは私のご主人様!)
完全に油断しきっているだけなのだが、ニヤけない様に我慢している様を油断無く気を引き締めていると勘違いしたドライアドはライズの横顔にメロメロであった。
(大丈夫かなこやつ等)
唯一人、ドラゴンだけが乗客達に不安を感じていたのだった。
◇
「もうじきジュジキの沼だ」
見知った景色が見えてきた事でゼルドは決戦が近い事を告げる。
「それでライズ殿、これからどうするのだ? 悪魔に通用する武具はどこにある? 持ってきたのだろう?」
戦いを前にしてゼルドは臨戦態勢を整えようと武器を要求する。
「いえ、ありませんけど」
しかしライズはさらりと否定した。
「……何!?」
まさかのノープラン、何も用意していないといわれてゲルドの目が点になる。
「で、ではどうやってあの悪魔を倒すのだ!? 悪魔に通じる武器が無ければ連中は倒せないのだろう!?」
困惑するゼルドにドラゴンの声が響く。
『主よ、悪魔とやらの姿が見えたぞ』
ドラゴンの声に、座席から身を乗り出して地上を見るライズ。
そしてライズが落ちないように蔦で彼の体を支えるドライアド。
「あれか」
ドラゴンが高度を下げると、月明かりに照らされて地上に人影が見える。
夜である為輪郭しか分からないが、その人影は明らかに邪悪な気配を漂わせていた。
「どうするのだライズ殿!?」
状況が読めず困惑するゼルドにドライアドの蔦が巻きつく。
「な、何だコレは!?」
「ゼルドさん、今から激しく動きますので、しゃべらずに座席に座っていてくださいね」
「な、何……っ!?」
どういう事か聞こうとしたゼルドだったが、突如ドラゴンが加速を始めた事で言葉を詰まらせる。
ドラゴンは高度を下げながら速度を上げ、衝撃波で地上の木々が悲鳴を上げる。
そしてジュジキの沼へと到着し、既に身体は地上スレスレだ。
正面には邪悪な気配を撒き散らす猫の頭部をした人影。
「な、な、!?」
ゼルドの困惑の声が後ろに流されてゆく。
「やれドラゴン!」
『承知』
ドラゴンが悪魔である猫人間に向かって突撃する。
猫人間の輪郭が動く、ドラゴンに対して迎撃体勢をとったのだ。あるいは回避行動をとろうとしたのだろうか?
だがどちらにせよ無意味だ。
獲物を捕獲する為に動いたドラゴンの早さに普通の生物が対処できる筈がない。
例えそれがこの世界に受肉した悪魔といえどだ。
猫人間の体がドラゴンの影に消える。
外した訳ではない。
猫人間の体をドラゴンの前足が捕獲するべく開かれる。
捕獲される寸前、猫人間の腕がドラゴンの前足を殴る。
だが超高速で突撃してきた世界最強の鱗を持つ生物の巨体の前では、悪魔の強靭な肉体であってもゼリーと同様。
殴りつけた腕が小枝よりも簡単にボキボキと折れてゆく。
そうしてドラゴンは鼠でも捕獲するような気軽さで悪魔を掴み、その手で握りつぶしてゆく。
猫人間の全身がボキボキと折れ、口から形容しがたい色の毒々しい体液があふれる。
そのままドラゴンは急角度で上昇を開始する。
ソニックブームでジュジキの沼を壊滅させない為だ。既にある程度は被害をこうむっているが。
ドラゴンが急角度で上昇を始めると、ライズ達の体が不自然に浮き上がり座席から放り出されそうになる。
それを同行してきたドライアドの蔦が掴み、二人を座席へと座らせる。
彼女が同行してきたのは、ドラゴンのアクロバティックな機動から保護するためだ。
そして十分上空へと到達したドラゴンが、掴んでいた悪魔を上空へと放り投げる。
そして宙に浮いた猫人間へ向かって口を開くと、その口から高密度の魔力を放った。
ドラゴンブレスである。
天空に向かう純白の光、それは悪魔を倒す為に放たれた暴力の輝きと知らなければ、見た者にはとても幻想的で美しい輝きだと思われた事だろう。
「……た、倒したのか!?」
ドラゴンの加速が終わり、ようやくしゃべれるようになったゼルドが悪魔の生死を確認してくる。
「いいえ、まだ倒していません」
事実、ライズの言ったとおり、上空に放り投げられた猫人間の形は保たれた状態で地上に向けて落下していた。
仮にドラゴンのブレスが直撃したら猫人間の身体は以前の蛙の魔物と同じで消し炭になっていたことだろう。
つまり加減したのだ。ドラゴンはそのブレスを直撃させず、掠らせるに止めたのである。
「止めはゼルドさんに刺して頂く必要がありますので」
◇
地上に降りたライズ達が見たのは、ドラゴンに半ば握りつぶされ、直撃ではないとはいえブレスを受けた上に、落下のダメージを受けて半死半生となった悪魔だった。
「ドラゴン」
『うむ』
ライズの声に従い、ドラゴンが前足の爪を悪魔の胸元に当てる。
「ささ、ゼルドさん、ドラゴンの前足を掴んでください」
「な、なに?」
「いいから、どうぞどうぞ」
訳が分からないゼルドの背中を押して無理やりドラゴンの前足の前に立たせるライズ。
「こ、こうか?」
ゼルドがドラゴンの前足を掴む。
「しっかり掴んでいてくださいね」
「う、うむ」
「ではその前足を真下に向けてぐいっと押し込んでください」
「わ、分かった! ふん!」
すると、ゼルドに押し込まれた前足の爪が、悪魔の胸元に深く突き刺さる。
身体を貫かれた悪魔が絶叫をあげる。
だがドラゴンの前足で身体を押さえつけられている状態の為、悪魔は何も出来ずに悲鳴を上げるだけだった。
「お、おお!?」
しかしあれほど苦戦した怨敵の絶叫を聞き、ゼルドは思わず身体を竦ませる。
そうしてどれだけの時間が経ったろうか? ゼルドにしては永遠のような時間、だが現実では10秒にも満たない時間で猫人間の絶叫は止まり、全身の痙攣も消え、ついにはその身体が塵へと変じ始めた。
「こ、これは!?」
「肉体が滅び始めているんですよ。悪魔というのはもともとこの世界の住人ではありません。それがこちらの世界の生き物の体に憑依して現界しているので、悪魔が滅びると悪魔用に再構築された身体も滅びてしまうんです」
ライズの説明が終わる頃には、猫人間の身体は完全に塵となってしまい、遂には風に流されて消えてしまった。
「な、何と……我々をあれほどまでに苦しめた化け物がこんなにあっさりと……」
それはあっさりと倒せてしまったと言う事か、それともあっさりと死体が消え去ってしまった事か、一体どちらであったのだろうか。
「これにて依頼達成です。悪魔はゼルドさんの止めで退治完了いたしました」
「あ、ああ……って俺の止め!? どういう事だ!?」
驚きのあまりか、またしても素の口調が出るゼルド。
「いやだって、リザードマンの手で倒さないといけないんでしょう? だったら止めはゼルドさんの手でやらないとダメじゃないですか」
「い、いやしかしだな。戦いはドラゴン様が行っただけで、俺はドラゴン様の前足を推し込んだだけだぞ!?」
実質何もしていなかった事にゼルドは納得がいかないと抗議の声を上げる。
「良いですかゼルドさん。悪魔を倒す為には悪魔に通用する武器か強力な魔法が必要となります。ですがそんな都合の良い物を即座に用意できる訳がありません」
ライズはドラゴンの前足にすわり、その爪を撫でる。
「ですので、当店は依頼を達成するためにドラゴンの爪をゼルドさんにお貸ししたのです。ドラゴンの身体から出来た武具は最強レベルの武器ですからね。つまり、ドラゴンの爪も武器と言えるのです! なのでドラゴンの爪で悪魔を貫いたゼルドさんは自ら武器を手に取り悪魔を倒した訳です! おめでとうございます! いえーい!」
「な、何だってぇぇぇぇぇぇぇ!!」
とんでもない力技にゼルドが絶叫する。
「と言う訳で依頼達成です! お疲れ様でした!」
にこやかな笑顔で無理やりシメるライズ。
「もう新手の詐欺みたいなものですわね」
クスクスと苦笑するドライアド。
『どうでも良いから帰るぞ。夜が明ける前に町へ戻らぬと、我が仕事に遅れる』
ドラゴンが、心底どうでもよさそうにつぶやいたのだった。
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